「勤行」は、日々の生活のリズムの根幹であり、幸福への源泉です。
それでは、「勤行」とはどういうことをするのか―それは朝晩、御本尊に向かい、法華経の方便品と寿量品の自我偈を読み、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることです。
日寛上人は勤行の功徳について、「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(この御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えていくならば、私たち自身の生命に一念三千の御本尊があらわれ、御本仏・日蓮大聖人と同じ智慧と力があらわれる)「観心本尊抄文段」と、述べています。
御本尊は、宇宙の根源の妙法である南無妙法蓮華経を体得された御本仏・日蓮大聖人の御生命をあらわされたものです。その御本尊を信じ、読経し、題目を唱えていくとき、御本尊に共鳴して、自身の生命に南無妙法蓮華経の当体があらわれ、本来、私たちのなかに内在している最高の仏界という生命が湧きあらわれてくるのです。
例えて言えば、音楽を聴いたり、絵画を見たりすることによって、それらに共鳴して、自身の心に豊かな感動の世界が広がっていきます。これは、外界の音楽や絵画に縁することによって自身の内なる感動の心が出てきたのです。
同じように、勤行は御本尊と深く縁していくことによって、幸福の源泉である自身の胸中の仏の生命と働きを現し出していく修行なのです。
それでは、「勤行」とはどういうことをするのか―それは朝晩、御本尊に向かい、法華経の方便品と寿量品の自我偈を読み、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることです。
日寛上人は勤行の功徳について、「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(この御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えていくならば、私たち自身の生命に一念三千の御本尊があらわれ、御本仏・日蓮大聖人と同じ智慧と力があらわれる)「観心本尊抄文段」と、述べています。
御本尊は、宇宙の根源の妙法である南無妙法蓮華経を体得された御本仏・日蓮大聖人の御生命をあらわされたものです。その御本尊を信じ、読経し、題目を唱えていくとき、御本尊に共鳴して、自身の生命に南無妙法蓮華経の当体があらわれ、本来、私たちのなかに内在している最高の仏界という生命が湧きあらわれてくるのです。
例えて言えば、音楽を聴いたり、絵画を見たりすることによって、それらに共鳴して、自身の心に豊かな感動の世界が広がっていきます。これは、外界の音楽や絵画に縁することによって自身の内なる感動の心が出てきたのです。
同じように、勤行は御本尊と深く縁していくことによって、幸福の源泉である自身の胸中の仏の生命と働きを現し出していく修行なのです。