「身土不二」を広める啓蒙運動にかかわっている。
このブログを書き続けているのも、ひとえに、「身土不二」を広めたいがためである。
「身土不二」を広める運動にかかわってきたことから感じていることを述べたい。
世人には、運動というものについて、錯誤があるようである。
啓蒙運動にかかわる者(以下、運動者)は、誰からも頼まれないのにかかわらず、自ら好んで運動にかかわっている。だから、お金に困っても、それは自業自得である、というものである。
このような見方には、運動(者)に対する無知・曲解・錯誤があらわれている。こうしたことも、自分にはかかわりがないと考える近視眼的思考から生まれてくるのであろう。
運動に無理解な人々からは「誰も、あなたに運動をやって欲しいと頼んだ覚えはない」というセリフが聞こえる。そのようなセリフへの回答は、こうである。
「例えば、明治維新である。幕末の動乱を戦い抜き、明治維新実現の原動力となった志士たちは、誰かに頼まれて、明治維新を実現しようとしたわけではなかった。政治運動であろうと、社会啓蒙運動であろうと、運動というものは,頼まれて行うものではない」
「志士らの倒幕運動が失敗すれば、当時の国際状況からいって、かつてのアジア・アフリカ諸国民のごとく、当時の日本人は、欧米人に支配されたに違いない」
「そうであれば、今日のような工業国家日本はなく、今日のようなあなたも存在していないかもしれない。あなただって明治維新の恩恵に浴しているではないか。将来の世代に対して、すこしはお返しをするのが、人としての務めであろう」
明治維新とは、欧米諸国からの侵略を防ぐための、国内体制の刷新であった。 だが、その明治維新を経た日本が、いまでは、アメリカに支配され、中国に叩頭し、ロシアにへつらう、情けない国になりはてている。今日の日本は、明治維新を裏切るともいえる。