「ハスラー」「暴力脱獄」「明日に向って撃て!」など、数々の名作に出演し、今なお愛される伝説のスター、ポール・ニューマン。
死後発見されたインタビューを編纂し、トム・クルーズやジョージ・ロイ・ヒルら関係者の声も織り交ぜた、最初にして最後の自伝。
これは、ポール・ニューマン本人とスチュアート・スターン(脚本家でありポールの友人の一人)の間で交わされた多くの対話に基づいており、1986〜1991年に記録されたもの。
正直な感想を一言で纏めると、煩雑で読みづらい構成、そして、その文章自体が稚拙な感じがする。
ただ、ポール本人の飾らない本音や後悔が惜しみなく吐露されているところが興味深い。
背が低くて、劣等感に支配されてた幼少時代から、軍隊時代、学生の頃の起業など、映画俳優として君臨するまでの歩みに触れられるのは、一ファンとしては有難い。
特に、軍隊時代の、運が良かったというハナシ。
彼は爆撃機の射撃手だったのだが、パイロットの病気によって待機状態に、そしてその艦載される筈だった空母バンカーヒルが終戦間際の沖縄沖で、250kg爆弾を抱えた日本の特攻機に突っ込まれ、400人が亡くなった、その中には彼が所属する飛行中隊隊員15人のうち10人が含まれていた、こんなハナシがリアリティがあって感心させられる。
やがてトップ俳優として、時代の寵児となる訳だが、その生真面目さや生来のセンスも伝わってくる。
私はこの時代、小学生から大学生辺りだったが、ご多分に漏れず、ファンとなって、彼の作品は大概観てきた。
久しぶりに観たいと、サブスク動画を検索してみたが、そんなに多くは無く、全てが有料レンタル対象だった。
さういう意味では、過去の人なのだろう。
その点、BS1のプレミアムシアターだっけ?
こいつは、主にそうした古い作品を流してくれるので有難い、と再認識した。
繊細過ぎるが故に、アルコール依存症だったこと、しかし、レーサーという作品に出合って、カーレースにその脱却口を見つけたこと、そしてその実力は、決して人気俳優のお遊びではなく、プロとして数々の結果を残していること、これらも、初めて知る逸話。
やがて、人気俳優のピークを越えた辺りから、彼は貧しい子供たちを救う事業に邁進する。
そして晩年は、非二元のような思いも吐露する。
それを書き写して、彼へのはなむけとしたい。
強く確信していることはわずかしかない。
来生は信じていない。
蘇りは信じていない。
私は神秘主義者でも超自然主義者でもない。
それでも、この人生は通し稽古でしかないと確信している。
死んだ私を棺に収めて地中に降ろすと、だれかが「カット!」と叫ぶはずだ。
そして監督がこう言う。
「よし、全員元の立ち位置に戻るんだ。カメラを最初の位置に戻して、このシーンを頭からやり直すぞ」
すると私の棺の蓋が開き、別の人生が続いたりはじまったりする。
自分は七回か八回死ぬ。
私はほんとうにそう考えている。
いずれ、なにもかもが冗談みたいなものだったと判明するのだ。
素晴らしい!
没年月日 2008年9月26日(83歳没)
もう随分になる。
彼は今、どんな人生を送っているのだろう。
一旦、お別れ、ありがとう、冥福を祈ります・・・