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10月14日前原中央公民館主催のウォーキング講座に参加今回で四回目です。
曽根丘陵にある神社や古墳めぐりをし約7km程歩きました。
古代国家「伊都国」。それは魏志倭人伝に「代々王あり」と記述され、
強大な力を持っていたと言われている。それを裏付ける史跡が今に残されている。
平原遺跡は弥生時代後期~終末期(2世紀頃)
伊都国の王墓と考えられる1号墓を中心とした墳墓遺跡で、昭和40年(1965年)に発見されました。
副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数出土しました。
銅鏡の中には直径46.5㎝の内行花文鏡(日本製)が5枚あり、これは日本最大で非常に貴重なものです。
また、ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も日本一多く、伊都国王の墓にふさわしいないようです。
また、副葬品の中に武器はほとんどなく、ネックレスやブレスレットなどのアクセサリーが多いことから、
この墓に葬られた人物は女性、すなわち女王ではないかと考えられています。
出土品は国宝に指定されており、伊都歴史博物館に展示されています。
国指定史跡「平原遺跡」
昭和40年当時 平原遺跡の発掘調査風景 西日本新聞社提供
国宝の内行花文鏡・メノウ製管玉・ガラス製勾玉
市指定史跡の三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)は
弥生時代の中期後半(紀元前1世紀頃)
この遺跡は江戸時代終わり頃の文政5年(1822年)に発見されました[1号甕棺(かめかん)]。
その後、昭和50年(1975年)、福岡県教育委員会によって発掘調査が行われ、新たに2号棺が発見され、
銅鏡22面以上、碧玉製勾玉、ガラス製勾玉、管玉などが出土しています。
1号甕棺からは銅鏡35面、銅剣、銅戈、銅矛、勾玉、管玉、璧、金銅製四葉座飾金具が出土しており、
江戸時代に出土した銅鏡1面と銅剣1本が福岡市内の禅寺に伝えられ、国の重要文化財に指定されています。
弥生時代の墓としては巨大なもので、他には見られない豪華な副葬品を持つことから、
伊都国の王の墓であると考えられています。また副葬品の内容から1号に王が、
2号に王妃が埋葬されたと考えられます。出土品の一部は近くの伊都国歴史博物館に展示されています。
市指定史跡の三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)
1号甕棺(かめかん)跡
2号甕棺(かめかん)跡
三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)の平面図です。
1号甕棺・2号甕棺・周溝(青い部分が水溝)
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平原遺跡は弥生時代後期~終末期(2世紀頃)
伊都国の王墓と考えられる1号墓を中心とした墳墓遺跡で、昭和40年(1965年)に発見されました。
副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数出土しました。
銅鏡の中には直径46.5㎝の内行花文鏡(日本製)が5枚あり、これは日本最大で非常に貴重なものです。
また、ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も日本一多く、伊都国王の墓にふさわしいないようです。
また、副葬品の中に武器はほとんどなく、ネックレスやブレスレットなどのアクセサリーが多いことから、
この墓に葬られた人物は女性、すなわち女王ではないかと考えられています。
出土品は国宝に指定されており、伊都歴史博物館に展示されています。
国指定史跡「平原遺跡」
昭和40年当時 平原遺跡の発掘調査風景 西日本新聞社提供
国宝の内行花文鏡・メノウ製管玉・ガラス製勾玉
市指定史跡の三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)は
弥生時代の中期後半(紀元前1世紀頃)
この遺跡は江戸時代終わり頃の文政5年(1822年)に発見されました[1号甕棺(かめかん)]。
その後、昭和50年(1975年)、福岡県教育委員会によって発掘調査が行われ、新たに2号棺が発見され、
銅鏡22面以上、碧玉製勾玉、ガラス製勾玉、管玉などが出土しています。
1号甕棺からは銅鏡35面、銅剣、銅戈、銅矛、勾玉、管玉、璧、金銅製四葉座飾金具が出土しており、
江戸時代に出土した銅鏡1面と銅剣1本が福岡市内の禅寺に伝えられ、国の重要文化財に指定されています。
弥生時代の墓としては巨大なもので、他には見られない豪華な副葬品を持つことから、
伊都国の王の墓であると考えられています。また副葬品の内容から1号に王が、
2号に王妃が埋葬されたと考えられます。出土品の一部は近くの伊都国歴史博物館に展示されています。
市指定史跡の三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)
1号甕棺(かめかん)跡
2号甕棺(かめかん)跡
三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)の平面図です。
1号甕棺・2号甕棺・周溝(青い部分が水溝)
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