星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

ありがた迷惑

2006年12月06日 08時24分52秒 | 考えたこと
「親切心」って大切だなって思う。
しかし「親切」でしたつもりが、「大きなお世話」になることがある。
それをいわゆる「ありがた迷惑」と呼ぶ。

先日、ある方の善意を受けた。全くの善意である。
その方にやましい心は一切ないことは良く分かる。
それでも内心 
「何故、そんなに単純にこうされたのか。
 それでは余計にしんどいことになる。
 何故、本当のところを分かってくれないのだろうか。
 まさに、余計なお世話、大きなお世話である」
そんな思いが心の中だけではなく、私の顔の表情にまで渦巻いていた。

本当のところを言おうか言わまいか、かなり葛藤したが、
最終的に言わないことに決めた。
もちろん、事の次第によれば、本当のことを言った方が良いこともある。
しかし今回は、「ありがた迷惑」の「ありがた」だけを感謝して頂いて、
「迷惑」は私の方で密かに受け止めようと決心した。

考えてみれば、私も数多くの「ありがた迷惑」をしてきているのだろう。
自分では良かれと思ってやったこと、言ったことでも、
実は余計に問題を複雑化してしまっていることもあっただろう。
その場合も、自分の動機は「善意」だからと、
相手の立場よりも自分を弁解することもあったであろう。

そう思うと、相手に「複雑な顔」をしたことを申し訳なく思ってきた。
どうして「すがすがしい顔」が出来なかったかと後悔している。
「我関せず」の冷めた人間関係が多い中、純粋に善意を行ってくれたのだ。
たとえ「ありがた迷惑」のように感じたとしても、
「迷惑」の方に心を向けるのではなく、
その「ありがた」を「ありがたく」受け止める心の広さを持たせて頂きたいと思った。




思いがけないプレゼント

2006年12月06日 08時00分17秒 | 日常の出来事
先週の祈祷会の奉仕を終えて、
ふと携帯を見ると「着信あり」の表示。
父からの電話で「帰って来たら電話ちょうだい」
というメッセージが留守電に入っていた。

早速家に帰って電話をすると何故か母が出てきた。
「お父さんがどこの散髪屋に行こうか迷っていたら・・・」
と話しが始まる。母の話しは、なかなか本題に入らない。
必ず1から10まで話さずにはおれない。(私も似ているが・・・)
だからついつい「それで?用件は?」とトーンが大きくなる。

よくよく聞いてみると、何と懸賞でテレビが当たったというのだ!
日立プラズマ WO 42インチ(定価42万円)
さすがに驚いた。父が散髪屋も入っている近くの温泉の待合室で、
「自由にお持ち帰りください」という表示のあるマイナー雑誌を持って帰り、
母が最後のページにあった懸賞葉書に感想を沢山書いて送ったら、
1名様にというプラズマテレビが当たったということだ。
ヤマト運輸の方が3人がかりで2階の居間に運び入れてくれたそうだ。

クリスマスを前にした思いがけないプレゼントに両親は大喜びし、
早速喜びを共有しようと電話をかけてきたということだった。

クリスマスの最大のプレゼントは、イエス・キリストの誕生!
同じような、いやもっともっと大喜びしていいはずだろう。
そしてもっともっとこの喜びを分かち合いたいものだ。

PS.
その話しを聞いた我が妻は、今まで懸賞などには無関心だったはずが、
早速どこやらの懸賞に応募をしたそうだ。
微笑ましいと言うか、何と言うか。