写カットライフ

写真を通して人生を楽しみたい。
道具に凝るのもよし、撮影技術を磨くもよし、写真をテーマに楽しみ方を綴ったブログです。

2016年の出来事を振り返る

2016年12月29日 18時57分05秒 | 思ったこと

2016年もあと2日で過ぎ去ろうとしている。

メディア関係では今年の総括を始めていて大きな出来事やその影響を推し量る機会が多くなっている。

2016年は自分の人生も大きく変わった。 
40年弱勤務した会社を退職し、45年過ごした東京から故郷に戻り、今後の終活人生のスタートを切った。
振り返れば大変な労力であった。

そうした中で最も印象に残るイベントを考えてみた。
その一つは大移動の原動力を得ようと妻と二人で訪れたグアムの旅が最も印象に残るイベントであった。 
退職後、引っ越しの準備を後回しにしてすぐに向かった。 

思い返せば社員旅行で妻をグアムに連れていき、海外旅行の楽しさを体験してもらってから10年が経過していた。
ブログを始めたのもその頃であった。

グアムの想い出は10年前も今年もサンセットである。
リラックスして満ち足りた心の感動を与えてくれる光景はグアムの夕景である。 

10年前のグアムの夕景

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トワイライトエクスプレス みずかぜの走る路

2016年08月30日 18時47分12秒 | 思ったこと

JR西日本が2017年より運行を開始する豪華列車「トワイライトエクスプレス みずかぜ」が米子市にある後藤総合車両所(後藤工場)に到着し、試験運転を始めているらしい。
ネットの記事では「前面に展望デッキ、中に展望室があり、編成の最後尾となる車両では、デッキに出て走行中の風を感じられるのも特徴です。展望室は床が高くなっており、運転士と同じ目線の高さで前方の景色を見ることができます。車体側面の窓は天井まで回り込む曲面ガラスで、車内から空も見られるようになっています」 と列車の旅でのロマンを掻き立てる内容となっている。

米子在住の自分としては試験運転でも良いし、運行開始からでも良いが大山を背景とした写真を撮りたいと思った。

写真の列車は大山方面に向かって走っている。よって、最後尾のデッキを写す時はこの位置からで良い。先頭車両を撮影する場合はここでは取れない。そもそも、運行ルートがまだわからないのでなんとも言えない。しかし、撮る楽しみが増えたことは確かだ。

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郷里に帰省、1カ月を振り返って

2016年06月25日 19時37分49秒 | 思ったこと

郷里に戻って一月が過ぎたが出来たことやまだ出来ていないことなどをまとめてみた。
生活には衣食住が重要だ。衣については自分達のものは問題ないのだが、両親の残した大量の衣類に苦労している。年老いた両親はものを処分するということを全くやっていなかった。家の中の押し入れ、タンス、衣装ケースの中に綺麗にたたまれた衣類が残っていた。当初は分類して使えるものと使えないものを仕分けして、使えないものはごみとして処分しようと考えた。基本的にはそのやり方で仕分けをしているのだが、いつまでたっても終わりそうもない。それほどの量であった。40リットルのごみ袋で換算すると多分50袋以上にはなる。実家を立てて35年だが、その分の量があると言って過言ではない。
大切な両親の遺品ではあるが、申し訳ないと拝みながら処分することにした。ただ、ゴミに出すことはせず衣類の買い取りセンターに持ち込んだ。 便利なビジネスがあるものだ。調べてみると数か所あった。捨てられるものもあるだろうが、再利用されるのであれば喜ばしい。
そして、上着などの衣類は初盆で親戚が集まる時に必要であれば持ち帰ってもらうことにした。 

食については頻繁に買い物に行っている。東京では1週間に1回のまとめ買いであったが、魚の新鮮さに妻が感動し、ほぼ毎日買い出しに出かけることになった。

住については水回りはリフォームしておいたので問題はないが、和室の畳と襖、障子が問題である。一部の部屋の畳は交換した。35年も経過していると使っていなかった部屋の畳は痛みがひどくすべて交換した。新しい畳の歩き心地は素晴らしいものであった。リビングにしようと思っていた部屋はフローリングにしようと思っていたが、畳の部屋にすることにした。交換する畳屋さんの作業を見ていて敷き詰める時の職人技を見た。昔の家は年に1回は畳を外で干していたと聞いた。言われてみると子供のころ、そうした大掃除をやっていたような気がした。
純和風の実家であるので家具などの配置や壁への飾りが難しい。しかし、畳を新しくして足元が快適であると部屋の存在がぐっと身近になると感じた。 

住についてはまだまだやることはたくさんある。エアコンの増設や交換もそうだ。近所で両親がお世話になった電気店に任せているが、天気任せでなかなか工事が進まない。突然、明日の午後やりますなど連絡が入る。それでもやった工事はきちんとしているので問題はないのだが、先の予定が立たないのがちょっと心配だ。エアコンはあと2台設置を頼んでいる。今週中といっていたが連絡がない。

写真は大山にあるミルクの里の牧場だ。この日は牛が放牧されていなかった。遠くには日本海と弓ヶ浜半島がうっすらと見える景色の場所である。
梅雨が明けるのはまだ先だろうが、雨の合間を縫って近隣には出かけてみようと思っている。 のんびりとした郷里の時間に体が大分なじんできたことは確かだ。

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東京在住の最後のブログはバラの写真で

2016年05月23日 22時25分07秒 | 思ったこと

時の経つのは早いものだ。東京在住の最後の夜となった。引越しの準備で家の中は段ボウルの山となった。
連休の時から準備を始めたのだが、早めにスタートしておいて良かった。1週間程度ではとても片付かなかったと思う。

新宿御苑で撮影したバラをもう少し紹介しておきます。
すっきりとした白いバラが撮れていた。 

快晴の中での空気もすっきりとしていた。今日は夏日であったが湿度がまだ低いのでなんとかしのげる。

 輝くような黄色のバラ。

バラの王道である真紅のバラ。落ち着きのある貴婦人の色だ。 

東京にはバラ園がたくさんある。神代植物公園のバラ園が最も有名だろう。しかし、都心にある新宿御苑のバラ園は最も行きやすいバラ園ではないだろうか。

明日の夜には我が故郷である山陰に戻っている。山陰にもバラ園はあるだろう。知っているようで意外に知らなかったスポットもあるように思う。
準備が出来次第、山陰を紹介するブログを綴って行きたい。 

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息子の引っ越し

2016年05月16日 22時06分16秒 | 思ったこと

郷里への引っ越しまであと8日となった。今日は一緒に暮らしていた末の息子が引っ越しで家を出て行った。船橋市に新居を借りて初めての一人暮らしを始めた。
妻と自分で手伝いに行った。45年前の自分が一人暮らしを始めたころを思い出した。
出て行く自分は親と離れる寂しさよりも一人暮らしを始める、大人の気分に高揚しむしろ将来への夢に気持ちが高ぶっていたように思う。
手伝いを終えて家に帰る車の中で、妻がぽつりと言った。「とうとう二人だけの所帯になったね・・・」 
去られる者の気持ちが現実感を持ってずしりと心に落ちてきた。こういうことか・・・・。 

先日、娘夫妻と孫二人、息子夫妻、先ほどの息子の9人でお別れ会をやってくれた。親父やお袋が居なくなって、彼らには田舎がなくなっていたわけだが、自分たちが移転するため再び田舎ができたと喜んでくれた。しかし、自分達もそうであったがなかなか頻繁に帰省することはかなわなかった。遠いということだけでなく旅費もかかる。せいぜい盆とか正月が良いとことだろう。
このように考えると寂しさが増すが、自分たちが上京してくるという発想はどうだろうか。まだ体が十分に動くうちは頻繁に上京したら良いのだ。 家族だけではなく東京在住の友人にも会える。旅行などはできれば頻繁に出かけたい。その中の一つに東京を加えればよいのだ。

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2016年 あけましておめでとうございます

2016年01月01日 00時00分19秒 | 思ったこと

昨年は、大きな節目の前兆となるような一年であった。
退職の決意、故郷で暮らす決意、実家の建物の改修着手、最後の親孝行と母と暮らす準備、しかし、母の死。
人生に節目の年があるという。節目というより変わるきっかけと言ったほうが良いと思う。
まさに昨年はそのお膳立てが揃った年であった。

人は平等に歳を重ねていく。そして、肉体は老い、やがて生命は消えていく。ひとそれぞれ遅いか早いかはあるかもしれない。しかし、確実に命は終りを迎える。
自分のステージとして故郷で暮らすということはどの段階になるのだろうか。
人生は繋がっている。今まで生きてきた延長線上にあることは間違いない。ステージは環境が変わるので生き様も変わるかのように思えるが多分変わらないだろう。自分は自分だ。
特にこれといった準備はない。自分でできることをやるしかないと思っている。不安がないわけではないが、レールは移り住んでから敷いていきたい。

幸いに生まれた所で、親の残してくれた住居はある。45年間と空いた時間はあるが、早くこの土地をに馴染んで行きたいと思う。

写真は自分の故郷を代表する、また心の原風景である大山だ。故郷は母であったとこの間書いた。あえて景色を言うのであればこの大山だろう。雪をかぶったこの姿が心の原風景と言える。

今年は無の境地で目の前のことに対処していきたい。まさに一日一日が真剣勝負だ。今日の一つの動作が未来を決めていくのだ。


 

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山陰の心象

2015年12月25日 22時25分44秒 | 思ったこと

来春から実家で暮らすためリフォームの打ち合わせを重ねていた。その契約で帰省している。まさか母の葬儀が先になるとは思っていなかったのだが。

昨晩はずっと雨が降っていた。エルニーニョのせいか暖かい雨だ。と言ってもいつもの冬と比較してという意味であるが・・

母が亡くなって、明らかに変わったことがある。葬儀の後東京に戻るとき感じた。いつも実家を離れる時、玄関先から道に出て手を振っている母を思い出し、たとえ介護施設に居ようが、病院に居ようが後ろ髪を引かれる思いを味わっていた。今度いつ帰るのだろうか、それまで元気にしていてくれと祈るような思いで駅に向かっていた。
その気持ちがなくなっていたのだ。逆に残す人がいない虚しさのような無の境地で家を離れることができたのだ。
故郷は遠くにありて思うものという言葉があるが、故郷とは場所ではなさそうだ。故郷は人であったのだ。すなわち母ということか。

明日はまた東京に戻る。戻るという表現はあと半年しか使えない。明日の出発も何も感じることはないのだろうか。
もしそうであれば、徐々に実家が自分の生活圏に入って来ているということかもしれない。

 

 

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母を亡くすということ

2015年12月24日 22時36分02秒 | 思ったこと

先月末、母が逝った。今週末の日曜で四七日を迎える。やせて体力のなかった母は病院という環境ではひとたまりもなかったかもしれない。

実家の敷地内の改装の出来上がりを見に自宅に帰り、そこで転んで足を骨折した。軽いヒビであったが筋肉の衰えを防ぐため、リハビリを兼ねる病院に入院した。来春に自分たちがUターンするので介護施設から自宅へ戻り一緒に暮らすことを楽しみにしていてくれた。そのために、介護施設では数歩でも自力で歩こうと歩行訓練をやっていた。
しかし、病院への入院は環境があまりにも違いすぎたのだろうか。食べるものも口に合わずみるみる衰弱し点滴となってしまった。
前回のブログで紹介した大山の写真は入院直後の頃撮影したものだ。それから2週間で危篤となった。急遽帰省し病状を聞くと心不全の兆候が激しいという。確かに呼吸が苦しそうであった。11月という月は父の亡くなった月でもある。早く父のところに行きたいなどとも言い出した。
口からは何も食べたり飲んだりできなくなっていった。喉の渇きはしきりに訴えるので口に水を含ませることを何度も繰り返した。 
一旦、心不全は持ち直し、個室から大部屋に戻った。意識はしっかりしていたので、食べることができるようになれば元に戻るのではないかと淡い期待を抱いたのも確かである。そして、12月には帰省の予定を立てていたので一旦東京に戻った。 

11月30日。午後の2時過ぎ、携帯のバイブが鳴った。病院の名前が表示されている。覚悟を決めていたが不吉な知らせだと感じた。すると、深刻な危篤の知らせであった。今回は意識が薄いという。一両日は持つとは思うがなるべく早く来てくれという。仕事を整理して帰りのチケットの手配をネットでやろうとしていると再び携帯が振動した。病院からだ。先ほど息を引き取られてという知らせであった。最初の電話から30分も経っていなかった。・・・。言葉はなかった。逝くときはこんなにも早いのか。・・・。

この大山の写真は5年前父が入院をしている時、最後に見せたいと思い撮ったものだ。母も同じくこの季節に逝った。今頃はあの世で再会を喜んでいるのだろうか。残されたものはせめてそう願いたい。

母と最後の会話は「すべてお前に任せるけん、みんなお前に任せるけん」であった。
父の亡きあと、東京に暮らしてはいたが、実家を相続し自分がすべてやっているとその時は思ったがそうではなかった。自宅からの出棺の時、見送ってくれている近所の方達の数の多さにびっくりした。その時にはっきりと理解できた。父が逝ったあと。一人で守っていたものが理解できた。家、一族、祖先から受け継がれてきた全てを痩せて小さな体の母は背負って、そして壊れないように守っていたのだ。

母とはどうあがいても超えることはできない存在だ。昨日から実家に戻り、来春からの準備を少しづつ行っている。任せられた責務をうまくこなしていけるかどうかわからないが、ここで暮らすために必要なことは前向きにこなしていきたいと考える。

しかし、寂しいことだ・・・・・
 

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帰省で考えるUターン

2015年08月30日 22時02分16秒 | 思ったこと

今年の帰省は普段とは違う異質なものであった。来年の今頃は実家に根差した生活が出来ているのだろうか。そのことをゆっくりと考えてみたかったのだが、それよりも物理的な準備に追われた毎日であった。

生まれ育った故郷なので友達は多い。数回飲み会があったがすぐに打ち解けて盛り上がった。自営業、元公務員、自由業、ボランティアと職業は様々だ。自営は別としてほとんどが仕事はサブで自分しかできないものを何かしら持ち日々を生きていた。
午前中はアルバイト、午後は自分の時間を持ち作詞作曲、夜はライブハウスで歌を歌っているものもいた。もう500曲以上作ったらしい。ボランティアでは公民館長や少年野球の監督もいた。お茶の会の役員もいた。

住むことはかなうが何をするのかということはこれからだ。やりたいことはあるがもっと強くその思いを持ちたいと考える。
まずは一つ一つ段取りをクリアしていくことが必要か。

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この猛暑はなんだろうか

2015年07月26日 19時21分04秒 | 思ったこと

スマホのアプリでYahooの防災速報というアプリがある。集中豪雨とか避難情報、河川洪水、津波など防災に関連する速報を発してくれるアプリだ。
今日は10時50分に熱中症情報が入ってきた。ランクは危険で、運動は原則中止というメッセージであった。12時50分にも同じ毛速報が出ていた。
昼頃に外出したが、確かに異常な熱気の空気の塊が地表を覆っているような外部であった。 

夏は暑いもので仕方がないのだが、今からこの気温であると先が思いやられる。
実家のある鳥取でも同じような速報が出ていた。帰省の時期が近づいてきた。盆のころもこの暑さが続いているのだろうか。自分の体は自分で守らなければいけない。体調管理には十分留意しよう。 

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