青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

命か、それとも心で生きるか!

2008年05月12日 | 人生設計
人は「幸せになりたい」思いを持っている。持っていて、止まない。
だがそうでありながら、心や精神の平安と安らぎのある「幸せ」ではなく、豊かさとか楽とか栄誉とかお金とかの恵まれたものを「幸せ」と思っている。そしてそれは、健康で元気でなければならない訳でもあり、肉体的なものの幸せともいえるものになっている。
しかしこうしたものは、移ろうものである。いつまでもその状態を保っているものではない。必ず変化していく。その変化は、破壊され、壊れていく運命にある。
そういうもの、いうなれば「命」というものに「幸せ」を託して生きるべきなのだろうか。
前述した「医療費が増える訳」の結末文で、「これ以上医学を進歩すべきではない」と述べたが、このことを誤解される方も多いだろう。何故なら「病気になっても、治療を受ける必要がない」ということでもあるのだから。
しかし本意は、そうではない。病気になったと言うことを真摯に見詰めて素直に受け入れ、それを定めとして運命として受け入れるべきだと言いたかったのである。
病気を治療して貰うとしても、治る場合と治らない場合がある。危険性、リスクがあるのである。それを他者に委ねなければならない。この他者に委ねたことで悶着が起きているのが、今日の現状である。
これは我々が「幸せ」を、他に依存しようとしているがためにこういうことになる。
我々に限らず生物には、本来「自然治癒力」を持っている。この「自然治癒力」は、よく言われているように私達が本来性に立ち返ったときにこそ発揮される。
上手く説明できないが、私達は一般に人に認められたいと思っている。教養とか技能とか学力とか職場などで、認められようとしている。しかし最も認めなければならない自分と言うものからは、認めるとか認められないとかはお構い無しになっている。
こんな自分でよいのかという自分自身が、自分自身に認められる自分自身にならないことには、他の人から認められるとか認められないとか言うのは、大変矛盾したことになる。それ故に、まずは自分自身が、自分自身に認められるようにならなければならない。
それが「心に生きる」ということである。それは「自己発見」でもあり、キリストが言ったという「人はパンのみにて生きるにあらず」に通ずるものでもある。
「自然治癒力」は、こうした自分が自分を認めることによって、「心に生きる」ことによって、その智力を発揮していく。
コメント (2)
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