青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

食の労わりと感謝は

2010年07月23日 | 短歌に政治や社会

テレビと新聞に、次のような記事などが出ている。
これが「食への労わり」か。
「感謝」なのか。
農家の人たちや、漁業、畜産に従事し、食品加工する人たちへの「労わりと感謝」なのか。
学校でそうした事を教えながら、こうしたことをするのが「自由、表現の自由」。
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あられの大野城できた 児童20人石垣、屋根にペタペタ
(2010年7月23日午前7時30分)




拡大 あられやせんべいを張り付け?おいしい大野城?に仕上げる子どもたち=21日、大野市吉野町の杉本清味堂 あられやせんべいを張り付け?おいしい大野城?に仕上げる子どもたち=21日、大野市吉野町の杉本清味堂




 あられの越前大野城ができた―。大野市の米菓製造販売会社「杉本清味堂」で22日、小学生たちが色とりどりのあられやせんべいを使い、高さ約1メートルの香ばしい天守閣を仕上げた。

 同市で今年繰り広げられている「築城430年祭」の市民自主事業の一つ。従業員の酒井小代美さんが十数年前、同店であられの城を作ったことを思い出し、子どもたちの夏休みの思い出にと計画した。

 同市有終東、有終南、下庄各小の児童20人が午前と午後に分かれて参加した。延べ4時間をかけ、段ボールでかたどった城に木工ボンドであられを張り付けていった。

 用意したあられやせんべいは15種類。のりで黒いあられは天守の屋根、こけむしたようにみえる青のりのせんべいは石垣に使った。曲がったあられでしゃちほこも表現した。約6キロ分を使って高さ100センチ、石垣の幅65センチの本丸と高さ60センチの二の丸を完成させた。

 前原未来さん(有終東小6年)と松田修典君(同)は「こんなにうまくできると思わなかった」「予想外の出来。みんなに見てほしい」と誇らしげだった。

 あられの城は同店舗で披露した後、旧盆過ぎからは明倫町のまちなか交流センターに展示する予定。

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短歌 133,

2010年07月22日 | 短歌に政治や社会

★ うんざりな 猛暑の中に いと寂びし
      いまだ聴かれぬ ヒグラシの声   2010/7/22

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出来高払い (続編)

2010年07月22日 | 人生設計
「出来高払い」とは、これまでにも述べてきたようにはなるけれども、更にはまた次のようにも言う事ができる。

「親は、子を選べるか」ということとなると、これは言えない。
同じように「子は、親を選べない」。
教えるものも、教えられるものを選ばれず、使うものも、使われるものを選ばれない。
「国民は選挙で議員を選んで」はいても、それで「選良」を選んだかというと、選んではいないし、国政を任せられる首長をも選ぶことはできない。
選び得たのは「仮に」の、ものでしかなく、何かと問題を起こしかねない代物ばかりと来ている。

こうしたことは、我々が「出来高払い」しようとする場合、どうしても揺れ動く「ためらいとわだかまり」というものを持ってしまう事にある。
いわばそこには「偶然」があり、その「偶然」は、しかしながら「必然」でもある。
「偶然、かつ必然」という事の中に、相対するものは「出来高払い」という関係関連にあって、それがたった一度のたしなみに終わらず、ずーと続かせていく。
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出来高払い (下)

2010年07月21日 | 人生設計
「出来高払い」という事は、単に一方的な「払う」という事ではない。
「払うもの」と、それを「受け取るもの」との関係によって成り立つ。
この「払うもの」と「受け取るもの」とが正しい価値観を持った関係を持つならよいが、こんな異なった二つの面もある。

一つは「払ってやるんだぞ」とか「与えてやるんだぞという面と、「もらってやる、受け取ってやる」という押し付けるような面と、いやいやもらってやるというような面とがある。
もう一つは「ホイッ」とホオリ投げるように捨てるみたいにする面と、受け取ったはいいがそのまま打っ棄って打ち捨てておくという面とがある。

      ここで、皆さんに設問

今夕こちらの地方テレビのニュースでってえられたものだが、今日こんなイベントがあったそうだ。
段ボールなんかで作られた「城」が三、四つあって、それに「あられ」を張り付けて「城」らしく飾り上げて仕上げていくという催しがあったのを伝えていた。

農家の人たちが一生懸命にして収穫し、職人さんが汗水たらして「あられ」に仕上げたものは、このようにすれば「出来高払い」の価値と価値観があるのだろうか。

国民もテレビ局も、価値と価値観を、おもちゃにしているのではあるまいな。
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出来高払い (中)

2010年07月20日 | 人生設計
「出来高払い」と言って、行ったことに対する対価としての代償的な物を付与すればいいかというと、これまた一概には言い難い。

たとえば、親が子供へ付与するものでも、「これだけしてくれたからこれだけ与える」というように割り切ることは、ちょっと白々しくもなる。
だが、かといって与えてもらえるのを当てにしてゴマ擦っているのも、心底は怪しい。

こうしてみると、「出来高払い」があるようでいて、無いようでもありながら、あるという事になる。
ここのところから、この「出来高払い」というものが、とてもややこしいものになってきている。
ややこしくなってきているのは、行いに責任を持たなくなってきていることにある。殊に「言葉の多さ」には、実態が伴わないだけに無責任になりがちになり、それにまた架空の価値観しか持たない「金銭」が流通していることもあって、人々の「出来高払い」はタガが壊れてしまっている。
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出来高払い (上)

2010年07月19日 | 短歌に政治や社会
世の中の仕組みというものは、今日現在は「金は天下の回りもの」という事が一般的なものになっている。
しかし本来的には、「出来高払い」があるべき姿であるといわなければならない。

「出来高払い」とは、言ってみれば「物々交換」である。
それが形を持たないものが、価値あるものとして通用することになってしまっている。
こちらにあるものが価値あるものならば、その代償として受け取るものは価値を持つ。
しかし単に「金を持っているから」とか「地位、権力を持っているから」と言うだけでは、「無いものねだり」をしているようなものでしかない。価値が無いのに、価値あるものを求めるというみすぼらしさがある。
この価値を持たないものが、何の価値も持っていないのに「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)を追及するものだから、価値観そのものが崩れてゆく。

例えば今回の「参院選」。
言葉ばかりが多かった。この多い言葉の割には、何の実態も伴っていない。
言葉だけが独り歩きしていた、参院選であった。
その結果として、また国政が混乱する結果を招いている。
言わば、これもまた我々国民の、国民による「出来高払い」の実像をさらけ出すこととなっている。

思えば「陰日向なき働き」に、「思いやり、慈しみ」を忘れず、「不平不満」などの愚痴無き行うならば、それには良き「出来高」が付いて回ることだろう。
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「進化」ではなくて「堕落、退化」

2010年07月18日 | 短歌に政治や社会
進化し過ぎたギャル文字をネットで必死に解読(R25) - goo ニュース

こんなの「進化」したどころではない。
「堕落」してしまっていて、それも時間が逆戻りしてしまったように「退化」してしまっている。
大体日本国民の国民でありながら、わざわざ「電話」を「TEL」と記入したり、「便所」を「WC」と記入する。
そしてマスコミメディアまでもが、何でもかんでも日本語をほったらかしにしてカタカナ語を使う。これが「ダラケさせ、退化させ」ている原因になっている。

国語力の、崩壊である。

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短歌 132,

2010年07月17日 | 短歌に政治や社会
★ 照り返す いきなり暑い 梅雨明け日
      あまり暑くて 居所が無く       2010/7/17
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奪命師

2010年07月17日 | 短歌に政治や社会
改正臓器移植法、全面施行 米コロンビア大、中好文准教授に聞く(産経新聞) - goo ニュース

医師とは、「人の命を救う」という職務ではなくなろうとし、脳死判定をして臓器移植が適当かどうかを判断しようとする、いわば「奪命師」になろうとしている。
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短歌 131,

2010年07月14日 | 短歌に政治や社会

★ 梅雨中に そば打つそばは うまかった
      自分で切った 出来立てそばは  2010/7/14

★ ディサービス 梅雨も何のと 舌鼓
      自分で切った そばのうまさに    2010/7/14




 

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