青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

流奈さんの心の世界 終、結果処理

2008年04月18日 | 人生設計

行ったこと、心に思ったことや感じたことへの感情には、必ず結果が現れる。それは法則としても、定まって存在している。
この行いや思いという「行為」の結果の後をどうするかについては、残念ながら日木流奈さんは詳しく述べられていない。いや日木流奈さんだけでなく釈尊においても、そうした感じを受けて止まない。
もちろん日木流奈さんにしろ釈尊にせよ、ある程度の結果対策とか処理とかには触れてはいる。だがそれだけの、対策とか処理だけで済ますべきでもすべきでもない。殊にそれは、今日の世においては、より求められていることでもある。
例えば私達が食事を頂いたとき、「美味しく頂きました、ご馳走様」とする。
しかし今日では、こうした礼儀作法をする人は少なくなっている。ばかりでなく、結果対策処理の一つとも言うべき食事を頂いたら、頂いただけの行いをなすかと言うと、それも出来なくなっている。楽にして、豊かになれば良いというばかりである。
こうしたことは日木流奈さんの心の世界から発するメッセージであり、釈尊の教えでもあり、道徳などの教えるところでもある。
だが、それ以上のことは語っていない。
今の、今日の私達は、食事を食事として「ご馳走様でした」と頂いたとするだけでなく、このように私たちを生かしてくれる源となる食物などを、生み育てていかなければならない。食べるとか、使用するだけに終わらせず、そうして役立ってくれるものを私達自身が作り出していかなければならない。
だがそれは、手間がかかる、苦労がいる、汚れる、労多くして利益が少ない。
こうしたことがあるために、人々は敬遠する。殊に現代の若者たちは、手っ取り早くお金が稼がれて、そしてチヤホヤされて豊かになれる都会に憧れる。そのため私たちを生かす源となるものを作り出そうとする人達は、高齢化が進み、後継者がなく、過疎化が進んだ地に追いやられてゆく。
そしてそうしたことは外国人に任せようということになり、それで薬害とか食品偽装になってゆく。
恋愛情報が氾濫しているが、結婚しても、子供が産れたら「赤ちゃんポスト」や「虐待」、財力があっても保育費や給食費も学費も支払わないという結果対策処理になる。
このように私達は、求めたものが得られてそれで良しとはせずに、後の結果対策処理も、しっかりとしていかなければならない。
こうしたことは日木流奈さんも釈尊も、語り教えてはいない。だがその内容において迫り、どうすべきかを私たちの手に委ねている。

私達の基本姿勢は「幸せになりたい」ではあるが、その「幸せ」は、「豊かさ」でも「楽をする」ということでもない。「豊かさ、楽」は、相手に頼らなければならない。ということは、「豊かさ、楽」は、相対するものの都合次第で崩れるような危ういものでしかない。
本当に「幸せになりたい」ならば、これまでにもこの「流奈さんの心の世界」の中でも述べてきたように、自分の中に見つけ出していかなければならない。
それをするのは、他の誰でもない、自分自身である。

このことを述べて、この連載を終わる。

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