手作りの趣味を持つ「お絵描きやさん」

北海道産のパートナーNと暮らすワーキングババ
娘3人・孫ッチが3人、休みなし
品川生まれの品川育ちです

雑司が谷の手創り市の一日、その2

2014年01月22日 | 日記

日差しは温かいのに影に入るとサッと寒くなる日 

会場の向こう側に都電の線路が見えます 

時折踏切の音と電車の音がせわしない時間を緩めてくれるように感じます 

シナモン風味のカフェラテが美味しそうです! 

はちみつ花梨もいいなぁ~ 

カワイイあみぐるみやアクセサリー♪

うさぎや猫のブローチも甘すぎないデザインなので大人がつけても大丈夫そうです

これから鬼子母神さんの第1会場に向かいます 

一方通行の道をお寺に向かって歩きます 

風のために会場である境内が茶色く土煙に染まっています 

手創り市の出店者の皆さんは大丈夫なのかなあ?大変そう・・・

WOMANのロケ地「テーラーウエスギ」になったお店 

他にもアニメなどでも使われています 

ちゃんと「鬼子母神」さんの「鬼」の字のツノが取れてます 

上着のモコモコ感で当日の寒さを想像して下さい 

境内入口のお稲荷さん

武芳稲荷神社さんが鬼子母神の境内にあるのね、と思っていたら

実は武芳神社さんのほうが氏神様として祀られていた「稲荷山」に

後から鬼子母神さんがいらしたそうです 

左右にそれぞれ鳥居のトンネルが並んでいるのが少し不思議な気持ち 

椎名林檎さんがここでプロモーションビデオの撮影したこともあったそうです 

鬼子母神さん。本坊「法明寺」 

穏やかな顔の獅子。ヒゲとタテガミのカールが好みです

1664年に建てられてから被災したことがないと言われている鬼子母神堂 

安産・子授け・子育てで有名です 

ざくろの絵馬がたくさん掛けられています 

これに願い事を書き寝室にかけると良いそうです 

お賽銭箱が床に嵌め込まれています(初めて見ました) 

本堂に掲げられている「鬼子母神」の文字 

かなり大きくレリーフがハッキリ浮き出ていて、色はかなりはげていますが見ごたえがあります

さて、お参りも済んだのでこれから第1会場のお店をブラブラさせて頂きます(その3に続きます) 


雑司が谷の手創り市の一日、その1

2014年01月21日 | 日記

1月晴天 

風が強く、寒い日です 

豊島区雑司が谷で行われる「手創り市」さんに足を運びました 

この日は目白通りから弦巻通り商店街に抜けるルートを会場までのアプローチにしました

趣きのあるお店が並びます 

「いかにも ひっつめ髪でかっぽうぎの小さいおばあちゃんが出てくるか?」とつい期待してしまいます 

都電荒川線、通称チンチン電車の線路脇にある「大鳥神社」さんが第2会場になっています 

お店をまわる前に まずお参りです 

白い玉砂利を踏みながらお参りします

祀られている神様は「日本武尊」 

こちらは疱瘡(天然痘)よけでも有名だったそうです

また雑司が谷七福神の一つにもなっていて「恵比寿様」をお祀りしています

神社は元々、鬼子母神の境内の一部だったらしいのですが、明治の神仏分離で分かれたとのこと

恵比寿様は「商売繁盛」などでお参りする方が多いですね

恵比寿巾着と言って ドラ◯もんのように何かとありがたいものが入っているものの象徴が巾着なのでしょうか?

手水舎も賽銭箱も赤い巾着型になっています

近くで見ると意外と迫力あります

 祀られる社の一つもない貧乏でマイナーな神様が主人公?

自分の社を築くべく、自分の携帯番号を街なかやトイレの壁に書き込み、賽銭〈5円〉で人助けをする、自称“デリバリーゴッド”を描くアニメ

「ノラガミ」の看板がありました(上記は帰宅してから調べました)

なんでこんなアニメの看板が?と思っていたら・・・

雑司ヶ谷七福神の境内に置かれた看板・ポスターに何かをかざすと、スタンプとノラガミキャラが見えるそうです

他にも雑司ヶ谷の七福神をめぐると、七福神めぐり達成記念特典オリジナルカイロが貰える、とか 

色々あるのね~、アニメ業界。 

そんなことより「手創り市」が今日のメイン! 

寒いので人出というより出店数を心配していましたが杞憂に終わりそうです

境内で最初に気になったのが↑コチラ 

「その場でシルクスクリーン!」 

これはバッグに自分の誕生日の数字の上に◯や☆などのマークを目の前で手摺り印刷してくれるというもの 

希望の色でチャチャッと出来上がります 

写真撮影の許可は頂いたのに、お店の名前を伺うのを忘れてしまった私

なんてこった!

次回はせめて出店番号か、店名をチェックしよう!!

ふふふ!今回も楽しそうなお店がずらり。防寒対策バッチリだからゆっくり見てまわろう~(*´∀`*)

(その2へ続きます)


神田明神・妻恋神社・湯島天神・五條天神社・上野花園神社・穴稲荷!その5

2014年01月11日 | 日記

上野のお山にある五條天神社と同じ敷地内にある 「花園稲荷神社」さんにもお参りさせて頂きます 

凛々しいキツネさん 子ギツネが親キツネの足の下でうずくまっています

子ギツネも意外とキリッとした顔つき   男の子かな?

「花園稲荷」さんは江戸時代「忍岡稲荷」と呼ばれ、明治時代に「花園稲荷」と変わったそうです

元々上野のお山は「忍ケ岡」と呼ばれていて、不忍池から上る坂は「忍坂」です

お稲荷さんの御祭神は「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」別名「豊受姫命(とようけひめのみこと)」で

伊勢神宮の外宮にもいらっしゃいます(伊邪那美命の孫にあたります) 

ここでも「おみくじ」 何が出たかは娘から教えてもらえませんでした 

ここの御朱印は五條天神社さんと同じ社務所で頂きます

花園稲荷神社さんの旧跡となっている「穴稲荷」さん

忍坂から入る花園稲荷神社さんへの参道の間にある横道を入った処にひっそりあります

徳川家康の側近として重用された南光坊天海が

住処がなくなったキツネを憐れみ洞を作り祀ったとあります

私たちの後ろに付いてきた初老の女性2人が「なんだか暗くて気持ち悪い」と帰ってしまいました

確かに明るくはないです 

私は祠をおキツネさんに「撮影させて下さい」とお断りして撮らせて頂きましたが 

写真をネットに載せるのは忍びなく、また「勝手に自分たちの家を載せたら嫌!」とキツネさんに怒られそうで辞めました

                  お稲荷さんは怖いよ? 

夕方近くに地元に戻り、この日はかなり歩いたのでちょっとティーブレイクしてから帰宅します

アッサムティーをゆっくり口に含み、長女と一日の話をして終わります

さほど寒くもなく歩くのにも問題なく、歩くことによって新たな発見もあった有意義な一日でした


神田明神・妻恋神社・湯島天神・五條天神社・上野花園神社・穴稲荷!その4

2014年01月10日 | 日記

湯島天神に末娘の合う学校に合格することをお願いしてから 最終地点の上野へ移動します 

  

途中で「酒悦」さんの前を通ります(昔から東京では福神漬の酒悦で有名ですよね?)懐かしい!

また、2階のニワトリの人形がカワイイ焼き鳥やさんなのに当の人形が1階のケンタッキーのモノみたいに見えちゃったり

意外と上野って新旧取り混ぜてオモシロイ?かも・・・ 

上野広小路から上野駅方面に中央通りを進み

不忍通りを左折してすぐに下町風俗資料館を右手に上野恩賜公園に入ります

不忍池の蓮が色よく枯れ、水面に茎の影がすっきり立っています

遠くには池の真ん中にある弁天様です(弁天様にも参拝者が池を渡る橋の上まで並ばれていました) 

弁天様の向かいにある茶屋を過ぎると右手に目的地の看板が見えます

今日の最終目的地は「五條天神社」さんと「花園神社」さんです! 

五條天神社さんは「医薬祖神」として1890年程前に創建され

「大己貴命(大国主命・大黒様)と少彦名命」をお祀りしています

更に菅原道真(菅公)は江戸時代に合祀されたそうです 

(大国主命と少彦名命は神田明神で、菅公は湯島天神でもお祀りされていました。今日はそればっかり~と思っていたら、実は)

五條天神社さんは日本武尊が東夷征伐の折

上野忍が岡を通る時に薬祖神(大国主命と少彦名命)のご加護に感謝され、お祀りされました

(日本武尊は妻恋神社でも同じような逸話がありましたね?ホントに今日はそればっかり~!!!??? ご縁でしょうか?)

 

五條天神社は何度か社地を転々としたと言います

藤原道真が合祀されているせいか、獅子の台座には梅のデザインが見えます 

こちらの獅子のたてがみはキレイにカールしています 

6月末と12月末に設置される心身の穢を祓うためにくぐる茅草で出来た輪っかで出来ています

くぐり方は「くぐって左に回る→くぐって右に回る→くぐって左に回る→くぐって拝殿へ進む 」です

写真には写ってはいませんが私たちの周りには外人さんたちが数人いらして「一体どうやるんだ?」と興味津々で見ていました 

  

大国主命が正妻と駆け落ちする時に義父(素戔嗚尊)から盗んだ「生太刀・生弓矢・天沼琴」

太刀と弓矢は普通の武器ではなく、「生太刀」で切ると病や傷が治り「生弓矢」で射れば死者が蘇るというもの

それを模してここでは手のひらサイズの「生弓矢」を授与して頂けます

  

毎月10日に医薬祭があり、病気平癒・健康祈願の祈祷をしてくれます

健康祈願形代という紙の人形に住所・氏名・年齢を書いて納めると、それを依代として祓ってもらえます

今回は自分ではなく、入院している父の人形をお願いしました (何卒よろしくお願いします!)

ご祈祷をお願いするとご神饌が頂けます

ここにも梅の花! 

娘が頂いた五條天神社の朱印 ここではハンコでした 

  天神様では有名な「鷽替」

鷽替は正月三が日&1月25日に授与されます

これは菅公由来の厄払い行事で、去年までの鷽を納めることで罪を滅ぼし嘘(新しい鷽)に替える

本物は宮司さんによってヒノキの一刀彫りだそうです

私は節分の日に頂ける無病息災「うけら餅」が戴きたいなぁ  

同じ敷地に花園稲荷神社さんがあるので、そちらも参拝させて頂きます その5に続く~


神田明神・妻恋神社・湯島天神・五條天神社・上野花園神社・穴稲荷!その3

2014年01月06日 | 日記

神田明神随身門を出てからすぐに右折し、突き当たりをまた右折 

蔵前橋通りと交差する清水坂下交差点を直進します

その辺りから「吉夢」の看板や「妻恋神社」のノボリが目立ちます 

「吉夢(よいゆめ)」とは妻恋神社の授与品で

初夢でその都市の吉凶を占う古い言い伝えがありますが、その時に枕の下に敷く宝船の絵のことです

江戸時代にあった霊山寺の跡地に旗本屋敷があったそうです

明治になり、そこは「清水」という精機会社の所有になります

湯島と御茶ノ水間の不便な交通解消のために清水精機会社が土地を提供し道を整備したのが、この「清水坂」

ということは「きよみず」坂ではなく「しみず」坂と発音することになるのかな? 

3が日を過ぎてしまっていたので社務所は閉まっていました

妻恋神社さんは、日本武尊の逸話に関係しています

日本を平定する旅の途中、日本武尊は千葉に船を出した際に暴風雨に遭います

船に同乗していた妻の弟橘媛命が入水し人身御供となったため、海は鎮まり無事房総に着きました

妃を恋しく想った尊は湯島に立ち寄った時、地元の人達が尊と妃を想いお祀りしたのがこの神社だそうです

こちらのお稲荷さんは、元々この地で稲作をしていたので五穀の神として稲荷神が合わさったとのこと 

小さい祠ながらお稲荷さんにしては珍しく優しい感じがします 

妻恋神社さんから上の春日通り方面に歩くと・・・ 

既に行列が!? 150~200m位? 最後尾に並び、横5人の列でゆっくりゆっくり進みます 

その間にも人が列に並びどんどん長くなっています

やっと銅鳥居まで進みました! 

境内外には去年まであった屋台がなくなっていました (ι´・ω・`;)...ンー 楽しみの一つなのにな 

更に人出が多いためか?手水舎とナデ牛に覆いがかかり、使えなくなっていました ショーック!!

湯島天神さんは元々458年に「天之手力雄命」を祀ったのが始まりと言われています

そこに藤原道真(菅公)を一緒に祀ったことで湯島「天神」と呼ばれるようになりました

社殿の正面は天神様のお使い「牛」が子連れで彫られています

周りにはこれも菅公と対で有名な「梅」もあります  「飛梅」ですね~

太宰府天満宮の飛梅は「白梅」なのだそうです 

それにちなんでか?湯島の白梅も有名です 

この日はいくつか蕾もほころんでいました

若い頃は白い梅は何だか寂しく思えたものですが、今ではもちろん赤もキレイですが白梅も清楚で良いと思えるようになりました  

受験生と親御さんなのでしょう 絵馬にお願いごとを書いて奉納されています 

奉納する絵馬が多すぎて板が重なっているために膨らんでいます 

我が家の受験生は私との関係が今年に入ってからギクシャクしているので同行していませんが、どこかに受かってくれー!

一緒に参拝した長女が戴いた朱印です

朱印帳を貰いたい人は代表者1人だけが並ぶように求められ、私は一人列から外れて待つことになります

ということで、境内で売っていた合格大福餅! 塩大福・よもぎ大福・白あん大福が入っています

現在、私とのコミュニケーションはしない末娘ですが、自宅の机上にあるこの大福をぱくついていました

 

本殿裏手にある、笹塚稲荷・戸隠神社さんにもお参り

それぞれ宇迦之御魂命・天之手力雄命をお祀りされています

戸隠神社さんは卍型の手裏剣のマークが使われていました  

天之手力雄命は忍者と何か関係があるのかしら?   これから上野のお山に向かいます その4に続く~