風のよーにすぎてく毎日

病気と不健康のはざまで実益ゼロ道楽趣味生活。

「わが娘を愛せなかった大統領へ―虐待されたトラウマを癒すまで 」を読む。

2006-09-29 | 読書


わが娘を愛せなかった大統領へ―虐待されたトラウマを癒すまで (単行本)

先日、図書館で借りてきた1冊。
返却期間がきていたので、即効で読む。
目がうさぎの目のよーになり、やばいなと思いつつ。後半やや読みとばしながら。

この本は、ずいぶん前、本屋で立ち読み(読まないがパラパラみたのみ)し、興味をもち読んでみたいなと思いつつ、タイトルを失念し、探しそびれていた本。
先日、図書館で偶然みかけて、思いだして借りる。

著者の母親のナンシー・レーガンは、手が早く、思いどおりにいかないとすぐ平手うちをくらわすらしいが、母親は、多分感情にまかせて、ぱんぱんなぐっていたのだろうが、幼い子ども(まして女の子)にとっては、強く恐怖だったにちがいないなあと思う。
子どもを、なぐるのはよくない。

いわゆるニュースで見聞するよーなひどい傷をおあせたり死にそうなほどいためつける悪質な虐待というのではなく、母親なりに娘は、愛していたのだろうが、娘の自由にはさせない支配性と強制と感情的で、おしつけがましく自分の思いとおりにせねばきがすまないわがままな母親だったようだ。
それも虐待には違いないのだが、親は、そうとわかっていないとこに、ズレがでる。

自分好みのかわいい洋服を沢山買い込んで無理やり着せたり(娘は、好みでないとそういうおしつけを嫌悪する。)、子守をつけたりと贅沢にはさせていたが、しかし、娘ノ感情を無視したとこには、両親の愛情は、感じられない。

帯にドラッグ中毒の母親とあったが、そのドラッグとは、精神安定剤なので、麻薬系とはちがう。
一方、娘も、後にドラッグ中毒になるが、やせ薬からはじまり、覚醒剤などの麻薬系も含まれる。

母親が安定剤中毒にかかっていたくらいだから、彼女には彼女の精神的問題があったのだろう。
あたりちらすのは、娘と使用人のみだったとこからも、弱いものにいってしまったのか。(使用人は、いれかわりたちかわりだったそうだ。)

父親のレーガンは、いつも冷静で、娘に、あまりかかわってもくれないとこに、愛情のかけらも娘は、感じていないわけだが、そういう父親でも、別によいではないかとわたしからみたら、思えるのだが。

ひとそれぞれ受け止めかたが違うのは、当たり前だが、人間、贅沢な暮らしが、当たり前にあれば、次にほしくるのは、愛情なのかもなどと、ふと思えてくる。
父親には、もっとかまってほしかったのだろうし、母親には、自分のことをもっとわかってほしかったのだろう。

「買い物しすぎる女たち」という本では、ケネデイ大統領夫人だったジャクリーンやイメルダやリンカーン夫人などの苦悩が、買い物依存症を発症した症例としてでていたが、人間トップにのぼりつめても、精神状態穏やかではないのだなとおもわせられて、金さえあれば、幸せといえるわけでもないのだなと、なんとなくホットする。(別にシトの不幸を喜んでいるわけではないけど。)

しかし、わたしだったら夫などは、金さえ沢山くれれば、ほったらかし不在でもいいけどな。(金の亡者か。自分)
好きなことして暮せる。こんないいことない。

彼女は、成人した時、ときどき自分が、母親そっくりに、かなきり声で激怒しているのに気づき、ぞっとするのだが、自分が母親になれば、自分も子どもに同じ態度をしてしまいそうだと、24歳の時、不妊手術をしてしまう。

この本を読んでねたよる、おかしな夢をみた。
自分が、子どもの時にすごした家にいた。
庭にでると記憶のある木々が、そのままあった。
ずいぶん長いこと水をやっていない。
ホースをつないで、植木に水をやる。
木々は、ぐったりしているようにみえた。
そうだ。土があるんだから、野菜が植えれる。
なんで、今まできづかなかったんだ?
目がさめたら、土も庭もなかった。

最近、でかめのプランターを買って、菜園をつくろうかなと思っていたせいかも。
土を買ってくるのが大変だなあと思ったりしてた。




「少年たちの迷宮」を読む。

2006-09-15 | 読書


「少年たちの迷宮」--裁かれた十歳の殺人者たち

ブリイク・モリソン著
安藤由紀子訳
文藝春秋
1998年初版

これは、1993年に、英国でおきた10歳の少年二人が、2歳の幼児(男)を誘拐殺害した事件の裁判傍聴記である。
著者は、英国の詩人で、出版社から依頼を受けて自宅から離れた地の裁判所の近くへ出張し、通う。
週末のみ、家にもどるという生活を裁判の開始から終了までするのだが、著者自身も、犯人や被害者と同じような年齢の子どもをもっている。
自分や家族たちの生活や人生を重ねあわせて、考察していく。

この事件は、衝撃的だったので、ニュースは世界中をかけめぐったのだろうと思うし、日本でもテレビで、防犯カメラにうつった少年たちの、像を写していたのを、みた記憶があるが、遠い異国のことでもあり、それほど詳しくもなかったような気がする。

もう13年もたっていたのだ。
13年前、自分もまだ見た目は、健康で(ひどい肩こりや首のつっぱりなどは、じわじわ発生してはいたが)、斜頸ではなく、前むいて歩いていたし、仕事もしていたなあと、ふりかえってしまった。


英国では、10歳から責任能力ありとして、成人と同じ裁判にかけられるというのだから、すごい。
著者が、この書に記述しているデーターによると

スコットランド 8歳
イングランド、ウェールズ、北アイルランド10歳
カナダ12歳
イスラエル13歳
ノルウェー15歳
キューバ 16歳
ルーマニア 18歳
だそうで、「自由裁量にもほどがある」とあきれている。

ほんとにまあ、各国バラバラなんだなあ。8歳というのは、小学校にはいれば、一人前ということか。

日本では20歳だもんな。

10歳の殺人者たちは、終始無言座っており、事件関係の大人たちのやりとりを聞いているのみ。
裁判所で、きちんと応答ができないかもしれないからだそうで、実際の尋問の様子は、刑事とのやりとりをテープ録音したものを、流す。
きちんと裁判の質疑応答もできない人間を、裁判にかけてよいものか。

著者は、自分の子どもたちのことと重ねて「10歳の少年に、ことの重大さがわかっているものか?」と疑問をもつ。
二人の少年たちの、おいたち。
少年の親たちのおいたち。
親から子へ代々、引き継がれてきた暴力。

判決は、有罪だが、刑務所ではなく、精神治療つきの医療施設いりとなる。
7~8年すればでてくるといわれ、あんなひどいことをして、短すぎるというシトも。
裁判の形をとっていても、成人のように何年や無期や死刑などの処刑はしないとこは、やはり少年扱いである。

そういえば、日本の神戸連続児童殺傷事件のA少年も7年ででてきた。

英国の2少年は、2歳の幼児をいたぶりながら連れまわし、そのうちじゃまになってレンガや鉄の棒でなぐり殺し、最後に死体(?)を線路において電車に切断させたなどとむごいことをしたこと考えると、10年でも短いきがするけど。

大人の殺人より、子どもの殺人のほうが、すごみがあるなあ。
そのくせ、この子どもたちは、日常的に、親から暴力をふるわれており、暴力がこわいのだ。
痛みは十分わかっているのに、シトに対しては、痛みを感じない。

3日くらいかけて読んだが、ほとほと疲れた。
本読んだだけなのに、なんでこう疲れる。
タイピングが手にひびき、けいわんぶりかえし。
背中、肩いたしでシップベタベタはりつけ。




「子どもが壊れる家」を読む。

2006-09-12 | 読書
草薙厚子著
岩波書店

少し前に読んだので、あらかた忘れてしまったが(←ばか)、最近の少年犯罪事件(神戸の酒かき薔薇(漢字変換いっぱつは無理なので略)、佐世保、長崎のバスジャックなど)を例にし、そこからみえる家庭のあり方や社会の風潮などから、子どもにあたえる影響を探る。

著者は、ゲーム、残酷なテレビ番組やビデオ、親のあり方などが、残酷な子どもたちをつくりだすというようなことを論じる。
それも一理あるかも知れんが、犯罪をおかした少年たちが、ホラーや残酷なことを好んだから、そういう論理になるのかな?と思ったが。

私自身も、殺人事件やサスペンス映画など大好きだが、やばいのかな?(←少年ぢゃないだろが。)
でも、ホラーは、あほらしく嫌いだし、「バトルロワイヤル」は、事件で話題になってから両方みたが、なんだか不愉快な映画だった。
登場人物が大人ならそうでもないが、高校生だし。

最近、長時間、頭をよりかけてパソコン画面みていると、よりかかっているのがつらくなる。ついグットおしつけているのかも知れん。
タオルを首のうしろにあてがったりして、負担を少なくするようにしているが、あまし効果なし。
長時間するのが間違いかも。
スキン編集ができるようになったので、つい長時間だらだら取り組んでしまうのがやばい。(こーいうの好きなんだよね。時間かけてるわりには、大したことないが。
こっちは、まだしてないが。)

猫にかみつかれた傷は、今朝おきたらだいぶ痛みがひいてきた。
ずっとはれがひかず、いたくて、足をひきずってやっと歩いていたが。
治るだろう。よかった。
猫の唾液には、パスツネラ菌(?)だかなんだかの菌があるとかなんとか聞いたよーなきがするが(テレビかネットか)、どうなんだかな?と危惧してたのだが。
まあ、外猫ではないので、そうわるいバイ菌ないと信じたい。

通院予定が、ここしばらくなかったのでよかった。

先週は、前いた地区の眼科へ、視野検査の予約をしていたので行ってきたのだが、そう近くはないので、こっち方面に変えようかなとは思うのだが。
しかし、そこの医師は、ボツリヌス療法の資格をもっていて、待合室に、飾ってある。
眼科なので、まぶたしかしないと思うが、痙性斜頚の資格と両方飾ってある。

で、わたしが、最初にいったとき、すぐにわかってくれた。
医師でも、この病気の特徴を知らない方が、圧倒的に多い。(内科や皮膚科やその他などで体験ずみ。)

視野検査は、額をあてがう場所はあるが、15分くらい(片目)ずつ約30分前後、じっと画面をみつめていなければならず、斜頸の体制では、非常につらい。
首だけでなく、肩にもじんじん痛みが発生してくる。

でも、この病院では痙性斜頸の特徴をしっているせいか(?)、途中で休憩をいれてもらえるし、姿勢にも配慮してもらえる。(他でもいえば、そうしてくれるのか知れんが。)
この病気の特徴を知っていてもらえるのが楽だなと思うので、ま、月いちだし、いいかと通うことにしている。

ただ、以前は、ほんとに近所だったので、通うのが楽だったが、今は、今回のように怪我でもしたら、とてもいけそうにない。


子どもが壊れる家

文藝春秋

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映画「able」「ホストタウン エイブル2」をみる。

2006-09-10 | 映画・ドラマ・テレビ
先日、バスで10分前後のとこにあるスーパーへ徒歩でいってみた。
徒歩片道50分くらい。ゆきは写真をとりながら、だらだらいき、かえりは、疲れて写真をとる気合もなくし、やすみやすみちんたらすすむ。
さすが往復徒歩はきつかった。

疲れきって帰宅すると猫たちが出迎える。
そこで、災難発生。
買い物の袋を数回にわけて玄関に運びいれ、猫が外へでないように、おい払いながら入っていたのだが、突然、黒猫が、ぎゃーと叫んで、次の瞬間、わたしの足にくついた。
「いたたたっ」と悲鳴をあげる自分とねこの叫び声が、ひびきわたり、ドアを開け放しておくクセのある隣人に、つつぬけ状態。
なんなんだ?
靴のせいで、踏んだ感覚はないのだが、猫のどこかを踏んだらしい。しっぽか足か?
痛い痛いと悲鳴をあげて、はがそうとするのだが、またくいつく。
ひっかくかみつくで、かみつきカメのよーなねこである。
骨までぐいちぎられるかと思った。
ねこはコーフンして、なかなかはがれず、肉をくいちぎらんばかりの勢い。
猫は、ぎゃーぎゃー叫びながら、怒り狂っている。
そんなにオーバーにするほど、いたくないはずだが。
しっかりくいつく猫をはがして、やっとトイレに逃げ込む。おっかけてきそうな勢いで、恐怖。

他のねこも、びっくりしている。トイレでぽたぽた血がたれて、血みどろになり、血をとめなくちゃとあせる。様子をみにきたねこもいた。

かみついたねこ、室内に去ったようだが。
この子(ねこ)のみ、しっぽをふまれると、いつも大騒ぎして、ひとに向かってくるのだ。ほかの子は、絶対にかみついたりしないが。

死にかかっていたのを救った恩を忘れたか?と心から驚く。
この子は、多分自分をわたしより上位にランクづけしているのだ。
犬と同じくねこも、自分と人間にランクづけするらしい。
甘やかしすぎてるのかもなどと反省。
あんなにかみつかれても、なぐることは、考えなかった。

その後、タオルで血をとめながら、洗ったあと、消毒をして、化膿どめをぬって包帯。ついでに抗生物質ものんでおく。
しかーし、全部期限ぎれ。抗生物質の錠剤は、1年前に歯医者にもらったもので、かろうじて、これは効くか?と思うが、ぬり薬は、2004年が有効期限。

あちこち歯形が、ついていた。見た目は、傷は小さいが、キバがささったので、案外深い。
はれあがって、いたくて、歩行不自由になる。
ねこに怪我させられるとは予想外。うちに猛獣いるみたいぢゃんと思う。
病院にいくべきか?と思ったが、いたくて歩けん。

数日経過した今も、はれがひかず、室内を足をひきずって歩いている始末。
ネットで、「動物に嚙まれる」といので、検索してみたが、見つからず。
狂犬病の犬にかまれると100ぱー死亡だと。

歩けないし、録画していた映画をみる。

★映画「エイブル」
ビデオ未発売。

これは、知的障害者(自閉症の高校生とダウン症の青年)二人が、アメリカへホームステイに行った時の3カ月のドキュメンタリー映画で、よい映画だった。

ホームステイ先の夫婦は、障害者に実際に接触するのは、初めてだとかたっていたが(仕事は、障害者のnpo法人に関係しているらしいが。)、二人に、いろいろな体験をさせたり、やさしくゆっくりと接する。

勿論英語は、わからない二人だが、夫婦の気長な努力(?)や働きかけによって、少しずつ英語がはなせるようになったり意味もわかるようになったり、身振りも理解できるようになっていく。

その昔、私は、保育学生であった時もあり、障害児(者)施設に実習にいったり見学にいったこともあったが、当時は、障害児(者)には、ほとんど関心がなかったので、傍観的態度であった。
ちなみに当時は、知的障害(発達障害)とはいわず、精神薄弱といったのだが、ひどい名称だなと思っていた。いつのまにか、精薄という単語は消えていた。よいことだ。

今、自分が、身体障害者もどきになったせいかどうか、こういうドキュメンタリーや本には、関心もてるようになったのが不思議である。今ごろ、遅かったが。

この映画でも、二人の青年が、にこにこしていて穏やかそうで、のんびりゆっくりモノをおぼえたり、理解していくのが、よいなあと思う。そして、イライラせず、気長に接触していく夫婦も。

★「ホストタウン エイブル2」(ビデオ未発売)

「エイブル」の続編だが、その年、知的障害者のオリンピック(?)の場所になったニュージランドにすむダウン症の少女の一家がメントとなるドキュメンタリー。
オリンピック参加を楽しみにしてそれに向かっていく。日本からもやってきた。

ダウン症は、独特の特徴ある風貌から、すぐに判断つく障害で、割合多い障害なのか、街中でもよくみかけるのだが、実際に、接触する機会はなく、よく理解してなかったようなものだが、なんでも一生懸命やる意欲や努力をするシトたちだし、適切な指導で、できたり、おぼえることもできるのだなと改めて知った。
だからタイトルは「able」。

うちのごはん

2006-09-04 | クッキング


日高昆布を買ってくると、座椅子によりかかって、カット作業。



これを、お米にかならすまぜてごはんをたくのだけど、最初は、わりあいでかくカットしていた。ダシがでてしまったコンブは、あまりおいしくなく、たべにくいので、めだたなくたべられるように小さくきることにしたのだが、この作業がなかなか大変。



小さな軽いハサミを使って、テレビをみながらの、ながら作業で時間をかけて切る。

ハサミ。これも、頸肩腕症候群になってから大きな重たいものは使わない。
包丁もしかり。小さなペテイナイフ専用である。

コンブのよーなわりあいかためのものをカットする時には、手に負担がかかるので、ビニールシップを手の甲にはるのも忘れない。サポーターがわり。



そしてたいたごはん。
この日は、玄米、胚芽米を5分5分。(この基本はかわらない。)
あずき、カットこんぶ、だったんソバ茶用のそばの実、黒ごま。

んで、見た目、お赤飯のよーな色にたきあがる。
かみごたえもあり、味わい深いごはんです。

ごはんは、白飯をたくことはなく、いろいろんなものを混ぜるので、いろつきである。

ターメリックをまぜて黄色いカレー風ごはんにしたり、キノコや人参をまぜたりとか。

こちのごはんがない時は、レトルトの白米をレンジでチンして食べることもある。
以前いたとこでは、スーパーが何件もあったので、冷凍ごはん(ピラフやチャーハンなど)もセールしている時、まとめがいして常時ストックしていて、うちのごはんを切らした時には、食べていたが、こっちでは、冷凍ものも高価なので、買わなくなった。

先日、地震があったが、もし大地震がきた時のために、食料は、数日はもつくらいストックしておくべきだなあと思ったりする。



映画「ダ・ヴィンチ・コード」

2006-09-02 | 映画・ドラマ・テレビ
痙性斜頸になって、全くいかなくなったとこのひとつに映画館。
映画館の椅子は、背もたれが、低いのがふつう。だから無理。

みたい映画は、テレビかレンタルビデオ(dvd)でみることに。
レンタルビデオ店は、わりあい早いのだが、テレビは、そりよりかなり遅れる。
この街には、レンタル店がないので、この映画も、1年くらいかかるんだろな。
自分でかえば早いけど。

しかし、早いな。
まだ劇場でやってるんではないのかな?
いけないので、知らないけど。

映画館の他に、美容院もいかない。
もう何年も自分できってる。

ダ・ヴィンチ・コード デラックス・コレクターズ・エディション ミニクリプテックス付き

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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※htmlをいじってて、管理画面の部分を直したら、おかしくなったが、オリジナルを保存し忘れ、元にもどせん。

ニコンD80発売

2006-09-02 | 写真散歩
Nikon デジタル一眼レフ D80 AF-S DX 18-70G レンズキット

ニコン

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あああ、もうーー、今、結構長文の記事を打ったのだが、猫が、しっぽでたたいて一瞬のうちに消してしまった。
この編集画面の入力は、コントーロルゼットがきかない。
しょーもねい。
テキストでかくべきか、途中で保存をしんばんにするのが安全だが、めんどくさいし。

猫は、いつもモニタの前にわりこんで、ねそべる。
キーボードをおく場所なくして、不自由なスペースでやっと打っている。
でもこの頭のよい賢い利口な(くどい)この猫がいなくなったら、さびしいかなしいどころでは、ないだろなとよく思う。