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風のよーにすぎてく毎日

病気と不健康のはざまで実益ゼロ道楽趣味生活。

ボトックスの記憶

2006-08-28 | 病気と健康
新小岩

初めてで最後(今のところ)のボトックスを打ったのは(打つというとなんかヤクみたいだ。)ちょーど1年前。
打ったのは、7月だったと思うが(多分)、打ったその日から、具合がわるくなった。

打ったところが、じくじく痛み、首に力がはいらなくなり、もちあがらず、ぐにゃりという感じになり、座椅子でよりかかって座ることも、できなくなった。

その病院へ行ったいきさつは、以前、別の自分のblogでかいたので、読んだ方も、おられるかもしれない。
その後、そのblog(自分の)は、閉鎖してしまったので、記事は残っていない。
logもとっていない。

自分で、注射後の状態を、毎日メモとっていたので、どこかにあるかもしれないが、引越しの時、むかついて捨ててしまったよーなきもする。

したがって詳細については、記憶違いもあるかもしれんが、おおまかなところは、そうちがっていないと思う。

わたしが、痙性斜頸を発症した頃は、まだボトックスはなかった。
治療法もなく、効きもしない薬服用しか治療法はなかった。

自分も、ワイパックスなどを飲むと、痛みと緊張感は、緩和するきがするものの、痛みの最盛期には、薬をのんで楽になったきがすることはなかった。

その後、何年かして保険がきくポトックスがあらわれ、担当医からはなしもきいたが、ボツリヌス菌の毒素かよ?そんな副作用もはっきりしない新しい治療法なんて、あぶなそーと思い、とびつくきがしなかった。

何年もたって副作用が発見されるなんてこともありえるぢゃんとも思ったし。
安全とわかってからでもおそくない。どーせ、もう何年もこの状態なのだとも思った。

シワとりなどの美容で、脚光をあびだしてもいたが、顔が能面のよーになるとか、口があけずらくなるとか、なんかマイナス面も聞こえ、美容の少量でさえそうなのだからと、もともと臆病なので、しり込み気分だった。

なによりも、恐れたのは、見た目にふつうになっても、痛みがきえなければ、他人には、ますます苦痛がわかりずらくなるぢゃんと思った。
その後、だいぶたってから痛みも消えるらしいというのを知ったが。

ボトックスがあらわるとじょじょに、痙性斜頸で検索するとヒットする記事が、ではじめた。
それ以前では、情報は少なかった。
そして、この患者仲間も結構いるのも知った。

周辺では、こんな患者みたこともきいたこともなかったので、最初は、かかってみて病名もはじめてきいたくらいだ。

前おきが長くなったが、ボトックス注射だが、やってみようかなあと思いはじめて、病院探しをはじめた。

昔(ボトックスがない頃)、検査入院(4週間の予定だったが、2週間で自主退院)した某都立病院も、ボトックス科ができたのを知った。
そこにしようかなあとか。
しかし、一生懸命、いろんな薬をためして効果をみてくださった医師の指示をきかず(薬をのむと、力がぬけたかんじになりいやだったりした。)、ムッとさせ自主退院してしまった経緯もあるしなあとか、ネットであちこちながめながら、通院しやすい点も考慮して探す。

最終的に、東大と慶応にしぼる。ホームページの内容からだったが。
病院へは事前に下見にもいく。

慶応は、入院があるらしく、猫たちはどうする?
東大病院の緑に囲まれた敷地が気に入り、そちらへ予約。
3カ月先だったが、今更いそぐこともないとまつ。

結局、東大の神経内科では、ボトックス注射は、懐疑的でやっておらず、治療法などないというよーな感じだった。

心療内科でも、精神的な面もみてもらったが(ナンページにもわたる問診表に記入して診察)、それが原因ではないといわれる。

そこでもらった薬(うつや安定剤など)をのむと、無気力になり具合悪くなるので、のむのをよす。

ボトックス注射にたどりついたのは、TJ子医大の医師がかいた「ボトックス」関連の本をよみ、その医師にかかってよくなったという体験者の若者が、自分のblog(当時運営)にコメントを書き込んでくださり、そこに決定する。

診察の医師(女性医師)と注射の医師は、別で、注射の時に、はじめて本をかいた医師にあったが、実際に注射をしたのは、これまた同室にいた若い医師である。

診察もロクにしてないけど、大丈夫かな?と思った。
しかも本の著者の医師が注射をするときいていたのに、見習い(と自分は思った)に練習させるのか?と不安感と疑惑をもつ。

わたしは、左に向いてしまうのだが、自分では、右が強くいたいし、右の首すじが、つっぱっている感じがするのだが、注射は、左のくびすじに、6箇所うたれた。

若い医師は、なぜか、注射をためらいなかなか針をさせなかった。
これも自分に疑惑の気分の拍車をかけた。

「治りますか?」と年配の方の医師にきくと、「治ります。」と力強くいわれた。

最初は、量が少ないので、きかないかもしれないらしいようだが、きかなくてもよいが、ひどくなるのは、いやである。

その日から、ずきずきはじまり、動くと激しく痛む。
そして、首をもたげていられなくなり、つまり重たい頭をささえる力をなくしたのだ。
恐ろしかった。

ごはんもうまく食べられない。
前の方がまだずっとずっとマシ。
一日中、ねころんでいるわけにはいかないので、座椅子の背をねかせて、テレビをみたりしていた。

3週間くらいで、効果がうすれだすと読んだよーな気がして、そのうち治るとひたすら楽になる日を夢みる。

1カ月後の、検診で、注射をうった医師ではない、診察専門の女医に、
「具合わるくなってこりごりした。なんで左ばかりに打つのか?しかも、O先生でなく、あの若い先生はだれ?」など、不調の報告と抗議をすると彼女の態度が豹変したので驚いた。

「気に入らないなら、やめたらいいでしょう。神経内科の医師なら、誰でもうてる。」などという。

言われなくても、二度といくきはなく、ほんとは、もう用もなくめんどくさいのでいきたくなかったが、ひとこと抗議のためにいったのだったが。






眠気がきえない。

2006-08-26 | 病気と健康



秋葉原駅


だいぶ前、知人から「写真をとる時には、首は大丈夫なの?」と聞かれたことがあるが、その時は、とっさに返事ができなかった。
カメラは、右目でファインダーをのぞく仕様になっているので、多分、顔が左に傾いてても、問題ないのかもとあとで思ったが。

で顔にあてるため、首の緊張も、それにきをとられて、まあまあ斜め前くらいはむいているのだろう。

しかし、とっさにとるスナップなどは、ほとんど画面が傾いている。この写真のよーに。
傾いた写真は、落ち着かないので、補正でいちいち直しているのだが、傾いて写す傾向があるのがわかっているので、(痙性斜頸になる前は、傾かなかった。)、じっくりねらえる場合は、いったんカメラの傾きを確認したりして写す。

ファインダーをのぞいている時点では、わからない。
ニコンのカメラは、編み目のよーなのを表示できるので、それを表示しているのだが、だめである。



新小岩

クリニックにいく時は、ずっと秋葉でのりかえをしていたのだが、先日、1本でうちの駅までこれるというのを発見した。
乗り換え案内のソフトで、調査して知ってはいたが、乗り場がわからなかった。

かえり、たまたまホームを間違えて不安ながら乗ったら、駅をずいぶんとばして簡単にうちの駅についた。

先日、少し早めについたので、新小岩をほっついたのだが、ちょっと歩いただけでも、写真にとりたい光景、沢山あるなあ。

ごはんを食べると眠たくなる。
本日も、夕食後、眠たくて、うとうとしていたのだが、すこし前、たまたまかかっていたテレビをみていて(タイトル不明)、芸能人の健康度をチエックする番組だが、食後すぐねると、胃腸で食物が逆流して、ただれて胃ガンになる場合があるなどといっていたので、ねるのをがまんした。
ただでさえ、胃腸が弱いのだ。

最近は、そうでもないが、以前はよく胃腸の存在をびしばし感じたものだ。
何もなければ、胃腸など意識することはないが、もたれるとかいう表現になるのかな、つかれると食事のあと胃腸に小石をつめこんだよーな気持わるさがつづいたりした。

このよーにぐうたらするよーになったら、消えた兆候だが。


必須アイテム。

2006-08-19 | 病気と健康
gooの投稿メニューに、ジャンル別に選択する項目がでてくるのだが、その中に、「病気」という項目がない。
病気関連のことを記事にしようと思うと、ヘルス/ビューテイが、なんとか該当するのだが、「美容」「さぷり」ほか略など、関連づけられるものがない。「健康づくり」を選択してみたりするが、これも厳密にいえば、というよか、はっきし見当はずれ。
ま、いいけど。
いろんな病気かかえている方々も、沢山blog運営してると思うけどね。
こーいう設定するひとは、おおむね健康なひとがやるのだろう。

さて、本題。
痙性斜頸患者の自分のなくてはならない日常の必須アイテム。

★頭までささえられる背もたれと肘かけのある座椅子。

私は、ほぼ一日中、これに座りなんでもする。
料理も、材料一式、この椅子の前のテーブルまで運搬して、きざんだり、皮むいたり。
ただ洗いは、無理なので、わきの壁によりかかったり、額をつり戸棚のふち(これは寸法がたりないので、ながめのモノをおいて工夫)して行うが、これも長時間は、首が痛くて無理なので、ほんとはやりたくない作業のひとつ。

なっぱ類などは、洗うことを考えるとついついあとまわしにしてしまう。

食器などは、なるべく最小限に使用。洗うことを考えるから。
そしてためこまない。

顔が、左をむきっぱなしという状態も、不自由なのだが、それに痛みが加わるのが、苦痛を増加。
ふつうのひとが、左や右をむいても、痛くもないのに、痙性斜頸の顔の回転は、なんで痛いんだろなといつも不思議。

痛い痛いとヒトにいうわけにはいかんので、ひとには通じてないし、見た目にも、ヒトには、わからない。

痛みは、発症した最初の4~5年は、ほんとに強かったが、この1~3年は、やや緩和。(この区分けがはっきりしないので、おおざっぱ)
それでも、ひきつれるよーな痛みが消えたわけではない。
以前は、首にくわえて、肩と腕、手にも痛みがあったため、料理は、ほんとうに苦痛の作業のひとつだった。

もともと作ることが好きなので、この1~3年くらいから、いろいろ作れるようになってきて、うれしい。

歩行中は、痛みは、ある程度ちるよーなきがするが、外出先で、静止している時が、つらい。

そのため、外出中は、常によりかかれる場所を、物色している。
電車の中、バスの座席、駅のホーム、病院の待合室。

電車の中は、座れれば、窓によりかかれるのでよいのだが(頭はそっくりかえるが)、立っている時には、なるべく入り口のわきを、ねらう。ふさがっているときは、仕方ないが。

バスは、ふつうは背もたれが低い。頭がよりかかれない座椅子くらい苦痛な椅子はない。手で、頭をかかえていても、痛みが消えないからだが。

しかし、都営バスで、後ろから2列目のみ背もたれが高くなっているバスが、以前よく使う路線で走っていた。
わたしは、通院する時には、いつもその座席確保めざしていたものだ。
前の方のシルバーシートだと、よりかかれるつくりが多いので、すいている時には、座る。
ここへきて、最近は、都営バスにのっていないので、椅子がどうなってるか知らない。

乗り物といえば、エスカレーターも、自分にとっては、右にたつのが、楽なのだが、なぜか右は、歩行するひと専用になっている。
歩きたければ、階段にしろよといってやりたいが。
自分も若く元気だったら、右側をとっととのぼりおりしていた可能性はある。

なんで右にたちたいかというと、右手は、頭をささえるためふさがれるので、左手でカートをひいているせいである。
左にたつには、カートを右に持たねばならない。
不思議なのだが、左にむいてしまう顔は、なぜか右手でささえる時しか、有効に働かない。
これでも、完璧に表面をむくわけではないのだが、痛みが、だいぶ緩和されるし、ななめ正面くらいにはなる。

薬は、外出時には、飲み忘れると、「いたたいたた」と苦痛で思いだす。
んで、常に携帯していて、あわてて飲料水をジハンでかい飲むのだが、気分もあるのか、飲むと楽になるのは、そんなすぐきくわけないのにあやしいのだが。

この数年、ずっとワイパックスだったが、最近、レキソタンというのを処方されたので(同じ系統)、のみくらべているが、どうもワイパックスの方が、痛みが緩和されるきがするけど、実際にはよくわからない。

うちにいる時には、座っていられるので、飲まないことが多いが、ゴミ捨ての日などは、外にでるので飲む。

顔がまっすぐむいたら、よいのになと思う仕事に、ミシンがけがある。
座椅子に座っていると、そっくりかえった姿勢にならざるをえないので、のぞきこむ仕事は、できにくい。

んで、ひじかけも、なくてはならないので(腕に負担がかかるため)、そのひじかけの為に、座椅子は、テーブルの奥まではいっていかず、これが行動の制約となる。

テーブルと自分の間に距離ができるからである。

食事も食器を手にもち自分にひきよせねばならず、テーブルにおいたまま食べたほうがよいよーなめん類などは、それができない。

パソコンのモニタも、かなり距離がはなれてみている。
目もわるいのだが、距離がはなれているため、小さい文字でかいている記事は、読むのが苦痛。

障害のための設備資金が、十分にあれば、生活しやすい環境に整えられるのにと常々思う。

目といえば・・・・。

かなり長文になったので、後日。
ま、病人の長文グチほど、シトさまから読んで楽しくないものはないので、ながながかくのはバカである。

ここまで無事、読んでくださった方に感謝。

※補足
バスの椅子。
最近のってないとかいたとこだが、先日、役所へいった時に乗っていた。
で、座席は、全部背もたれが低く、後ろまでいって、座ってみたが、ダメで、体をねかせて、頭をもたせかけるという無理な姿勢で座る。すいていたのでよかったが。

都バスも、最近では、いろんな車種が走っているので、わからない。


クリニックへいく。

2006-07-25 | 病気と健康
引越後、はじめてクリニックへいく。
もっと前に、いく予定していたが、猛暑が襲撃していたので、夏は無理だな、秋まで延期と思っていたが、このとこの冷夏つづきで、でかけてみる気に変更。



新小岩

駅をでると歩道橋があるのだが、ここをわたっていけば、クリニックには近道。
でも、個人的理由で、つらいので、この橋はのぼらない。



こんな歩道橋は、人間、「みな元気で健康」が前提で、設置されているが、高齢化社会には、時代遅れになりつつあるのでは?
車いす、足が不自由、ベビーカー、重い荷物などでも、無理。
歩道橋にケチをつけるつもりはないが、問題なのは、この橋をわたれない人々のための手段が、並行的に用意されてないことだ。
もちろん、遠回りすればすむ問題だけど。
道路をちょくにわたる信号はない。

んで、ぐるっと迂回して、ついでに商店街をぶらぶらする。早めについたので。



ここの商店街は、どこまでもつづき、安くて天井もあって、みて歩くだけでも、楽しい。
靴下やすいなあととおりがかりにながめたが、かうのがめんどくさいので、かわず。どういうわけか、買い物目的にでかけているのでなければ、めんどくさくて、買い物する気合がでない。

あまり奥まで、いってしまうと遅くなるので、てきとーにひきかえし、むこうがわ通路にわたる信号を探すが、かなりとおいので、自動車の通行をみながら、つっきる。

クリニックの物療は、きもちよくていつもうとうと仮眠してしまう。



先生に、近所に開院している新小岩小日向治療院をおしえていただき、かえりよってみる。
小日向院長には、昔かかっていたことがあり、目はわるく完全にはみえてはいないと思うのだが、名乗るとわたしのことはおぼえていた。
受け付けに治療院のパソコンがあったので、のぞく。マウスで移動すると音声で、読み上げてくれるマシンだった。







30分コースを施術してもらい帰宅する。
かえりには、雨はやんでいた。

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いろんなものが、なくなり、イライラする。
最近、銀行印が、なくなったことに気づき、やっと改印届けおわる。
その他、どこにしまったのか、いろんなものが、行方不明。
引越のとき、あまり分類せずに、あいてるとこにどんどんつっこんでしまったせいだ。で、狭いので完全に荷物整理もついていない。

カメラのレンズもみつからない。

画像は、全てコンパクトデジ






頸肩腕症候群の後遺症

2006-07-07 | 病気と健康
夢をみた。
電車にのって前にいた街へいった夢。
夢にでてきた光景は、現実とはちがっていた。街中がみどりの木々におおわれていた。
「ああ、やっぱこっちはみどりが多いなあ」と夢の中で思っている。
でも、用もないのにきてもどこへ行ったらいいんだ?もうかえる部屋もないし。
S公園でもいってみようか?などと思いながら、どこかの建物(駅か?)の廊下のよーなとこをぐるぐる歩いていた。あとは忘れた。

引越してきて、ウオーキングも中止し、あまり外出せず、座っていることも多いので、肩こりがひどい。
運動もしないし。
んで、うでをぐるぐるやっていたら、そのせいか知らんが、ここのとこ、うでのつけねが、違和感と不快感。
うでをぶらさげている状態がつらい。
運動しないし、筋力なくしているんだろうなあ。
たまにストレッチすると、具合わるくなる。

頸肩腕症になってから、今だに元にもどらないのは、はし使い、やマウスクリックなど、手の甲に、負担がかかる作業。
これらは、スプーンとタブレットペンで、代用しているので、不自由はしないけど。この2つは、私の日常必須アイテムになってしまった。

そーいえば、クーラーとりつけにくるので、荷物(ダンボール箱)を移動したのが、肩にきたのかもな。

頸肩腕症になる前には、できたことで、今はできないことは、荷物を手でもって運ぶこと。
これは、首のせいもある。
んで、買い物や外出時の、キャリーカートも、必須アイテムの1つ。
最近は、カートをひっぱって歩いているひとが多くなったので、めだたなくなって喜ばしい。ひっぱるより押す方が、楽なのだが、電車やバスにのる時は、場所をとるので無理。
いつも、楽そうでよいなあと思うのは、ベビーカーである。
最近のベビーカーは、ほんとによぐできている。車輪がよくできているのだ。
しかし、赤ちゃんものせないで、荷物専用にベビーカーを押して歩くわけにはいかん。値段も高いし。