★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

じつはウェイトリフティング選手だったわたくし

2012-07-22 23:19:04 | 大学


先日、「渡邊さんて、リフティングかなんかやってるんですか」と元体育教員から言われたのであるが、わたくしの見た目から常識的に考えて、サッカーのリフティングではないから「ウェイトリフティング」のことであらう。ウェイトが問題なのは、私の体の方であって……、隠微な皮肉誠にお疲れ様ですっ。

わたくし、こうみえ(←見えないですね)ても、体育の成績が良ければ、小中高と9教科総合でぶっちぎりの一位だったはずの人間であるっ。だいたい、体育の授業へのプレッシャーで、一日憂鬱だった時期もあり、かかる影響を鑑みて、他の教科の成績のいまいちさまも大目にみられなければならず、遠慮ぎみに考えても、9教科オール5であったとみてよろしい。

というわけで、体育音痴で迫害をうけてきたわたくしであるが、成長期の頃、なぜか突然体育も優秀になったことがあり、ますます迫害は強くなったので、それからは遠慮して行動している。だいたい、体育が苦手ならきちんと苦手である必要があったのであるが、ときどき得意なものがあったから問題なのである。

1、スポーツ万能の父親がわたくしをやたら近くのスケートリンクに連れて行ってしごいたもんだから、スピードスケートだけはクラスでいい線をいっていた。

2、4年生の時点でまだ水が怖いレベルであったわたくしであるが、6年生の頃、好きな女の子を見たくてプールに通っていたところ、夏休みが明けたら、クロールでクラス一位になっていた。

3、運動会ではいつも「マエナラエ」で腰に手をやる人であった。ある意味「一位」(先頭だから)

4、幼稚園のパン食い競争で、なぜかパンを一番はじめに「食」えた(即ち、実質一位だ)が、そこまでしか頭が働いていなかったので、ゴールの場所を間違えて最下位になった。(自分の頭脳が大したことないのを自覚した最初の出来事である。)

5、5年生の頃、運動会で配られた梨を一番先に食べ終えた。

6、中学の時、一時期、背筋力がクラスで一番だった。(何故だろう……)

7、中学のマラソン大会で、学年で最下位になる。たぶんぜんそく患者の部で一位であろう。

8、女子が圧倒的に多い大学に入学したので、なぜか体育の時間は大活躍。ダンスの授業などで模範演技をしたりする。(いま考えてみると、明らかにいじめであろう)

9、大学院に入って、ある研究者に「筋トレやってるんですか?いいなあ、色白でマッチョで」と言われる。

……こんな感じであるにもかかわらず、ときどきスポーツやってる人に「渡邊さんて何かスポーツやってましたでしょう?」と聞かれるのは何故であろう?確かにやってたよ。上の如くに。

確かに、以前テレビで放映していた「ストロンゲストマン・コンテスト」とかすごく面白かった。錨を担いで走るとか、トラックを引っぱるとか、岩を担ぐとかする競技である。わたくしも、前世は大男でマッチョマンだったのかもしれない。