今日は、3学年の担任・副担任が集まって、次年度の方針会議…
その中で、生徒のHR指導で徹底する項目の確認していました
その項目の多いこと、多いこと…普段はあまり物言わない()私もその
ことに対し、ついに怒り爆発
「確かにこれらの項目を指導していくことは正論かもしれません。
けれど、そのように正論として設定した指導項目の数々は、教師の心を強制し
ます。
そんな中で、生徒の心に寄り添う心のゆとり、理性的判断はできますか』
教師側の観点で見ればこれらの指導項目を徹底するのは当たり前…そんな物差し
で物事を見ていたら、生き物である生徒は、ただ徒に生きづらさを感じるだけ
善悪2つの物差ししか持ち得ない場合、子どもの精神、”たましい”(河合隼雄
先生の言葉を借ります…)は発達するわけなく、むしろ悪くなるだけ…そんな心
の叫びが私を揺り動かし、つい上記の発言をしてしまいました
確かに指導―被指導の関係を構築し、『隠れたカリキュラム』を教室文化に根付
かせるのも、担任指導、学校指導を円滑にしていく上ではある程度大事…。
それも確かに大事だけれど、それだけでは生徒の心は荒んでいくのみ
『生徒=指導する対象』という構図から抜け出し、一人の人間として尊敬する…
そんな視点を忘れたとき、学校教育は荒廃するだけだ
指導のあいまいさの中に、実は人間の営みの躍動を保障するものもあるのだ
…とまあ、こんな感じで久しぶりに未だ火山爆発
(なので、日記につい書いてしまった今日この頃…)
とはいえ、実際、会議でこのように主張すべきはしましたが、ある程度で折り合
いをつけました
まあ、当然、全体で確認されたことはします…それが学校文化のいい意味での醸
成に繋がるので…
とはいえ、最後にもう一度言いたい(ストレスが溜まっているので…すいません(笑))
物事を善悪二元論でしか考えられない教育現場に、生命の躍動(エラン・ヴィ
タール)はない
(この記事はmixi(2008.3.31)から転載したものです…)
動けない教師が多くなっているということでしょうか。
(もちろん、コロンさんは上のような発言をするくらいですから「決まり」がなくても動けますよね!)
学校の体制に勇敢に立ち向かうコロンさん、
これからも頑張ってください!
学校もコロンさんみたいな先生ばかりならいいですよね・・・
>>物事を善悪二元論でしか考えられない教育現場に、生命の躍動(エラン・ヴィ タール)はない
これは何事にもいえるのかもしれませんね・・・。
>それだけ規範が定められなければ動けない教師が
多くなっているということでしょうか。
そうですね…、企業でもなんでもそうですが、動きをマニュアル化する向きはありますね。だからといって全てが全て規範を成立させなければ動けない…ということでもないんです。
今回書いたことは…確かにいろいろなことを設定することで、子どもたちを”管理”することが、学校の秩序と全体的規範指導が浸透し、そこで初めて教育的働きかけが機能する…という考えに基づくと思うのです。
ただ、それも必要な部分もありますが、やはり善悪二元論の間にある、生徒とのやりとりと心に迫る部分をやはり残してかなければ、情操教育はできない…というのが私の個人的な考えです。
今回は実は、どちらが正しい…ということではなく、自分たちがどんな教育的思想をもちながら教育的諸課題に取り組んでいるのかをしっかり見つめる機会にしたい…という思いがあって、発言したんですよ。
でも、きむにーさんの応援は心強いです!!
ありがとうございました…。
学校に私のような先生ばかりだとしたら…大変だと思います(笑)
今回のことは、教育思想に関わる部分なので…やはり各教師がどのように考えて自分たちの実践を行うのか、足場をしっかりと見つめる機会にしたい…という思いもあって発言しました。
>物事を善悪二元論でしか考えられない教育現場に、 生命の躍動(エラン・ヴィ タール)はない
みゆみゆさんのいうとおり、これはいろいろなことに言えると思います。
やはりどちらかに偏って物事を見てしまうと本質を見失うということだと思うんです、難しいことなのですが…。