古書肆雨柳堂

小説の感想。芥川龍之介、泉鏡花、中島敦、江戸川乱歩、京極夏彦、石田衣良、ブラッドベリ、アシモフ、ディック

『ヰタ・セクスアリス』森鴎外

2006-10-09 22:38:50 | 近代文学

 ラテン語は分かりませんが、『性欲について』というところでしょうか。
主人公は金井湛(しずか)君は哲学の大学講師です。

「夏目金之助君が『我輩は猫である』という作品をだした・・・」
という記述などがあり、森鴎外の自伝っぽいです。

 当時勃興した自然主義文学にはよく性的描写が伴います。
恥ずかしいことも隠さず、ありのままを描写するのが自然主義ですが、
なにか自分の性欲をさらけだすこと自体ポーズとなってしまっている
ところもあるような気がします。

 このことは高橋純一郎の『日本文学盛衰史』内AV監督田山花袋でも
取り上げられています。

『性欲』をテーマとした小説・エッセイ・研究は過去にも例にあります。
しかし金井君の知りたいこととはちょっと離れているのです。
しかし心理学や犯罪学で扱われるのはアブノーマルばかりです。
ルソーのエッセイにも性欲について書かれているが性欲が主ではありません。
小説に恋愛モノは数多くある。恋愛と性欲は密接に関わっているが
一般的に小説では片手落ちで、性欲が抜け落ちています。
このように考え、自己の性欲の萌芽・発展の歴史を書こうとしたのです。

 大槻ケンヂの『グミ・チョコレート・パイン グミ編』に
これも主人公を借りて自伝的に「オナニー日記」
書かれていましたが、それを思い出しました。

 六つのときから思春期、大学時代、結婚の話のでる年頃、現在まで
それぞれ描かれています。
 六歳のときなんて廃藩置県の時代!です。


『八月十五日の神話』佐藤卓己

2006-10-07 10:27:25 | その他

「『先の戦争』の意味を公開の場で冷静に再審するためには、ひとまずは戦争責任の議論と戦没者の追悼は、その時空を切り離して行うべきだと考える。そのためには、お盆の「8月15日の心理を尊重しつつ、夏休み明けに『9月2日の論理』をももつべきだろうう。―――本文より」

①「太平洋戦争の終わった日はいつか?」
と問われれば、日本人の誰もが「8月15日」と答えるでしょう。
しかしこれは日本だけの常識ということがまず述べられており、
驚愕の事実です。

 そもそも終戦が8月15日の根拠はなんであるのか?
と考え直してみると、知らないことに気づきます。

そもそも終戦/敗戦をめぐる日付は
8月14日:ポツダム宣言受諾
8月15日:玉音放送
9月 2日:降伏文書に調印
である。
 このことは実は教科書にしっかり載っているので、我々は学んでいるはずなのです。本論文では、各教科書が終戦の日付にどのように言及しているか、
綿密に比較検討しています。

 では我々は何によって「終戦=8月15日」と思い込んでいるのか?
それは毎年繰り返されるテレビ番組・新聞報道によってであることが検証されています。
 そしてこれは終戦から10年たってから「常識」となったことが明らかにされます。
ここでも終戦からの毎年8月15日のテレビ・ラジオ番組欄の比較によって
一目瞭然となっています。

これらのことは日付をいつとするだけではなく、
②そもそもなぜ敗戦ではなく終戦なのか?
という疑問も呈しています。
 
 
つまり「終戦=8月15日」はメディアによって作られたのです。
そして作られたからには、その意図、そしてそれを意図した者がいるということです。

 終戦記念日の法的根拠
1963年池田勇人内閣において決定された
「全国戦没者追悼式実施要綱」によってであることが述べられております。

また終戦記念日の正式名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」
1982年鈴木善幸内閣によって閣議決定されたことが述べられています。