この数日、昨年、突然発症した痛風の前兆たる症状。
客観的に判断して、来てます来てます。
原因の一つは、運動不足、最近また散歩をサボっておる。
二つは酒、こいつを一週間絶った昨年、その反動でコペ転的に修復しようもなく壊れたものがある。
三つは、いりこの食い過ぎだったのでは?
それでも病院には行かない。
これが私のポリシー。
フツー、こういうのをそうは呼ばないのだろうけど、ま、偏屈で片意地な男なもので・・・
ぼんのう【煩悩】 即(そく)菩提(ぼだい)
仏語。煩悩はそのまま悟りの縁であること。煩悩の本体は真実真如にほかならないから、煩悩と菩提とは別のものではなく、一体であるということ。煩悩菩提。
以下引用
東洋医学には「症状即療法」という考え方があります。
症状は体が治そうとする働きそのものだということです。
例えば発熱。
外部から侵入してきたウイルスや細菌に対抗するため、免疫機構や体内酵素が十全に発揮できる体温に高めていくのです。
痛みや腫れも、患部に血液が集まってくる反応であって、細胞に修復成分や新鮮な酸素を供給する必要から行われる自然な働きといえます。
以上、西洋医学的にも納得のいく説明のつく、そうした反応は、体が持つ自然治癒力をさらに後押しし力づける働きです。
ゆえに、体に表れた症状を敵対視し、それを排除しようと努めるのは、かえって治癒を遅らせ、場合によっては不可逆的なダメージを負いかねないのは容易に理解されることでしょう。
「症状即療法」の真意が分かれば、その症状を助ける工夫を、不断に行われる生活の中でしていくことが、最も効率的で本質的であるということに気づかれるでしょう。
さらに病を学びとして、それを契機に心身の進化向上に結びつけたならば、より高次の「症状即療法」が達成されることになります。
そのためにも、病を自分の問題として受け止め、いたずらに他物に頼ることをやめることです。
西洋医学でも認めるように、治すのは自然治癒力であって、自分の力以外の何物でもないのですから、責任主体を自分に設定し、生活していくことが第一義になるでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます