KIND OF BLUE

「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなれ」

苦学の青春――教育者への道程

2010-12-04 | 初代会長 牧口常三郎
牧口は明治4年(1871年)6月6日(旧暦)、現在の新潟県柏崎市荒浜に、父・渡辺長松と母・イネの長男として生まれます。父・長松の消息が途絶えたため、6歳で叔母の嫁ぎ先であった牧口善太夫の養子となりました。
14歳のころ、荒浜と交流の深かった北海道に渡ります。小樽警察署の給仕として働きながら時間さえあれば読書・勉強する姿に、署員たちは「勉強給仕」と呼 び親しんだとも伝えられます。18歳で北海道尋常師範学校に入学するまでの苦学の体験は、教育の機会に恵まれない子どもや女性への目を向けさせ、その後の 女性向けの通信教育(大日本高等女学会)や半日学校制度の提唱へと昇華されます。
師範学校の卒業後は、同校付属小学校の訓導をへて、28歳の若さで同師範学校教諭兼舎監に就任。多数の教育論文を執筆し、若くして北海道教育会の評議員に選出、同会幹事になるなど北海道の教育界に将来を嘱望される存在となっていきました。
               
             明治26年、小学校の訓導に(2列目の右から3人目)