goo blog サービス終了のお知らせ 

塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 むさしあぶみ

2015-02-03 05:42:47 | ミュージアム巡り_2015
 江戸城下はたびたび火災が発生し、小伝馬町牢屋敷にも火の手が
及んでいる。数百人収容されている囚人を焼死させるわけにいかず、
逆に無秩序に解き放てば治安が著しく悪化する。
 そんな中、明暦3年(1657)正月18日と翌日の明暦大火は、江戸城
天守閣が炎上・崩落し500以上の町と大名屋敷を焼き、その死者は
10万人以上に達した。
 牢屋奉行の囚獄を代々務める石出帯刀の三代目・石出帯刀吉深は、
囚人達の命を救うため、独断で牢を開き囚人を避難させる。その判
断が高く評価され、以後、牢屋敷では同様な火災が発生した場合は
囚人を解き放すようになる。

 明暦大火の様子を記した仮名草子「むさしあぶみ」(万治4年・
1661、浅井了意作、全1冊、和学講談所旧蔵)は、この時の石出帯
刀のとった行動が美談として紹介されている。

 それによれば、“汝らを焼き殺すのはまことに不憫だ。牢から解き
放すから、どこへでも逃げて命を落とすな。ただし火事が収まった
ら1人残らず下谷のれんけい寺にくるように“といって牢から解放し
ている。
 ただし、“逃げた者は必ず探し出し、本人はもとより一族まで成敗
する“と付け足している。数百人の囚人は、火災の鎮火後、1人を除
いて約束どおり下谷に集合したという。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 鑑定徳川律法

2015-02-02 05:44:35 | ミュージアム巡り_2015
 「鑑定徳川律法」(明治13年・1880、全2冊、田島象二著)は、江
戸時代の刑法や牢獄、行刑制度を振り返った著述で、「刑罪大秘録」
や「御仕置例類集」「式目百箇条」他を引用し、獄具、判例、各種
刑罰等を図入りで解説されたもの。

 江戸時代の牢内では、囚人の中から選ばれた牢名主とその牢名主
が選任した十数名の牢内役人が多数の囚人を監視統制する“囚人自
治制“が公認されていた。

 展示資料には新入りの囚人に対して牢内の法を言い渡している場
面が描かれている。裸にされているのが新入りで、正面の畳6枚重
ねた上に胡座をかくのが牢名主で、3枚重ねが牢内役人。

 新入りには入牢に至った経緯を白状させられ、あわせて用便の仕
方やその他、牢内の掟を告げられる。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 徳鄰厳秘録

2015-02-01 07:17:03 | ミュージアム巡り_2015
 親子二代にわたり牢屋見廻り役を務めた北町奉行組与力の蜂屋新
五郎が編集した「徳鄰厳秘録」に、斬罪、磔、獄門、火罪、鋸引等
各種刑罰や拷問、入墨等の執行方法が彩色図を添えて詳細に解説さ
れている。

 原本は文化11年(1814)に成立。展示されていた資料は、寺社
奉行の稲葉丹波守正守が書写して所持していたものを、評定所の参
考資料として天保11年(1840)に再度書写したもの。全1冊、内
務省旧蔵。


(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 世事見聞録

2015-01-31 06:19:29 | ミュージアム巡り_2015
 武陽隠士某(本名未詳、江戸人)の著した「世事見聞録」(1816年
序、全7巻)は、幼少の時から見聞した社会や人情等の変化を武士
や百姓、寺社人、医業、陰陽道、公事訴訟、諸町人等に分けて記
し、あわせて著者自身の評論を添えている。

 同書の中には“人情狂ひ行状みだれ、道理隠れ、猥りに損益の争
ひ強く、ことごとく貧富の偏ること大方ならず“と昨今の世相人情
を慨嘆し、社会が抱える問題点が列挙されている。
 犯罪や裁判が抱える問題点や、牢死者が絶えない牢獄の劣悪な環
境についても言及。著者によれば、江戸では毎年300人が処刑され、
牢死者は1,000人以上に達するという。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 古事類苑

2015-01-30 05:45:41 | ミュージアム巡り_2015
 明治大正期に編纂刊行された百科全書「古事類苑」の中に集録
されている小伝馬町の「牢屋敷平面図」が展示されていた。

 刑を受けた者を収容する東西の“大牢”(30畳)と“二間牢”(24畳、
無宿牢ともいう)のほか、御目見以上の旗本とそれに準じる僧侶
神職を収容する“揚座敷”、御目見以下の御家人と陪臣、僧侶神職、
医師を収容する“揚屋”など各種の牢がある。

 そのほか町奉行の配下で牢屋の管理や行刑を担当した“囚獄”
(牢屋奉行)、石出帯刀の役宅(役所兼住居)や、“死罪場”、“拷問藏”
“御様場“などもある。
 「古事類苑」は明治12年(1879)、西村茂樹の建議により文部省
内で編纂が始められ、皇典講究所、神宮司庁の手を経て明治40年
(1907)に編纂を終了。全1000巻、天部、歳事部、地部、神祇部、
帝王部、動物部、植物部ほか全30部からなり、牢屋敷平面図は法
律部に収められている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)