『メディア良化法』によって、言論が統制された現代。本を守るため、図書館が立ち上がった!
大抵この場合「立ち上がった」というのは、思想的なものを指しますが、この物語では図書館は武装し、「図書隊」を組織します。本の面白さは「もしこうだったら・・・」と想像をめぐらすことですが、この本では『図書館の自由に関する宣言』という実在する宣言から新たな世界を広げている点がユニークです。
本を守る―――この作品は現代の『華氏451』です。
作者が、月9ドラマ化を目指したと後書きで述べているように、主人公は女の子で
就職したてで仕事に苦労したり、恋愛に悩んだりと、堅苦しくなく楽しく読める雰囲気となっております。
章立ては「図書館の自由に関する宣言」各項に対応するようになっており、
ストーリーを通し、「宣言」の内容も興味深く学べます。
図書館だけでなく、街の本屋、学校の図書室なども舞台として登場し、
「本を供給する仕組み」の意義が見出されています。
特に「学校の図書室」。図書隊は図書館のみにしか権限を有しないので、
「良化機関」の学校の図書室に対する検閲には無力なのです。
しかし熱血教師のように熱い主人公らは、子供達に色々とアドバイスを
してあげます。
作中の言葉を使うと「大人のケンカの仕方」を教えてあげます。
「大人のケンカの仕方」―――合法的な手続きを踏み、対話によって物事の解決を
図ることです。
子供達は検閲によって好きな本を読めなくなることに憤りを感じ、「良化委員会」の
集会に花火を投げ込むなどしました。主人公たちはそれでは世間はその主張に正当性を感じない―とアドバイスをします。
きちんと謝り、公平な調査を行い、検閲が子供達のためになっていないということを堂々と主張するのです。
「正当な手続きと対話」は市民社会の基本であり、われわれもハッとさせられます。
【参考:子供達の考えた規制に対するアンケート】
・読書によって犯罪が助長されると思いますか?
・あなた自身は読書によって悪い影響を受けますか?
・あなたの好きな本が規制されたら、各種の推薦図書を読みますか?
子供に碁ブームをもたらし、一世を風靡した作品です。
小学生のヒカルはおじいちゃんの家の蔵で古い碁盤を見つけます。それには藤原の左為(さい)という平安時代の棋士の霊がついていました。彼は「神の一手」を究めるため、死してもこの世にとどまっていたのです。そして平成の世では、ヒカルを介して碁を究めるため、ヒカルに碁の魅力を教授していきます。
ヒカルサイドから見れば、ジャンプの一般的な青春スポーツドラマと同じように、新しいスポーツ(碁)に出会い、トレーニングに打ち込み、ライバルたちと競っていきます。
といっても少年モノと侮るなかれ
碁と聞いて年寄りくさいと敬遠するなかれ
わたしもこれを読み、碁を始めましたが碁は普遍性があるので誰でも楽しめます。
ヒカルの成長に伴い、知られざる碁の世界をわたし達に教えてくれます。プロ棋士の社会や世界中に碁が広まっていること。(中国、韓国に比べて日本はむしろ後進国・・・)
碁は19路の狭い碁盤、黒と白の石のみという単純なものですが、中心を「天元」
ある交点を「星」ということに象徴されるように、宇宙を体現しています。碁の打ち方はその人の生き方(way)でもあります。
第一部で左為は消えてしまい、ヒカルは大きな喪失感を覚え、碁をやめてしまいます。しかし友人に励まされ碁を打ったとき、自分の打ち方に左為の存在を見出します。左為の技術はヒカルに受け継がれていたのです。
普遍的なものを究めるのに、人の一生は短すぎます。世を経て碁を伝えていた左為はその象徴ともいえます。しかし、碁を打つものはみな「神の一手」を目指しているわけで、我々は先人達の思いを未来へ繋いでいるといえます。
心理学者マズローは下位動機が満たされて、上位動機が現れるという動機の階層説をときました。「神の一手」を目指すというのは、何よりも楽しいことでしょう。
ちよの機転によって一豊は出世を重ねていきます。しかしあまり口を出しすぎると、「さかしらな女」と敬遠されかねません。ちよはでしゃばらず、一豊をうまく立てます。
もちろん夫婦が本当に作中のような会話をしたかどうかは分かりません。しかし戦国時代は必ずしも男(武士=戦)だけの世界ではなかった、という感じがよく伝わってきます。
ドラマでは一豊があまりに「いい人」に描かれていて、「弱肉強食」の戦国時代でそんなんで生き残れたわけないだろう、疑問に思っていました。一豊が土佐一国を与えられ、先住の長曾我部一族を服従させるところでは、この実情が描かれています。
まあ、こんな手を使ったのか・・・
これが幕末の上士・郷士の対立の起源となったと思うと、歴史の因果を感じます。