「八尾(旧町)」「安養寺」(八尾) 「笹鉾山古墳群」
1.「八尾(旧町)」
八尾は古くは鏡作り郷の中心地であり、下ッ道(中世の中街道)が通る今里の浜から田原本への物資の輸送経路の途中に当る要害地に成ります。
下ッ道周辺の職人や商人、医師などが多く集まる地域を常磐町、西の農業を中心とした集落を本村と呼び、合わせて「八百村」と呼んでいました。
江戸時代には、田原本藩では無く、大和郡山藩の領有地に成りおおよそ90町歩を有する巨大な集落でした。
近年住宅化が進み、戸数が増えて、八尾、新八尾第一、西八尾、南八尾、八尾池ノ内の5つの自治会に分割されて居ます。
歴史的な建造物や遺産は殆ど八尾(旧村)地区に集中して残って居ます。
鏡作り神社や安養寺を有する八尾地区は古い歴史を持つと共に、広い土地と利便性から近年急速に住宅が増え この地域だけで戸建住宅、千五百戸を数えます、今は新旧住み分けって言う感じでしょうか。
街道筋には旧家が多く、その反面少し奥に入ると入り組んだ迷路のような路地が巡る不思議な場所。
旧の住宅地の西の端、少し南寄りに薬師堂が有り、本尊の薬師如来座像は室町時代後期の作。
その両脇に観世音菩薩と勢至菩薩の座像、横に12神将の立像が並んでいます。何れもこの地に在った文応寺の物と思われて居ます。
この薬師堂を少し北東に曲がりくねって行った所に大日堂が有ります。
由緒等詳しくは解りませんが、鎌倉前期の大日如来座像を始め、室町前期の阿弥陀如来立像、役の行者像などが祀られて居ます。
また、安養寺の少し北、街道筋に地蔵堂が有りお堂は半分に仕切られ、片方に首切り地蔵なる物が鎮座、こちらはよくある話ですが、片方に阿弥陀如来座像が祀られて居ます。
1.「八尾(旧町)」
八尾は古くは鏡作り郷の中心地であり、下ッ道(中世の中街道)が通る今里の浜から田原本への物資の輸送経路の途中に当る要害地に成ります。
下ッ道周辺の職人や商人、医師などが多く集まる地域を常磐町、西の農業を中心とした集落を本村と呼び、合わせて「八百村」と呼んでいました。
江戸時代には、田原本藩では無く、大和郡山藩の領有地に成りおおよそ90町歩を有する巨大な集落でした。
近年住宅化が進み、戸数が増えて、八尾、新八尾第一、西八尾、南八尾、八尾池ノ内の5つの自治会に分割されて居ます。
歴史的な建造物や遺産は殆ど八尾(旧村)地区に集中して残って居ます。
鏡作り神社や安養寺を有する八尾地区は古い歴史を持つと共に、広い土地と利便性から近年急速に住宅が増え この地域だけで戸建住宅、千五百戸を数えます、今は新旧住み分けって言う感じでしょうか。
街道筋には旧家が多く、その反面少し奥に入ると入り組んだ迷路のような路地が巡る不思議な場所。
旧の住宅地の西の端、少し南寄りに薬師堂が有り、本尊の薬師如来座像は室町時代後期の作。
その両脇に観世音菩薩と勢至菩薩の座像、横に12神将の立像が並んでいます。何れもこの地に在った文応寺の物と思われて居ます。
この薬師堂を少し北東に曲がりくねって行った所に大日堂が有ります。
由緒等詳しくは解りませんが、鎌倉前期の大日如来座像を始め、室町前期の阿弥陀如来立像、役の行者像などが祀られて居ます。
また、安養寺の少し北、街道筋に地蔵堂が有りお堂は半分に仕切られ、片方に首切り地蔵なる物が鎮座、こちらはよくある話ですが、片方に阿弥陀如来座像が祀られて居ます。
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