われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

リレーする、ということ。

2007-06-22 12:00:00 | Weblog
『リレーする、ということ。』

 先週おこなわれた運動会にはたくさんのご家族の皆様方からお越し頂き、ありがとうございました。子どもたちもみんなとても張り切って取り組んでおりましたね。それぞれの子どもが自分の持てる力を発揮しベストを尽くす、そんな姿をご覧いただくことができたのではないでしょうか。ご覧になっていかがでしたか? 何かの折に感想などもお聞かせいただければ幸いです。

 さて、今日は数ある運動会の種目の中でもとりわけ子どもも担任も力を入れて取り組み、白熱する競技、「リレー」について少し書かせていただきます。
 毎年、年中・年長児がクラス対抗でおこなうこのリレー、青空のもと心地よい風の吹く校庭で子どもたちが懸命に走る姿はじつに清々しく、いつもながらそばで見ていて本当に心が洗われるような感動を覚えます。
 本番当日のレースはたった一回で、一人が走る時間もあっという間の出来事ですが、そこにたどり着くまでの様々な日々の練習の中にじつは多くのドラマがあり、子どもたちひとりひとりの胸の中にもまたそれぞれに去来する思い、言葉にならないたくさんの思いがあるようです。とくに私たちがおこなっているのは子どものためのリレーですから、勝ち負けそのものよりもむしろ本番のスタートラインに立つまでのその過程が何より大切であると考えます。もちろん、勝敗のある競技をあえておこなうわけですから勝ち負けも当然大事です。負けたっていいや、楽しければいいさ、というのではスポーツの本当の楽しさはわからずに終わってしまいます。しかし、では勝つために、あるいは今日より明日すこしでも強くなるために、どうすればいいのか? 自分に、あるいは自分たちにできることは何なのか? それを考え、最後まであきらめずに努力する、そういったひたむきさ、前向きな姿勢こそわたしは大切だと思うのです。それをなくして教育的なリレーはありえないのです。それら基本的な方向性をきちんと示しながら、みんなで考えあい、努力するといった事柄を活動の重要な柱にして、担任の指導のもと運動会当日までの活動をおこなってきたわけです。人事を尽くして天命を待つ、という言葉がありますが、ベストを尽くしてやり遂げればおのずと結果は表れるものであるし、結果がどうであれ誰がなんと言おうと自分自身が納得するのです。そして、ベストを尽くしてやり抜こうとする人々の姿はいつも美しい。だからこそ子どもたちの姿はあんなにも私たちの心を打つのです。
 リレーはご存知のようにひとりずつ走る個人競技でありながら、じつはバトンをリレーして最終的に順位を決める団体競技でもあります。したがって子どもたちが手から手へ手渡していくあのバトンは一見するとただのプラスティックの棒には違いないのですが、それは単なるぼうっきれではありません。それはたくさんの子どもたちのいろんな思いが詰まった特別なぼうっきれなのです。子ども自身にとって重要なことは、自分たちが互いに何を手渡しあっているのか?ということです。それがリレー競技の本質であり、奥深さであり、教育的におこなう上で決して忘れてはならない意義なのです。子どもたちひとりひとりが無意識ではあるにせよ、互いに言葉にならない何か大切なものを手渡しあえたなら、今年のリレーの活動も成功であったといえるでしょう。
 あなたから私へ、私からあなたへ、リレーするということ。

 さて、今日は夏至。そして新潟もいよいよ梅雨入りとなりました。朝夕の気温の差も大きく、私も少し風邪気味です。体調を崩されませんよう、皆様もくれぐれもご自愛下さい。
 それでは良い週末をお過ごし下さい。


【今日の一枚】
運動場で学年を問わず準備体操の踊りを楽しむ子どもたち。運動会が終わっても子どもたちはリレーをしたり、準備体操の踊りを楽しんだりと、園内はさらに活気付いています。
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