今日は宇宙人についてお話したいと思います。
宇宙人モノといいますとウェルズの『宇宙戦争』以来、
侵略してくるのが定番ですね。
宇宙人はいるのかな、と想像するのはワクワクしますが、
侵略されてはたまりません。
こんど来た宇宙人はなんかカエルっぽいぞ。
でもあっさり子供につかまったり、ガンプラ作ったり頼りない。
まあ、侵略されずに大助かりですが。
でもまがりなりにも宇宙を渡り、侵略してくるくらいですから、
技術力は侮れません。強力な兵器を持っています。
最たるモノは『地球人一掃ミサイル』ですな。
ちなみに「地球人」と書いてポコペン人と読みますよ。
第6巻末「ケロロ軍曹百科」にこう書いてあります。
「地球の表面を3度焼き払う威力を持つ兵器。
しかし宇宙では破壊はダサイという風潮があり
使用される事はないだろう。」
人類を滅亡させるのに一度で十分なのに
3度も焼き払えるなんて恐ろしいですね。
これは勝ち目がありません。
って、核兵器だよー。
こんなもの宇宙人が持っているのはもっともですが
人類は自分で持っているんだもんな。
アイロニーが効いています。
子供に碁ブームをもたらし、一世を風靡した作品です。
小学生のヒカルはおじいちゃんの家の蔵で古い碁盤を見つけます。それには藤原の左為(さい)という平安時代の棋士の霊がついていました。彼は「神の一手」を究めるため、死してもこの世にとどまっていたのです。そして平成の世では、ヒカルを介して碁を究めるため、ヒカルに碁の魅力を教授していきます。
ヒカルサイドから見れば、ジャンプの一般的な青春スポーツドラマと同じように、新しいスポーツ(碁)に出会い、トレーニングに打ち込み、ライバルたちと競っていきます。
といっても少年モノと侮るなかれ
碁と聞いて年寄りくさいと敬遠するなかれ
わたしもこれを読み、碁を始めましたが碁は普遍性があるので誰でも楽しめます。
ヒカルの成長に伴い、知られざる碁の世界をわたし達に教えてくれます。プロ棋士の社会や世界中に碁が広まっていること。(中国、韓国に比べて日本はむしろ後進国・・・)
碁は19路の狭い碁盤、黒と白の石のみという単純なものですが、中心を「天元」
ある交点を「星」ということに象徴されるように、宇宙を体現しています。碁の打ち方はその人の生き方(way)でもあります。
第一部で左為は消えてしまい、ヒカルは大きな喪失感を覚え、碁をやめてしまいます。しかし友人に励まされ碁を打ったとき、自分の打ち方に左為の存在を見出します。左為の技術はヒカルに受け継がれていたのです。
普遍的なものを究めるのに、人の一生は短すぎます。世を経て碁を伝えていた左為はその象徴ともいえます。しかし、碁を打つものはみな「神の一手」を目指しているわけで、我々は先人達の思いを未来へ繋いでいるといえます。
心理学者マズローは下位動機が満たされて、上位動機が現れるという動機の階層説をときました。「神の一手」を目指すというのは、何よりも楽しいことでしょう。
第二巻『筆の海』『綿胞子』より
『筆の海』には淡幽(たんゆう)という少女が登場する。彼女は蟲退治の物語を書くことにより、蟲封じを行う術法を伝える一族の末裔である。ひたすら蟲退治の話を聞く毎日、その中で彼女は人間の、微小な生き物に対する驕りを感じ、蟲(生命)を愛でつつ、退治するという矛盾を抱える。
しかし、その苦しみのギンコに会い、癒される。ギンコの話には、蟲を退治する話ばかりでなく、その生態への驚きなど、蟲への畏敬が感じられたからである。
そのようなギンコの姿勢は『綿胞子』でも見られる。「綿胞子」は茸のように胞子を飛ばし、女性の胎内に宿り、人間の子供そっくりの子株を生ませる蟲である。この蟲は知能があり、言葉も解する。
その綿胞子との会話でギンコは次のように語る。
綿胞子:「どうして殺すの」
ギンコ:「お前らがヒトの子を食うからだ」
わ:「ぼくらはわるくない」
ギ:「俺らも悪かない。だが俺達のほうが強い。
だからお前はたねを残せずに死ぬんだ」
逆を返せば、蟲のほうが強ければ人間が駆逐されても仕方ないと認めている。
ここには人間が高等だから、蟲を殺して当然という驕りはない。人間も弱肉強食の自然のなかの一部という考えなのである。
ギンコは蟲を退治するためだけに研究する蟲師なのではなく、
蟲を愛で、生命に畏敬の念を抱く蟲師なのである。
蟲とは?
蟲とは虫とはまた違い、我々が目にする動植物とは異なる異形の生命。
第一作目で次のように喩えられています。手を生物の分類に喩えます。親指を植物、他の四本を動物とします。人間は中指の一番先端。手首に近いほど下等な生物となります。
手首の下辺りで、指からの血管がひとつになっています。この辺りが菌類や微生物で、ここまでくると動物と植物の区分はなくなってきます。
さらに遡り肩も過ぎ、心臓あたりにいるもの、それが「蟲」、生命そのものに近いもの達です。
蟲は普通の生命とは在り様がことなるものなので、普通の人には見えません。なので、蟲たちの仕業が病や呪いと誤解されていることが多々あるのです。
蟲師たち
しかしこれら蟲が稀に見えるものがいました。蟲師もそのような性質を持ち、各地を旅しながら蟲たちの研究を行い、蟲による病等の治療、駆除を行う医者(科学者)と呪術師のような生業です。
これは蟲師、ギンコの旅日記であり、研究記録であり、随想なのです。
時代背景
時代は厳密には設定されていません。著者自身が一巻のあとがきで述べるところによれば、「鎖国し続けている日本」「江戸と明治の間にもうひと時代ある感じ」らしい。
ジャンル
「普通の人には見えず、たまに人に害をなす」ということで幽霊や妖怪のようでもあります。(作中で幽霊は蟲の一種であるという仮説が語られるし)なので怪談、妖怪モノのような感じです。
しかしそんなに怖くないし、時代設定から昔話、民話のようでもあります。なにせ蟲「退治」ではなく、生命への慈しみ、不思議なものへの感動で溢れているのです。