三世間とは、五陰世間、衆生世間、国土世間の三つをいいます。「世間」とは差異・差別のことで、十界の差異は、この三つの次元に現れます。
五陰世間の五陰とは、色陰・受陰・想陰・行陰・識陰のことで衆生の生命を構成する五つの要素をいいます。五陰の「陰」とは“集まり”の意味です。「五陰仮和合」といって、一切の衆生はこの五陰が集まって成立しているとされます。
「色陰」とは、生命体を構成する物質的側面。
「受陰」とは、知覚器官である六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)を通して外界を受け入れる心的作用。
「想陰」とは、受け入れたものを心に想い浮かべる働き。
「行陰」とは、想陰に基づいて想い浮かべたものを、行為へと結びつける心の作用、すなわち意思や欲求の働き。
「識陰」とは、色陰・受陰・想陰・行陰の作用を統括する根本の心的活動、すなわち認識・識別する心。要するに、衆生の心身が五陰であり、五陰の働きが十界によって異なることを「五陰世間」といいます。この五陰が一体となっているのが、それぞれの衆生であり、「衆生世間」とは衆生にも十界の差異があることをいいます。
そして、衆生の住する国土・環境にも衆生の生命境涯に応じて十界の差異が現れることを「国土世間」といいます。
五陰世間の五陰とは、色陰・受陰・想陰・行陰・識陰のことで衆生の生命を構成する五つの要素をいいます。五陰の「陰」とは“集まり”の意味です。「五陰仮和合」といって、一切の衆生はこの五陰が集まって成立しているとされます。
「色陰」とは、生命体を構成する物質的側面。
「受陰」とは、知覚器官である六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)を通して外界を受け入れる心的作用。
「想陰」とは、受け入れたものを心に想い浮かべる働き。
「行陰」とは、想陰に基づいて想い浮かべたものを、行為へと結びつける心の作用、すなわち意思や欲求の働き。
「識陰」とは、色陰・受陰・想陰・行陰の作用を統括する根本の心的活動、すなわち認識・識別する心。要するに、衆生の心身が五陰であり、五陰の働きが十界によって異なることを「五陰世間」といいます。この五陰が一体となっているのが、それぞれの衆生であり、「衆生世間」とは衆生にも十界の差異があることをいいます。
そして、衆生の住する国土・環境にも衆生の生命境涯に応じて十界の差異が現れることを「国土世間」といいます。