「薬王寺(やっこうじ)」
田原本旧町のすぐ東側に薬王寺と言う少し大きな集落が有ります。
集落の中程に領主の平野氏が陣屋建造中に仮住まいをした庄屋屋敷が継承されて居ます。
又、集落の中央を通っていたであろう太子道(筋交い道)の名残りがほんの少しだけ残って居ます。
この地は、天武天皇の時代に創建された七堂伽藍を有する大寺、薬王寺が有った所とされます。
黄檗宗(おうぼくしゅう)瑠璃光山(るりこうざん)王寺の名が残って居ますが、本尊が薬師如来であったので、寺名を薬王寺といったそうです。江戸時代中期には廃寺で有った物を領主の平野氏が再建するも、明治の神仏希釈で明治四年に廃寺(はいじ)となるが、その後再興されるも、昭和二十年ごろ再び廃寺となる。
現在数基の石塔が残る。
集落の西の端近くに有る蓮休寺は、むかし、蓮如上人が大和へこられ、吉野郡飯具の本善寺へ通行の際にここの道場に立ち寄られ、自書の一軸をのこされた事から連休時と名付けられたとか。
薬王寺の後を継いだとも言われて居ます。
連休寺の前に有る八幡神社には、樹齢五百年を超す大楠木が一本でまるで森の様に拝殿を覆い尽くす様にそびえ立って居て、県の天然記念物にも指定されて居ます。
田原本旧町のすぐ東側に薬王寺と言う少し大きな集落が有ります。
集落の中程に領主の平野氏が陣屋建造中に仮住まいをした庄屋屋敷が継承されて居ます。
又、集落の中央を通っていたであろう太子道(筋交い道)の名残りがほんの少しだけ残って居ます。
この地は、天武天皇の時代に創建された七堂伽藍を有する大寺、薬王寺が有った所とされます。
黄檗宗(おうぼくしゅう)瑠璃光山(るりこうざん)王寺の名が残って居ますが、本尊が薬師如来であったので、寺名を薬王寺といったそうです。江戸時代中期には廃寺で有った物を領主の平野氏が再建するも、明治の神仏希釈で明治四年に廃寺(はいじ)となるが、その後再興されるも、昭和二十年ごろ再び廃寺となる。
現在数基の石塔が残る。
集落の西の端近くに有る蓮休寺は、むかし、蓮如上人が大和へこられ、吉野郡飯具の本善寺へ通行の際にここの道場に立ち寄られ、自書の一軸をのこされた事から連休時と名付けられたとか。
薬王寺の後を継いだとも言われて居ます。
連休寺の前に有る八幡神社には、樹齢五百年を超す大楠木が一本でまるで森の様に拝殿を覆い尽くす様にそびえ立って居て、県の天然記念物にも指定されて居ます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます