海外諸国で有名な桜沢如一(1893~1966)は、いまだに、日本では知る人が多くはない。
もっとも、最近、ホテルでも「食養のメニュー」をおくようになったことにも見られるように、桜沢の名は、「食養」(しょくよう・欧米名マクロビオティック)の中興の祖として、日本でもいささか知られるようになっているようだが。
桜沢の唱えた「食養」(マクロビオティック)は、海外諸国では認められるようになって、イギリス・フランスで発行される英語辞典・仏語辞典にも掲載されている 。
この「食養」は、英和辞典に掲載されているが、国語辞典には載っていないようである。
マクロビオティックとは、桜沢によってなされた「食養」の仏語からの日本語訳である。英語では、マクロバイオティック(macro・biotic)ということになる。
研究社「新英和大辞典」(第五版)には、形容詞としては(禅式)正食法の(に関する)とあって、名詞としては禅式正食法実践者(信奉者)と解説されている。研究社「リ-ダ-ス英和辞典」にも、ほぼ同様の訳語がみられる。
日本では桜沢如一という名前が、あまり知られてないことに、日本人の欧米崇拝というか、事大主義があらわれている。
これまでも、しばしばあったことだが、海外諸国で有名になって、はじめて、日本でもその名前が知られるようになる事例がある。やはり、桜沢も、そのような例になるのであろうか。
◆人類に貢献した偉大なる日本人
ともあれ、「食養」を世界に広めた桜沢は、日本の生んだ偉才な人物である。
桜沢は愛国者でもあったが、「食養」を世界に広める種子を播いて、国際人としても不朽の業績を残した。桜沢は、おのれを生み育んだ大和民族の名を人類史上に残した偉大な人物である。
ところで、マクロビオティックであるが、長生術という意味である。このマクロビオティックは、元来、日本では「食養」という名称で呼ばれているものである。
「食養」とは、食事による人間革命法である。 このような食事を「正食」とも呼ばれている。食物によって「人間変革が可能」であるという哲学が、「食養」の核心である。
「食養」を、最初、健康法として唱えたのは、明治時代の日本陸軍の薬監・石塚左玄である。この「食養」を、桜沢は思想的、哲学的、生物学的、生理的、環境的な視点から、再編成し体系化・原理化(無双原理)した。
桜沢は、人を病気にするのも、人を病気から回復させ健康にするのも、食事次第だという。
桜沢は、「食事を正す」ことによって得られる「真の健康」を「人間革命の礎石」として位置づけた。人類の幸せも、世界平和も、この「人間革命」なくして有り得ないとした。
このような哲学・思想・主義に基づく「食養」を、桜沢はマクロビオティックと命名し、欧米に伝えたのである。
アメリカ人やヨ-ロッパ人に、玄米・味噌・醤油・ごま・野菜などを中心にした「食養」、つまり「穀菜食による人間変革の方法」を提唱したのは、桜沢であった。
桜沢のヨ-ロッパ人の信奉者たちによって、ベルギ-に醤油と味噌の工場ができ、パリに「食養」のレストランができたのも、すべて桜沢の欧米伝道の成果である。
ちなみに、この「食養」とは、主として、温帯・亜寒帯にあっては、穀物と野菜を中心にした食事である。
「食養」は、欧米の菜食主義とは異なる。「食養」は原理と技術があるが、欧米の菜食主義には、原理も技術もない。
シュバイツア-博士は、日本の学校の教科書にも取り上げられているが、桜沢如一の名は見当たらない。
これまで、欧米人に知られている日本人といえば、岡倉天心、内村鑑三、新渡戸稲造、鈴木大拙などであろう。これらの先覚のひとりに、桜沢如一は加えられてしかるべきだと、筆者は思うのだが。
最後に、申し上げておきたいことがある。
食養は、貧乏人が、もっともよく実践できる食生活である。貧乏人は、この食養でもって健康でいきられる。お金なくても、簡素で健康になれる食生活が、「食養」の原点である。
ホテルの「マクロビオティック・メニュー」は、一種のファッショとなって、食養の核心である「簡素性」が失われている。
なお、このブログの筆者は、桜沢の形骸に接する機会がなかったが、病弱な筆者が健康を取り戻し、今日まで生き長らえてきたのは、同氏の直弟子たちから教えられた「食養」のお陰である。ここに、その有り難いご縁を記し、感謝の意を表したい。
追記;食養について詳しく知りたい方は、次の機関へ連絡されたい。これらの団体は、機関紙などを発行して、食養の普及に向けて活発な啓蒙運動を行っている。
*日本CI(シ-アイ)協会
〒151東京都渋谷区大山町11-5
電話 (03)3469-7631
FAX(03)3469-7635
*正食協会
〒540ー0021大阪市中央区大手通二丁目二番七号
電話 (06)6941-7506
FAX(06)6941-7039