「食べ処・身土不二」(札幌)は、身土不二を日本と世界へ発信する。食堂ならぬ食堂、啓蒙運動の発信地。日本よ、滅びるな!

「身土不二」は、解放思想であり、危険思想でもある。

 日本から「身土不二」を発信し、日本と世界を救おう。

あなたに運動を頼んだ覚えはない

2007-07-01 20:44:32 | Weblog

 

 「身土不二」を広める啓蒙運動にかかわっている。
 このブログを書き続けているのも、ひとえに、
「身土不二」を広めたいがためである。

 身土不二」を広める運動にかかわってきたことから感じていることを述べたい。

 世人には、運動というものについて、錯誤があるようである。

 啓蒙運動にかかわる者(以下、運動者)は、誰からも頼まれないのにかかわらず、自ら好んで運動にかかわっている。だから、お金に困っても、それは自業自得である、というものである。

 このような見方には、運動(者)に対する無知・曲解・錯誤があらわれている。こうしたことも、自分にはかかわりがないと考える近視眼的思考から生まれてくるのであろう。

 運動に無理解な人々からは「誰も、あなたに運動をやって欲しいと頼んだ覚えはないというセリフが聞こえる。そのようなセリフへの回答は、こうである。
 
 「例えば、明治維新である。幕末の動乱を戦い抜き、明治維新実現の原動力となった志士たちは、誰かに頼まれて、明治維新を実現しようとしたわけではなかった。政治運動であろうと、社会啓蒙運動であろうと、運動というものは,頼まれて行うものではない」

 「志士らの倒幕運動が失敗すれば、当時の国際状況からいって、かつてのアジア・アフリカ諸国民のごとく、当時の日本人は、欧米人に支配されたに違いない」

  「そうであれば、今日のような工業国家日本はなく、今日のようなあなたも存在していないかもしれない。あなただって明治維新の恩恵に浴しているではないか。将来の世代に対して、すこしはお返しをするのが、人としての務めであろう

 明治維新とは、欧米諸国からの侵略を防ぐための、国内体制の刷新であった。 だが、その明治維新を経た日本が、いまでは、アメリカに支配され、中国に叩頭し、ロシアにへつらう、情けない国になりはてている。今日の日本は、明治維新を裏切るともいえる。

 

 

 


明治維新の値段は、一体いくらであろうか

2007-07-01 07:38:43 | Weblog
  

 啓蒙運動とは、本来、巨費を要するものである。
 例えば、明治維新である。
 倒幕運動にかかわった薩摩藩・長州藩だけに限っても、巨費が費やされた。いまの貨幣価値に換算すると、何十兆円、何百兆円あるいは何千兆円にもなるであろう。

 高杉晋作とて、下関の豪商・白石から金銭上の支援があったればこそ、あの回天の事業をやりおおせたのである。
 その額は、今のお金にすれば何億にもなろうという金額ではなかろうか。 

 倒幕運動に要したのは、費やされた金銭だけにとどまらない。失われた人命がある。それは金銭に換算するといくらであろうか。

  吉田松陰などの有名な志士だけでなく、多くの「無名な俊英」が悲命に倒れた。これら志士の生命は、金銭という尺度でははかりきれないものではあるが、計算できると仮定すれば、一体いくらになるであろうか。

  現代では、交通事故で殺されても、任意保険から何億円もの補償がある。倒幕という大義に倒れたおびただしい人命は、今日の金銭に換算すれば、それこそ天文学的巨額になることは間違いない。

 啓蒙運動とは、実に金のかかるものである。
 しかも、運動は、その過程では金銭的赤字の連続である。 しかし、累積赤字の彼方には「天文学的黒字」がある。

  いかなる運動も、お金なくてはできない。
  だが、運動は金銭を越えた価値をもつ。
  金銭でもって、金銭では推し量れない価           
 値を造りだす。これが、啓蒙運動というものである。

 幕末の動乱と変革運動が明治維新を生みだした。
 もしも、明治維新がなかったならば、今日、世界に冠たる日本工業はない。いま、わが国の工業全体の資産の金銭的評価となれば、膨大すぎて金銭換算は不能であろう。  

 わが国の工業資産の金銭的評価が、膨大すぎて計算不能ならば、その工業資産の源となった明治維新は、これまた、「天文学的黒字」でなくて何であろうか。