ボーイスカウト磯城一団

奈良盆地の真ん中に位置する磯城郡(田原本町、三宅町、川西町)で活動しているボーイスカウトです。

活動報告 紙工作

2009年06月28日 | ビーバー隊活動
田原本第一体育館を使って、紙工作をおこないました。今日は天気がよかったですけども、毎年梅雨の季節は屋内での活動にしています。今回の隊集会からロープ結びを取り入れることにしました。先週地区主催のロープワーク研究会で習ったことを隊員達に伝えようと思います。第一回は基本的な「本結び」から始めました。隊員たちは全員が結べるようになりました。これも家に帰ってから練習をしないと覚えませんので、どんどん練習をしてください。
今年の紙工作は紙相撲です。5月に相撲発祥の地である當麻町をハイキングしました。今年のBVS隊は相撲づいてます。まずは個人用の力士を作りました。厚紙を型紙どおりに切り抜き、力士の絵を描いてできあがりです。めいめい思いのままの力士をつくりました。できたら、つくった力士同士を戦わせます。くじ引きで決めたトーナメント表にしたがって勝ち抜き戦です。3回戦を戦い、先に2勝したほうが次に進めます。「はっけいのこった」の掛け声とともに、土俵のふちを一所懸命叩きます。どちらが先に土が着いたを見るのは微妙なところがあり、なかなか紙相撲の判定は難しいです。見事4回戦をかちぬいた優勝者には、土俵が賞品として渡されました。
次はジャンボ紙相撲の作成です。2班にわかれそれぞれダンボール紙の巨大力士に色を塗っていきます。専用の特大土俵も作りました。直径2mくらいのダンボールの下に牛乳パックを敷いて、高さをだします。出来上がったらこれも対戦です。さすがに巨大力士だけあって、なかなか倒れません。この戦いは接戦でした。このジャンボ紙相撲は8月の「こどもフェスティバル」の時にも使います。
食事は近くの津島神社でとりました。神社の木陰は涼しく、お弁当を食べるにはちょうどいい場所です。食後は、遊具や噴水で思い切り楽しみました。

30年前の今日

2009年06月24日 | 団活動
昭和56年(1979年)6月24日、田原本南小学校体育館において、磯城一団の発団式が行われた。橿原5・6団から分封し、この年の4月からカブ隊のみの登録で活動を開始していた。この時、私は中学3年生で橿原5・6団所属のボーイスカウト隊員であった。(写真の中央に写っている緑色のネッカチーフをしているのが、私である。)発団式では、田原本出身の衆議院議員故吉田之久先生から祝辞をいただいたのを覚えている。
30年の長きに亘り活動を続けてこれたのは、地元の支えと良き理解者に恵まれたからであると感じている。今年は発団30周年記念行事として、7月18-19日には団キャンプ、10月4日には30周年記念式典を予定している。これからも磯城一団を発展させるための努力を惜しまないつもりである。

活動報告 ハイキングしきのみちはせがわ展望公園

2009年06月17日 | ビーバー隊活動
入梅はしましたが、あまり雨が降りません。先週の日曜日も良い天気の下、田原本町内を流れる大和川(初瀬側)の堤防沿いにつくられているしきのみちはせがわ展望公園をハイキングしました。
集合は「ながめの丘」です。ここには展望台がつくられており、上ると大和平野が一望できます。ここから歩き始め、みちくさ広場で遊具がありますので少し遊びます。ここは、1982年8月の台風10号による豪雨により堤防が決壊し、多くの家、田畑が水に浸かりました。しきのみちはせがわ展望公園は、その災害の対策である治水事業の一環として整備された公園です。法貴寺で川が屈曲して流れていたのを、真っ直ぐに付け替えました。川の跡地を公園として利用しています。
少し歩いて、ひょうたん広場で休憩をします。ここも楽しい遊具がたくさんあります。げんき広場を越えたところに竹やぶがあります。近くで草刈の作業をしていたおじさんが、「すずめばちがいたから気をつけなさい。」と注意してくれました。すいせんの丘にはところどころ水仙の説明を記した碑があります。田原本町の花は水仙であると条例で定められています。この水仙の丘で、昼食にしました。ここは公園の中を水が流れており、水遊びができます。隊員たちはずぶ濡れになって遊びました。着替えを持ってきているので濡れても大丈夫です。ひとしきり水遊びを楽しんだ後、出発点へ引き返しました。
往復4kmの短い道程ですが、隊員たちはよく歩いたと思います。今年は歩くプログラムが多いのですが、誰も歩くことには不満を言いません。本当に頼もしい隊員たちです。

6月度隊集会 ハイキング

2009年06月10日 | ビーバー隊活動
  • 日時:6月14日(日)09:00~14:00 (雨天中止)
  • 集合場所:しきのみちはせがわ展望公園、ながめの丘
    • (田原本町法貴寺、磯城高校跡地南側、大和川堤防西側、展望台があります。)
  • 内容:ハイキング
  • 服装・持物:制服・制帽、ネッカチーフ、七つ道具(ビーバーノート、歌集、ロープ、シーターポン、筆記用具、ハンカチ、ティッシュ、カッパ)、水筒、カブ弁当、着替え一式(水遊びのできる公園があります。濡れたときのため。)




虫捕り

2009年06月09日 | 独り言
夏のキャンプに昆虫採集をしようと考えた。今日、隊指導者が下見に行ってくれたが、野外活動センターでは昆虫採集は禁止されているとのこと。ルールを破るつもりはないので、今回の昆虫採集は断念することにした。
日曜の晩にホタル観察に行った。隊員にはホタルは持って帰れないと言った。ホタルは数が少なくなっているから、持って帰ることはできないと説明した。
昆虫採集は教育的効果が大変高いと考えるが、20年ほど前から理科では昆虫採集を奨励しないよう指導方針の転換がはかられたそうである。本当は子どもが昆虫を捕まえることでは昆虫の数は減らない。大人が環境破壊をして昆虫を減らしているのである。これでは、子どもたちがポケモンに夢中になるのも仕方ない。
大人は、子どもに「虫を捕るな」と言うよりも、ゴルフ場の1つでもつぶしたほうが昆虫のためになることを忘れてはならない。

動く城

2009年06月06日 | 独り言
2月に金剛山の下見にいった際に道に迷った話をしたが、その時に使った地図を見て興味深い事実が判ったので紹介する。
添付画像を見てほしい。昭文社発行の「山と高原地図」である。上が2002年版、下が2009年版で、金剛山の登山口付近を示している。図中赤丸で囲っているのが、それぞれ千早城跡である。2002年版では666mのピークのすぐ南川に城跡の記号が描かれているが、2009年版では、666mのピークから北西方向の離れた場所に千早城跡が記されている。2つの地図を見比べると、この7年間で城が動いたように見える。また、2009年度版には千早神社と府立山の家が消されている。
実際は、2002年版は本丸跡付近、2009年版は四の丸跡付近に、城跡が描かれているのである。したがって、両方とも間違いではない。この666mのピークから北西方向にかけて、全て城跡なのである。千早神社と府立山の家も現存している。
2月の下見の際は2002年版の地図を見て、城跡の記号の位置を四の丸付近と信じ込んでしまったために、自分の位置を見失ってしまった。現実には城跡の標は四の丸に立てられているのである。城の機能や構造からすると本丸跡に地図記号を持ってくるのが正解に思えるが、登山地図としてみた場合は四の丸跡に城跡の記号があったほうが自分の位置を把握しやすい。
2009年度版「山と高原地図」の城跡の位置は、最新の国土地理院の地図と同じである。おそらくは原図となった国土地理院の地図が記号の位置を動かしたものと思われるが、古い国土地理院の地図が手元にないために確認はできない。この国土地理院の地図と山と高原地図を比較してみると、さらに驚くべき事実が見つかるのだが、その話はまたいつかしたいと思う。

信仰について

2009年06月01日 | ボーイ隊活動
ボーイスカウトでは明確に信仰を持つことを奨励している。入隊申込書には信ずるところの宗教を記入する欄がある。個人情報保護法では、センシティブ(機微 な)情報として、収集するには情報主体(本人)の同意が必要となる。したがって、この欄は、保護者の方の任意で記入してもらっている。空欄のまま提出してもらっても受け取りは拒まない。
ときどきではあるが、この欄に「無し」と書かれる方がおられる。話を伺うと、初詣に神社・仏閣にお参りをするし、彼岸、盆には墓参もしておられるのだ。それでも、ご自身は宗教「無し」と思っておられる。このような場合は「仏教」もしくは「神道」あるいはその両方を記入してほしい。「無し」と書かれると、受け取ることができない。なぜならば、我々は無神論者は受け入れられないからである。
30日(土)~31日(日)にかけて、仏性山蓮華院極楽寺(当団のBS隊長、VS副長のご自宅)で、信仰奨励章取得取得のための講習会が行われた。VS副長が講師となり、当団およびかつらぎ地区のBS, VS隊員、計16名が受講した。信仰奨励章は宗教章(各宗教毎にある)取得の前段階と位置づけられており、いくつかの取得要件のうち、下記を行うことができた。
  • 自分の家の宗教(派)か、興味を持った宗教(派)の宗教儀礼、宗教行事、またはスカウツオウンに参加する。
  • 自分の家の宗教(派)か、興味を持った宗教(派)の教導職から信仰や宗教について話を聞く。
隊員たちは慣れない長時間の正座、厳しい礼拝作法に困惑していたようだが、今回一泊二日の経験を通して、宗教とは何か、自分とって何故信仰が必要なのかを考えることができたと思う。