この作品は近代文学の担い手となった小説家たちが現代日本にいたらどう生きたか?という仮定の下、作家たちの思想と文学を新たな視線で描いたものである。
・・・「文学」というとおカタイイメージあるが、高橋さんはそれをぶっ壊す。文豪たちがAVを借りたり、渋谷で援助交際したり、ブルセラショップに入ったりするのである。ぶっちゃけ過ぎである。
そもそも文学とは既成概念や権威を破壊するものであるのに、「文学」が権威付けられているとは本末転倒である。高橋さんはふざけているのでなく、この本質を訴えているのである。
AV監督田山花袋
そのなかから一つのエピソードを取り上げよう。これは『蒲団』を問う作品であり、企画モノのAVレーベルが『蒲団』をAVのモチーフするというものである。
ADが『蒲団』を調べ、「これそのまんま、AVじゃん」と漏らすことから始まり、ついには花袋自らAVの監督を行う。
AV業者は、花袋に対し、芳子を想い、師としての立場と悩むシーンでオナニーをさせようとする。師の立場を利用して、芳子を押し倒してやっちゃえばいいじゃないですか、と言う。
花袋はそれは違うという。
なにが違うのか?
『蒲団』は自然主義の本旨である「露骨なる描写」が評価された。とくに性の直截な叙述が注目された。曰く、事実をそのまま描くと。
芳子をモノにしようと思っていた主人公である。オナニーもしたであろう。
ようは、若い女性をモノにしようとした中年男の話である。フーゾクに行って説教しようするおっさんと同じである。それを新旧両思想対立、行動と自意識の葛藤という悩みに置き換えているのは、カッコつけである。「露骨なる描写」を貫ききれていない。
作者自身、懺悔でも教訓でもなく、ただ事実を提示したのみといっている。それならばいっそ、AVのほうが「露骨なる描写」といえるのではないだろうか。
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