食物から「生命力」を得る。
ここに、食べることの本質がある。
食べるということは、単に栄養素とカロリーを摂るだけはなく、「食物という生命力」をいただくことなのかも知れない。
現代栄養学では、この「生命力」というものが認められていない。
「生命力」というものが、食物にはある。
例えば、玄米と白米を比べてみよう。
玄米は発芽するが、白米は発芽しない。
玄米には、発芽するという「生命力」があるが、白米にはその「生命力」がない。つまり、玄米は生きているが、白米は死んでいる。
現代栄養学では、この「生きていること」と「死んでいること」の違いが無視される。
生きている玄米は「一物全体食」であるが、死んでいる白米は「部分食」である。
「一物全体食」が推奨されるのは、栄養素が豊富であるだけでなく、人を生かすパワー(生命力)がある、からといってよい。
「一物全体食」とは、たとえば、大根ならば,葉も、皮も、根も、すべて食べることである。
(なお、「一物全体食」については、2007年6月25日「丸ごとの食事で高血圧を治す」を参照されたい)
ところで、「生命力」とは、いったい何であろうか。
東洋医学でいう「気」(一種のエネルギー)であると、
仙頭正四郎『読体術ー体質判別・養生編』(農文協)には書かれている。
「私たち人間が口にする食べ物は、形を変えたり、加工されてはいますが、もとの姿をたどれば、一部のミネラルを除いて、すべてが動物や植物です。もし、私たちが食べ物として摂取しなければ、まだまだ成長を続け、新たな生命を生む力さえ秘めていた生き物です。その“生命力”を途中で摘んでいるのです」
「つまり、私たちが、“食べる”という行為によって食べ物から取り入れているのは、体に必要な成分や栄養と同時に、食べ物のなかに秘められた“生命力”だといえます。この“生命力”は東洋医学でいう「気」のこと」。
いまの日本人のほとんどは、「部分食」である。
街の食堂・レストランの食事もそうだが、デパートの地下食品売り場、コンビニ、スーパーなどで売られている食物も、ほとんど「部分食」である。
「部分食」では、「一物全体食」がもつ「食物の生命力」(食物パワー)が減っているか、あるいは、まったくない。だから、「部分食」では、疾病にかかりやすいのは、何ら不思議ではない。
現代栄養学は「健康は全体食にあり」ということを無視してきた。この結果が、一億総半病人という惨状である。