われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

きみのたんじょうび、ぼくのたんじょうび

2007-06-08 13:43:07 | Weblog
 皆さんいかがお過ごしですか。
 きょうはまたぐっと気温が上がり、正午現在の園児玄関で30度ありました。子どもたちの多くは園庭に出て水遊びや砂遊びに夢中になって取り組んでおりました。体操着を泥んこにして帰ったお子さんも大勢いることでしょう。お母様方にはお洗濯が大変でしょうが、どうぞ宜しくお願いいたします。

 さて、自分の誕生日は皆さんにとってどういう日ですか? きょうは、誕生日について少しだけお伝えします。
 
 私はこれまでずっと自分の誕生日は自分の生まれた日であり、みんなから祝ってもらうものだと思っていました。一年に一度、その日だけは自分が主役で、周りの人々からも特別な日として丁寧に扱われるべきものであると。
 もちろん、誕生日についてのそのような捉え方は決して間違いではないのかもしれませんが、誕生日の意味はそれだけではないのだということに、最近になってわたしはようやく気がついたのです。つまりどういうことかというと、誕生日こそは両親やきょうだいや日頃から自分を支えてくれている周りの人々に対して感謝の意を表する絶好の機会なのではないだろうか、と。

 そう気づかされた最大の理由はやはり、昨年9月に誕生した娘の存在があげられます。歳をとっていても実際に経験してみないとわからないことはたくさんあり、恥ずかしい話ですが、私はこれまで誕生日の意味についてそんな風に考えてみたことはなかったのです。しかし妻の妊娠が明らかになってからの日々は私にたくさんの示唆を与え、驚きと発見の連続でした。我が子の生命の誕生をひとつひとつ確認するように目の当たりにしながら、私は私自身の命の誕生をいわば追体験する形でその期間を生きていたように思うのです。

 はじめて自分の子どもと対面した時(それは産婦人科の新生児室の窓越しでした)、私がまず最初に思ったのは私の母のことでした。私を産んだ時に母は一体どんな気持ちだったのだろうと、そのことがはじめに頭に浮かんだのです。
 同時に私が感じていたのは親と子ののっぴきならない血のつながりのようなもので、彼女に対して感じた気持ちはそれまで出会ったいかなる人々に対しても感じたことのない不思議な心持ちでした。そして親から子へ、子から孫へとそれがどんなふうに受け継がれていくのか、はじめて我が事として実感されたのです。自分がどれくらい望まれ、どれほど大切に産み育ててもらってきたことか! どれほど多くの人々の世話になり、生かしていただいてきたことか! 自分がその立場になって、つまり親の立場になって初めて考えることができたのです。

 我が子の誕生を経てそのような思いに至ったとき、私は自分自身の誕生日についてのこれまでの考え方を改めようと思ったのです。もちろん歳をとることは素晴らしいことであり、自分の誕生日はやっぱり嬉しく、ウキウキした気持ちにはなりますが、両親や家族や自分の大切な人々への感謝の気持ちもまたけっして忘れてはならないのだと改めて思うのです。ちなみに、私はこの頃誕生日にはきちんと言葉にしてありがとうを伝えるようになりました。言葉にしないと伝わらないこともあります。ありがとうはどれだけ言っても言いすぎではないのです。
 ひとりにひとつずつ、かけがえのないたんじょうび。

 さて、先週のお便りで消えゆく三輪車の運命について書かせていただいたところ、さっそく何名かの保護者の方々から「昔ながらの三輪車ありますよ」といったお申し出をいただきました。さっそく使わせていただいております。ありがとうございました。『三輪車を探せ!大作戦』はまだまだ続いております。耳よりな情報などがございましたらぜひお聞かせ下さい。

 それでは皆様、良い週末をお過ごし下さい!


【今日の一枚】
キャンプ事前調査で登った妙高山カヤバゲレンデの山小屋ピーター前にて。ここは山の中腹にあり、美味しい湧き水を飲むことができます。実際のキャンプでも子どもたちとここを目指して登ります。晴れていると、遠くに野尻湖や斑尾高原などが望める絶景ポイントでもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする