宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

雨上がりの幡ヶ谷、甲州街道、歩道橋

2024年02月21日 19時37分50秒 | つくりバナシ





 1976年6月、雨上がりの甲州街道。
大学2年になった俊輔は、稲毛屋のバイトを終えて帰宅するところだった。
手には、雨が上がって必要のなくなった雨傘、そして足元は長靴。
世間では、田舎でもさほど長靴を履かなくなったのに、俊輔は、雨の日はいつも堂々と長靴で都内を闊歩した。
学友の中でも、それは俊輔だけだった。
彼には、その辺りの気恥ずかしさのようなものは一切なかった。
便利で快適が一義、と考える質、それが俊輔だった。
アパートのある方角に向かって幡ヶ谷駅を過ぎれば、甲州街道があって、横断歩道があるにはあるが、長く信号で待たされるので、俊輔はいつも歩道橋を渡るのだった。

 渡り切った後、直ぐに奥に向かう道筋を進み、医療機器メーカーのテルモをクランクした後、また同じ方向に15分ほど歩いたところにあるのが【みどり荘】だった。
それは、朝日新聞中村橋販売店での住み込み店員という立場を終えてから、早稲田にある学生アパート斡旋業者タンタンでようやく決めたアパート。
最初は吉祥寺や下北沢を希望したが、全く予算に合わず、予算で合格した西荻窪のそれは実際に内見させて貰うも、流石にショボくて断念。
そんな経緯の後、合格したのが、幡ヶ谷【みどり荘】だった。
俊輔は明治大学法学部の2年なので、京王線で三つ先にある和泉校舎に通学するのに便利だったことも大きな要因となった。
まあ、3年からはお茶の水にある校舎に移るのだが。
なにはともあれここが、文字通り、独り暮らしの始まり、拠点だった。

 甲州街道から入り込んで、前後の人の気配がやんだときには、ひとりで朗々と歌い上げる癖が俊輔にはあった。
その頃に一番歌ったのがこの曲【雨ふり道玄坂】。
その日も、条件が整えばそうしただろう。


 ただ、その日は、甲州街道の歩道橋を渡り切って、階段を降り始めたときに、背後で「コホン」という咳払いがした。
思わず振り返ればそのてっぺんにいるのはリコだった。

 大学2年になって、学友がセッティングした合ハイで知り合った、学年で一年後輩の異性、それがリコだった。
昼は河口湖で遊んで、夜は新宿に移動して住友ビル53階の【acb】で飲んだ。
そして、彼女たちの大学のある国立まで送って帰るという、行ったり来たりのなかなかハードな日程の中、それぞれがそれなりにお気にを見つける。
ぶっちゃけると、合ハイの最終目的はそこにあったと言っても過言ではない。

 俊輔はそのほとんどを美智子という女性と過ごした。
そして、なかばお互いにマッチしていた気でいた。
それが、飲んだ後、中央線で送って帰るときに、たまたま隣り合わせたリコと意気投合した。
瓜実顔のセンターで分けたサラサラとした綺麗な髪が腰の辺りまである、お嬢さんを絵に描いたような女の子、それがリコだった。
そして結局、後日俊輔が連絡したのはリコの方。
美智子とは、確約した訳ではなかったが、電話番号は訊いた訳で、後日仲間内で『どうなの?』ということにはなったらしい。

 そんないい加減な始まり方だったから、既に何某かの問題は孕んでいた。
それでも、幡ヶ谷と国立の中ほどにある井之頭公園や国立の喫茶店、そしてリコの部屋と、二人は幾度かのデートを重ねた。
特に、音大生であるリコがピアノで演奏するユーミンの弾き語りに俊輔はうっとりとしたものだった。


 ただ、俊輔には問題があった。
それは、現在進行形の遠距離恋愛中の恋人の存在、というか、突き詰めれば、倫理の是非。
なので、リコとはそれ以上進むと、ややこしいことになる。
じゃあ、ハナからそんなことするなよ!
全くそうなんだ。
でも、ついそうなっちまうのが俊輔だった、かも知れない。
なので、淡いコイゴコロ以上の線は越えてない。
これが俊輔の言い訳だった。

でも、そのハードルは地面から10cmくらいまでに下がっていた。
要するに後一歩のところまで迫っていた。
そこで、俊輔は自然消滅を狙った。
リコの部屋には電話があるけど、俊輔のそれにはない。
なので、デートの約束はいつも俊輔が掛ける電話で、という流れだった。
となれば、電話さえしなければ自然消滅?
まあ、如何にも得手勝手な解釈。
そんな流れで迎えたのが、雨上がりの横断歩道橋なのだった。



「どうした?」
「どうしたって・・・」
「え?」
「俊輔さんが電話くれなきゃ、前に進めない」
「・・・」
「だから、こうしてやってきた」
「え、もしかして、オレのバイト終わるの待ってた?」
「うん」
「だって、その後夕食が出るし、いつになるかわかんねえじゃん」
「それだって1時間も待ってればでしょ」
「まあそりゃそうだけど、待った?」
「うん、いや、そうでもない」
「無茶するなよ」
「だって、ちゃんと俊輔さんの気持ちを聞かないと眠れないんだもん」
「ゴメン、とにかく部屋にいこうか」
「いいの?」
「いいさ、もちろん」



 こうして二人は歩きだしたんだけど、俊輔には結論が出てたので、その糸口を探ってた。
そして、リコはリコで、既にもうその予測はついてたらしく、その後一切の会話はなくみどり荘に着いた。

「珈琲でも淹れようか」
「ん、いい、そんなことより、なんで電話くれないの?」
「・・・」
「嫌われるようなことした?ワタシ」
「・・・」
「黙ってちゃわからない」
「ゴメン、オレには彼女がいる」
「やっぱり、そんな気がした」
「ごめん」
「確かになんの約束もしてないし、ただデートを重ねただけだし」
「どんどん言い出せなくなって」
「俊輔さんはずるいよ!」
「ごめん」
「絶対に許さない」
「・・・」
「このまま帰っていいのね、ワタシ」
「ごめん」
「バカ!」


 珍しくそう叫ぶと、リコはバタンと大きな音を立ててドアを閉めて帰っていった。
そして、テーブルの上には、リコの涙で濡れた、ティッシュのオブジェだけが残った。
勿論、俊輔とリコは、それ以来、一度も会うことはなかった・・・








ふきのとう/雨ふり道玄坂  ≪歌詞≫  ♪再生第21位(2022年10月)







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