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KIND OF BLUE

「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなれ」

願兼於業

2010-07-07 | 宿命転換の原理
苦難に直面しても信心を貫いて宿命転換する人にとっては、人生の意味が大きく変わります。それを示すのが、「願兼於業」(願いが業を兼ねる)の法理です。これは法華経の中に説かれていますが、偉大な福運を積んだ大乗の菩薩が、悪世で苦しむ人々を救うために、自らの清浄な業の報いを捨てて、悪世に生まれることを願うのです。
この場合、菩薩としての願いの力で悪世に生まれるのですが、業によって悪世に生まれた人と同じように悪世の苦しみを受けるので「願いが業を兼ねる」というのです。逆に言えば、信心で難を乗り越える人にとっては、悪世に生きて苦難を受けるのは決して宿命ではなく、実は人を救う菩薩の誓願のゆえであることになります。
この願兼於業の生き方を、池田名誉会長は「宿命を使命に変える」とわかりやすく示しています。
「誰しも宿命はある。しかし、宿命を真っ正面から見据えて、その本質の意味に立ち返れば、いかなる宿命も自身の人生を深めるためのものである。そして、宿命と戦う自分の姿が、万人の人生の鏡となっていく。
すなわち、宿命を使命に変えた場合、その宿命は、悪から善へと役割を大きく変えていくことになる。『宿命を使命に変える』人は、誰人も『願兼於業』の人であるといえるでしょう。
だから、全てが、自分の使命であると受け止めて、前進し抜く人が、宿命転換のゴールへと向かっていくことができるのです」

転重軽受

2010-07-05 | 宿命転換の原理
私たちは信心に励んでいても人生の苦難に直面することがあります。また、広宣流布のために戦うと、障魔が起こり、難にあうこともあります。日蓮大聖人は、このような苦難は、むしろ「転重軽受」の功徳であると教えられています。
転重軽受とは、「重きを転じて軽く受く」と読みます。過去世の重い罪業によって、今世だけでなく未来世にわたって重い苦しみの報いを受けていかなくてはならないところを、現世に正法を信じ、弘めると、その実践の功徳力によって重罪の報いを軽く受けて、罪業をすべて消滅させることができるのです。ゆえに、大聖人は転重軽受の功徳について「地獄の苦しみぱつときへて」(御書1000ページ)と仰せです。
この場合、苦難は宿業を消すための生命の鍛錬になります。そのことを大聖人は、「鉄は炎打てば剣となる賢聖はは罵詈して試みるなるべし、我今度の御勘気は世間の失一分もなし偏に先業の重罪を今生に消して後生の三悪を脱れんずるなるべし」(同958ページ)と仰せです。

宿命転換

2010-07-04 | 宿命転換の原理
日蓮大聖人は佐渡御書の中で、御自身が大難を受けているのは、仏教で一般に言われる通常の因果によるものではなく、過去において法華経を誹謗した故であると述べられています。
これは、正法である法華経を誹謗すること、すなわち謗法(誹謗正法)こそが根本的な罪業であり、あらゆる悪業を生む根源的な悪であるということを教えられているのです。謗法の行為は、妙法に対する不信・違背の心から起こります。そして、妙法への不信・違背の心が、あらゆる悪業を生む根源悪なのです。
この妙法に対する不信・謗法という根本的な悪業を、妙法を信じ、守り、弘めていくという実践によって今世のうちに転換していくのが、大聖人の仏法における宿命転換です。そして、その実践の核心が南無妙法蓮華経の題目です。
大聖人は「衆罪は霜露の如し慧日能く消除す」という普賢経の文を引いて、自身の生命に霜や露のように降り積もった罪障も、南無妙法蓮華経の題目の慧日(智慧の太陽)にあえば、たちまちのうちに消し去ることができると言われています(御書786ページ)。御本尊を信受して自行化他にわたる唱題に励み、自身の胸中に太陽のような仏界の生命が現れれば、さまざまな罪業も霜露のように消えていくのです。

宿命とは

2010-07-03 | 宿命転換の原理
人生のなかで出あう悩みや苦難はさまざまです。そのなかには今世の自分自身の行動や判断が原因になって現れるものもありますが、なかには、今世に原因を見いだすことができないものもあります。“自分は何も悪いことをしていないのに、なぜこのような苦しみを受けなければならないのか”と思うような苦難に直面しなければならない場合もあります。
仏法では、このような苦難は、過去世において自分が行った行為(宿業)の結果が今世に現れたものであるととらえます。「業」とは、もともとは「行為」を意味する言葉です。今世の幸・不幸に影響力をもつ過去世の行為を「宿業」といいます。この宿業には、善と悪の両方がありますが、今世の苦悩をもたらす過去世の悪業を宿業という場合が多いと言えます。
仏法では、“三世の生命”あるいは“三世の因果”を説きます。すなわち、生命は今世だけのものではなく、過去世・現在世・未来世の三世にわたるものであり、過去世の行為が因となって現在世の結果として現れ、また、現在世の行為が因となって未来世の果をもたらすと見るのです。
過去世に悪因があれば今世に悪果(悪い結果)があり、善因があれば善果があるとするのが、仏教一般で言われる宿業の因果です。しかし、これで終わってしまっては、現在の苦しみの原因はわかっても、それを変革することはできず、未来世にわたって生死を繰り返しながら清算していく以外に道はないことになります。このように、宿業の考え方は、往々にして希望のない宿命論に陥りやすいのです。 これに対して、「宿命の転換」を説くのが、日蓮大聖人の仏法です。