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KIND OF BLUE

「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなれ」

七譬

2010-08-03 | 法華経について
法華経では譬えを用いて法理を分かりやすく説いており、次に挙げる代表的な七つの譬えを「七譬」といいます。

1「三車火宅の譬え」(譬喩品第三)
ある国の長者の家に火事が起こった際、中で遊んでいた子供たちに、長者が門外にある三車(羊車・鹿車・牛車)を与えると言って救出し、実際には三車に勝る大百牛車を与えます。三車は三乗、大百牛車は一仏乗を譬え、更に長者は仏、子供は一切衆生を譬えています。

2「長者窮子の譬え」(信解品第四)
幼少の時に家を出たまま、困窮して諸国を放浪していた長者の息子が、父である長者の城に至り、その城で長者の子供であることを知らずに掃除夫として働くことになります。息子は二十年間、真面目に仕事をして信用を得、長者の財産の管理を任せられるまでになります。そのうち臨終の近づいた長者は親族・国王・大臣などの前で、この息子が自らの子供であることを明かし、一切の財産を譲ることを宣言します。長者は仏、息子は仏子であることを知らない凡夫(経文上は二乗)を譬えています。

3「三草二木の譬え」(薬草喩品第五)
同一の雨は平等に大地を潤しますが、その雨を受ける草木は、上中下の草(三草)や、大小の樹木(二木)などさまざまであり、その種類に従って生長していきます。 衆生に機根の相違があっても、仏の説法は平等であり、すべての衆生を一仏乗に導いていくことを譬えています。

4「化城宝処の譬え」(化城喩品第七)
宝処を志して遠路を旅しながら、途中で疲れ果てて旅を断念しようとする人々に対し、導師が神通力で一つの城をつくり、これが目的地であるといって人々を励まします。そして、城で休息し、そこが目的地であると思っている人々に対し、導師はこの城は目的地ではなく、一時の休息のための化城であり、真実の目的地である宝処は近いと励まして、ついに長途の旅を成功させます。化城は方便の教えである三乗、宝処は一仏乗を意味し、仏が衆生の機根に応じて三乗の教えを説きながら、衆生を一仏乗の真実の悟りの境地に導いていくことを譬えています。

5「貧人繋珠の譬え(衣裏珠の譬え)」(五百弟子受記品第八)
親友の家を訪問したある人が、酒をもてなされ、酔って寝てしまいます。親友は出かけなければならなくなり、眠っている友人の衣服の裏に無価(無上の価値があること)の珠を縫い込んで外出します。酔いから覚めた友人は、宝を持っていることに気づかず、貧窮して諸国を放浪した後、たまたまその親友と再会しますが、親友は友人のみすぼらしい姿を見て驚き、衣服の裏に無上宝珠があることを教えます。 衣裏珠とは一切衆生がもっている仏性を譬え、貧窮する友人は自身の内に仏界があることに気がつかない凡夫を譬えています。

6「髻中宝珠の譬え(頂珠の譬え)」(安楽行品第十四)
転輪聖王は戦いに勲功のあった者に城や衣服、金銀などの財宝を与えてきましたが、髻の中の無上宝珠(髻中宝珠)だけは与えませんでした。髻中宝珠とは法華経を譬え、髻の中の宝珠を誰にも与えなかったのは、仏が爾前権教を説く間、実教を説かなかったことを譬えています。

7「良医病子の譬え(譬如良医の譬え)」(如来寿量品第十六)
多くの病気を治す良医に百人もの子供がいました。ある時、良医が遠い他国に旅に出た留守に、子供たちは毒薬を飲んでしまい、苦しさのあまり、地に転げ回ります。そこに父である良医が帰ってきて、すぐに良薬を調合して子供たちに与えます。子供たちの中で本心を失っていない者はこの良薬を飲んで治りますが、毒のために本心を失っている者は良薬を見ても疑って飲もうとしません。そこで良医は方便を設け「この薬をここに置いておくからお前たちは取って飲みなさい」と言い残し、他国に旅立ちます。そして使者を子供たちの所に遣わし、父である良医が亡くなったと告げさせます。子供たちはその知らせに嘆き悲しみ、毒気から醒めて本心を取り戻し、残された良薬を飲んで病を治すことができました。良医は仏、子供は衆生に譬えられます。毒薬を飲むとは邪師の法を信受することをいい、本心を失うとは、これまでに積んできた善根を失うことを指します。良医が死を告げさせたというのは、仏が実は滅していないのに方便のために入滅の姿をとることを指し、子供たちが目覚めたとは仏法の利益を得たことを表しています。

不軽菩薩

2010-08-02 | 法華経について
仏の滅後の悪世に、正法を弘通する実践の在り方を示したのが、不軽品第二十に説かれる不軽菩薩の実践です。
不軽菩薩は、釈尊の過去世の修行の姿で、「二十四文字の法華経」を説き、一切衆生を礼拝し続けました。
二十四文字の法華経とは、法華経の経文上の文字が漢字で二十四文字あることから名づけられたもので、その内容は次の通りです。
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし(私は深くあなたたちを敬い、決して軽んじない。なぜかといえば、あなたたちは皆菩薩の道を行じて成仏することができるからである)」
ここには、万人の生命には仏性が内在しているゆえに、ありとあらゆる人の生命を敬うという法華経の思想が端的に示されています。不軽菩薩も、この「二十四文字の法華経」を説きながら、増上慢の人々から杖で叩かれたり石を投げられたりしても礼拝行を貫き通し、その功徳で仏になったのです。 悪世末法は、「争い」の時代でもあります。その争いの時代を変革するためには、一人ひとりが「自他の仏性」を信じ、「人を敬う」行動を続ける以外にありません。「人を敬う」という、人間としての最高の振る舞いを説き、万人が同じ実践を貫くように教えたのが仏教です。
日蓮大聖人は、人の振る舞いについて次のように仰せです。
「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(御書1174ページ)
自他の仏性を信じ、顕していく不軽菩薩の実践に象徴されるような「人の振る舞い」こそが仏法の目的であることが明確に示されています。

結要付嘱

2010-07-31 | 法華経について
法華経では、万人成仏を実現していく使命が、釈尊から弟子たちに託されます。これが、虚空会の説法の中で示された法華経の主題です。とりわけ悪世に、この法華経を、誰が弘めていくのかが、一番の関心事となっていました。悪世というのは、仏法の教えが混乱して救済力が失われる時代、つまり末法のことにほかなりません。
虚空会の説法では、例えば、三類の強敵(法華経を弘通する人を迫害する3種類の強敵)などが説かれます。そして、悪世に法華経を弘めることが、どれだけ困難極まりないものかが示されていきます。それでも、さまざまな困難を乗り越え、あらゆる国土から集まった菩薩たちは、“私たちが法華経を弘めていきます”と、次々に名乗りをあげました。
しかし、その菩薩たちを退けて、釈尊は別の菩薩たちを、大地の下から呼び出します。これが、地涌の菩薩です。久遠実成によって釈尊の真実の境地が示されますが、その釈尊が、久遠の昔に成仏した時からずっと教え育んできたのが地涌の菩薩なのです。
そして釈尊は、地涌の菩薩に対して、仏の一切の法と実践を付嘱します。「付嘱」とは、仏から、教えの肝要と、滅後の弘教(法華経を弘めること)を進める“使命”を託されることをいいます。
神力品第二十一において、この地涌の菩薩を代表して、そのリーダーである上行菩薩に未来の広宣流布を託すのです。これを「結要付嘱」といいます。
さらに嘱累品第二十二では、地涌の菩薩以外の菩薩を含めて一切の菩薩らに付嘱がなされます。
しかし、こうした付嘱のあり方が示しているのは、釈尊の滅後、特に悪世末法に正法を弘める“主役”はあくまでも地涌の菩薩にほかならないということです。

久遠実成

2010-07-30 | 法華経について
法華経本門の中心的な法理は「久遠実成」です。この久遠実成は、寿量品第十六の中で説かれます。
すなわち、「我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と説かれます。これによって、釈尊が今世ではじめて成仏した(始成正覚)というこれまでの考え方を打ち破り、釈尊は実は五百塵点劫というはるか久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界に常住してきた仏であることが明かされます。
爾前経や法華経迹門までは、人々はだれもが、釈尊はインドの国に王子として生まれ、出家し、修行の末にブッダガヤの菩提樹の下で初めて仏になったと信じていました。これは、釈尊が過去世に長い間、仏道修行を積み重ねて、今世で初めて成仏したという始成正覚の考え方です。久遠実成は、そうした従来の釈尊像を根本的に覆すものです。
寿量品では、釈尊が成仏して以来の長遠な期間が、ほとんど無限といってよいほど長いことが五百塵点劫の譬えをもって説明されています。
また、釈尊は、「私が、もと菩薩の道を実践して(我本行菩薩道)、成就したところの寿命は、今なお尽きていない」と示します。
久遠実成の仏は、今なお菩薩道を実践している??このことが意味することは、仏界の生命が常住であるとともに、九界の生命も常住であるということにほかなりません。
すなわち、久遠実成の釈尊とは、仏になってからも十界の生命を具え、その十界のすべてを総動員して民衆救済の慈悲の実践を続ける仏です。

虚空会

2010-07-29 | 法華経について
見宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二まで、虚空(空中)において説法が展開されたことをいいます。
見宝塔品第十一の冒頭で、高さ五百由旬(一由旬とは帝王の一日の行軍距離を指し、その長さについて諸説あるが、一説によれば五百由旬は地球の半径ほどの距離になる)、縦広二百五十由旬に達する巨大な宝塔が大地より出現し、空中に浮かんだと説かれています。
金、銀などの七宝で飾られているこの宝塔のなかから、“釈尊が説いている法華経は皆真実である”という声が聞こえます。いぶかる大衆に釈尊は、このなかにおられるのは多宝如来であると教えます。そして、ぜひ多宝如来の姿を拝見したいという大衆の求めに応じて釈尊は扉を開き、多宝如来の招きで内に入ります。そして神通力をもってすべての会座の人々を空中に浮かばせます。こうして法華経の会座はそれまでの霊鷲山から虚空に移ったのです。
過去の仏である多宝如来が現在の仏である釈尊と並座し、また十方の分身の諸仏が虚空会に来集したということは、虚空会が時間・空間の枠を超えた永遠の世界を象徴していることを表しています。つまり虚空会とは、仏の悟りの世界を表しているのです。
見宝塔品の後半から嘱累品に至る虚空会の説法において、地涌の菩薩が出現するとともに釈尊の本地が明かされ、更には地涌の菩薩に対する付嘱が説かれます。このように虚空会では、法華経の中でも特に重要な内容が展開されているのです。
また、見宝塔品の冒頭で出現した宝塔の意義について、日蓮大聖人は「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(御書1304ページ)と、妙法を受持した衆生の当体こそ宝塔にほかならないとされています。つまり宝塔は、一人一人の生命に内在する仏の生命の荘厳さを表現しているといえます。
更に大聖人は「此の御本尊は在世五十年の中には八年・八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり」(同1243ページ)と仰せられ、この虚空会の姿そのままに、御自身の内に悟られた仏の生命を漫荼羅本尊として顕されたのです。

開三顕一

2010-07-28 | 法華経について
「開三顕一」とは、「三乗を開いて一乗を顕す」と読み、方便品から始まる法華経迹門の中心的な説法の内容を要約した言葉です。三乗とは声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三つをいい、それぞれ、声聞のための教え、縁覚のための教え、菩薩のための教えという意味です。乗とは、教法を、苦しみの境地から悟りの境地に到達させる乗り物に譬えたものです。また一乗とは、唯一の教えという意味で、仏の唯一の教えは、”仏に成るための教え”なので仏乗とも一仏乗ともいいます。
法華経以前の爾前経では、人々の機根に応じて、さまざまな修行の在り方や目指すべき境涯が示されました。
爾前経に説かれたこれらの教法は、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の「三乗」に立て分けることができます。 このうち、小乗教で説かれた声聞乗と縁覚乗を合わせて「二乗」といいます。また、これらの教法を修行する人々のことも「二乗」といいます。
法華経以前の権大乗教では、これらの「二乗」は自分だけの悟りにとらわれるので成仏の種を断じ尽くすと弾呵し、利他の修行を行ずる菩薩乗を強調しました。しかし、権大乗教に説かれるこの菩薩乗も、成仏に至るまでに多くの段階的な位が設けられており、歴劫修行といって気の遠くなるような長遠な期間の修行が必要であるとされていました。このため仏の境涯は衆生にとって隔絶されたものだったのです。
法華経方便品第二では諸法実相・十如是の法理を明かしました。これは、あらゆる衆生の生命に共通の法が具わることを示して、いかなる衆生も妙法を信解すれば直ちに仏になれることを明かしたのです。そして「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう」と説きました。
譬喩品第三以降で、この法理を信解した二乗の衆生に成仏の「授記」を与えています(二乗作仏)。これまでに説いた「三乗」の法は仏の真意ではなく、「一仏乗」の法こそが仏の本意であると明かしたのです。これを「開三顕一」といいます。

諸法実相

2010-07-25 | 法華経について
法華経迹門の中心的法理は「諸法実相」と「二乗作仏」です。この諸法実相は、方便品第二の中で説かれます。
諸法実相の「諸法」とは、この現実世界において、さまざまな姿をとってあらわれている“すべての現象”です。「実相」とは“究極の真理”です。
この諸法と実相とが別々のものではなく、諸法はそのまま実相の現れであり、実相は決して諸法から離れてあるものではないとするのが諸法実相です。
方便品では、諸法がすべて十如是の姿をとっていることを示して実相を指し示しています。しかし、日蓮大聖人は実相とは妙法蓮華経であると明確に明かされています。
すなわち「諸法実相抄」で「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」(御書1358ページ)と言われています。
ここで「下地獄より上仏界までの十界の依正」が諸法にあたり、「妙法蓮華経」が実相にあたることは言うまでもありません。
この諸法実相が説かれたことによって、十界の衆生はすべて妙法蓮華経(実相)の当体として平等であることになります。
諸法実相という万人が成仏できる原理を踏まえて、これまで法華経以前の経典では成仏できないとされてきた二乗の成仏が迹門では強調されていきます。また、この万人成仏の原理から、同じく法華経以前の経典で否定されてきた悪人成仏、女人成仏が明かされていきます。

法華経のあらすじ

2010-07-22 | 法華経について
法華経迹門の中心となる法理は方便品第二に説かれている「諸法実相」です。また、譬喩品第三から人記品第九までで最も強調されているのは「二乗作仏」(二乗の成仏)です。これらの教えによって、一切衆生の成仏を可能にする十界互具・一念三千の原理が明らかになります。
法華経法師品第十からは、釈尊入滅後の未来、とりわけ末法に、この法華経をだれが弘通するのか、だれが悪世に生きる人々を救うのかというテーマのもとで展開していきます。
まず宝塔品第十一で、7種の宝で飾られた巨大な宝塔が大地から涌現して空中に浮かびます。その宝塔の中にいた多宝如来が、釈尊の法華経の説法は真実であることを証明します。続いて十方の仏土、すなわち全宇宙から一切の仏や菩薩が来集します。そして、釈尊が宝塔の中に入り、多宝如来と並び座ります(二仏並坐)。法華経の説法の場である霊鷲山にいた大衆も、仏の神通力によって虚空(=空中)に浮かび、虚空での説法が始まります。 ここで釈尊は、釈尊滅後の悪世における法華経の弘通を勧めます。そのなかでも、宝塔品では「六難九易」を説いて悪世に法を弘通することがいかに困難であるかを示して、滅後悪世の弘通を菩薩たちに勧めています。
また、勧持品第十三では、悪世に法華経を弘通する者を迫害する「三類の強敵」が出現することが示されます。そうした大難を覚悟して多くの菩薩たちが弘通を誓いますが、釈尊はそれを制止し、涌出品第十五で滅後弘通の真の主体者として無数の「地涌の菩薩」を大地の下方から召し出します。ここに、地涌の菩薩こそが釈尊滅後の法華経弘通を託された存在であることが明らかになります。この地涌の菩薩の出現から、本門が始まります。
そして、釈尊は寿量品第十六で久遠実成を説いて真実の仏の境地を明らかにしたうえで、神力品第二十一で、地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩に法華経の肝要を付嘱し、未来を託します。
この付嘱の儀式の後、舞台は再び霊鷲山に戻り、薬王・妙音・観世音・普賢菩薩などの振る舞いを通して、人々を救う菩薩の姿が説かれます。また、薬王品第二十三などで後五百歳(末法)に一閻浮提(全世界)に法華経が広宣流布することを予言し、さらには、諸天善神が正法を弘通する者を守護することを誓い、法華経の説法が終了します。
宝塔品第十一から嘱累品第二十二までの十二品は、虚空で説法が行われるので、これを「虚空会」といいます。これに対して法師品第十以前と薬王品第二十三以後は、霊鷲山で説法が行われます。霊鷲山と虚空という二つの場所で3回の説法の集まりがありますので、これを「二処三会」といいます。

法華経とは

2010-07-19 | 法華経について
釈尊の説いた仏教の教えは、さまざまな経典として残されていますが、「万人の成仏」を実現する完全な教えを説いた経典が「法華経」です。他の経典は部分的な教えにとどまっています。例えば、爾前経(=法華経以前のさまざまな経典)では、声聞・縁覚の二乗や、女人や悪人は成仏できないと説き、一切衆生の成仏を明かしていません。
法華経は八巻二十八品(章)から成り立っています。 天台大師(=6世紀の中国で法華経を宣揚した人)は、この二十八品のうち、前半十四品(序品第一~安楽行品第十四)を「迹門」、後半十四品(涌出品第十五~普賢品第二十八)を「本門」と分類しました。

釈尊

2010-07-17 | 法華経について
釈尊は、現在のネパール王国のインド国境付近で、父の淨飯王、母の王妃摩耶の間に、釈迦族の王子として誕生しました。出家前の名前はシッダールタと言い、釈尊という呼び名は、「釈迦族出身の尊者」を意味する「釈迦牟尼世尊」の略です。
釈尊が生まれた当時のインド社会では、種々の神々を祭る伝統的な宗教(バラモン教)が重んじられていました。そこでは、厳格な身分制度があり、そのトップに立っていたのが聖職者階級であるバラモンですが、このバラモン自体が腐敗、堕落し、新しい思想・哲学が次々と生まれてきたのです。
そんな中、若き釈尊は、「生老病死」という人間にとって根源的な苦悩を、いかにすれば解決できるか、という大きな疑問を抱き、一説によれば十九歳の時に出家しました。そして、種々の思想家たちに学び、さまざまな「苦行」にも励んで自らの肉体を痛めつけましたが、得るものはありませんでした。
やがて釈尊は、ガヤ(俄耶)という街の郊外の木の下で、一人、瞑想を続け、悟りを阻もうとする「魔」の働きと戦いながら、ついに「永遠の生命の法」を自身の内に見ました。一説に三十歳の時です。
この法とは、“宇宙と生命を貫く根源の法”です。仏教は、この宇宙根源の法が自身の生命の中に内在していると説く点に、大きな特徴があります。
また、釈尊はブッダとも呼ばれていますが、「ブッダ」とは、「(真理に)目覚めた人」という意味です。釈尊は、宇宙と生命を貫く根本の法に目覚めたので「ブッダ」と讃えられたのです。このブッダの音を中国では漢字で「仏陀」と写し、日本語では「ほとけ」となりました。
仏法とは、仏が悟った法であるとともに、万人をブッダ(仏)にする法でもあります。つまり、釈尊が悟り、万人の胸中に秘められた「生命の法」にあらゆる人々を目覚めさせて、根本の苦悩を解決するための法です。
釈尊はまず、当時の文化・宗教の中心地であった波羅奈国(現在のバラナシ〈ベナレス〉)へ赴き、郊外の鹿野苑(現在のサールナート)で、最初の説法を行います。釈尊は、出家在家、老若男女を問わず、分け隔てなく仏法を語り弘めましたが、これは画期的なことでした。
当時のインドの思想家たちは、弟子となった人にだけ教えを説くという秘密主義をとるのが普通でした。釈尊は、そうした閉鎖性を打ち破り、万人の幸福のために、“人間の中へ”飛びこんで仏法を説き始めたのです。
やがて釈尊のもとには、彼を慕って大勢の弟子が集まります。そのうち代表的な弟子は智慧第一の舎利弗をはじめとして「十大弟子」と呼ばれています。釈尊は、弟子たちにも法を説いていくよう促し、王や有力な商人などの帰依を集めるようになりました。 しかし一方では、釈尊の名声を妬む人々も現れ、様々な妨害が起こりました。
釈尊が生涯のなかで経験した大難は九つあります。これを「九横の大難」といいます。 しかし釈尊は、人々を幸福の軌道から踏み外させる「悪」とは敢然と戦い、大難を乗り越えていきます。
弟子を育てながら、最後まで弘教の旅を続けた釈尊は、死を目前にして、「私は、皆に、わけへだてなく、いっさいの法を説いてきた。まことの仏陀の教えというのは、奥義や秘伝などといって、握り拳のなかに、何かを隠しておくようなことはないのだ」と、悟りのすべてを説き切ったことを宣言しました。
さらに釈尊は、弟子たちが「正しい教え(法)」と「自分自身」を拠り所としていくべきことを教え、「すべては過ぎ去ってゆく。怠りなく励み、修行を完成させなさい…」との言葉を最後に、倶尸那城(クシナーラー)の近くで、八十年とされる生涯を閉じました。釈尊の葬儀は生前の教えにしたがって、出家者は関与せず、在家の人々によって行われました。
仏教は、その誕生から「万人に開かれた宗教」でした。釈尊は、万人にあてはまる真理、すなわち「生命の法」を万人の胸中に花開かせるために、それを阻む「悪」と戦いながら、仏法を弘め続けたのです。