わが娘を愛せなかった大統領へ―虐待されたトラウマを癒すまで (単行本)
先日、図書館で借りてきた1冊。
返却期間がきていたので、即効で読む。
目がうさぎの目のよーになり、やばいなと思いつつ。後半やや読みとばしながら。
この本は、ずいぶん前、本屋で立ち読み(読まないがパラパラみたのみ)し、興味をもち読んでみたいなと思いつつ、タイトルを失念し、探しそびれていた本。
先日、図書館で偶然みかけて、思いだして借りる。
著者の母親のナンシー・レーガンは、手が早く、思いどおりにいかないとすぐ平手うちをくらわすらしいが、母親は、多分感情にまかせて、ぱんぱんなぐっていたのだろうが、幼い子ども(まして女の子)にとっては、強く恐怖だったにちがいないなあと思う。
子どもを、なぐるのはよくない。
いわゆるニュースで見聞するよーなひどい傷をおあせたり死にそうなほどいためつける悪質な虐待というのではなく、母親なりに娘は、愛していたのだろうが、娘の自由にはさせない支配性と強制と感情的で、おしつけがましく自分の思いとおりにせねばきがすまないわがままな母親だったようだ。
それも虐待には違いないのだが、親は、そうとわかっていないとこに、ズレがでる。
自分好みのかわいい洋服を沢山買い込んで無理やり着せたり(娘は、好みでないとそういうおしつけを嫌悪する。)、子守をつけたりと贅沢にはさせていたが、しかし、娘ノ感情を無視したとこには、両親の愛情は、感じられない。
帯にドラッグ中毒の母親とあったが、そのドラッグとは、精神安定剤なので、麻薬系とはちがう。
一方、娘も、後にドラッグ中毒になるが、やせ薬からはじまり、覚醒剤などの麻薬系も含まれる。
母親が安定剤中毒にかかっていたくらいだから、彼女には彼女の精神的問題があったのだろう。
あたりちらすのは、娘と使用人のみだったとこからも、弱いものにいってしまったのか。(使用人は、いれかわりたちかわりだったそうだ。)
父親のレーガンは、いつも冷静で、娘に、あまりかかわってもくれないとこに、愛情のかけらも娘は、感じていないわけだが、そういう父親でも、別によいではないかとわたしからみたら、思えるのだが。
ひとそれぞれ受け止めかたが違うのは、当たり前だが、人間、贅沢な暮らしが、当たり前にあれば、次にほしくるのは、愛情なのかもなどと、ふと思えてくる。
父親には、もっとかまってほしかったのだろうし、母親には、自分のことをもっとわかってほしかったのだろう。
「買い物しすぎる女たち」という本では、ケネデイ大統領夫人だったジャクリーンやイメルダやリンカーン夫人などの苦悩が、買い物依存症を発症した症例としてでていたが、人間トップにのぼりつめても、精神状態穏やかではないのだなとおもわせられて、金さえあれば、幸せといえるわけでもないのだなと、なんとなくホットする。(別にシトの不幸を喜んでいるわけではないけど。)
しかし、わたしだったら夫などは、金さえ沢山くれれば、ほったらかし不在でもいいけどな。(金の亡者か。自分)
好きなことして暮せる。こんないいことない。
彼女は、成人した時、ときどき自分が、母親そっくりに、かなきり声で激怒しているのに気づき、ぞっとするのだが、自分が母親になれば、自分も子どもに同じ態度をしてしまいそうだと、24歳の時、不妊手術をしてしまう。
この本を読んでねたよる、おかしな夢をみた。
自分が、子どもの時にすごした家にいた。
庭にでると記憶のある木々が、そのままあった。
ずいぶん長いこと水をやっていない。
ホースをつないで、植木に水をやる。
木々は、ぐったりしているようにみえた。
そうだ。土があるんだから、野菜が植えれる。
なんで、今まできづかなかったんだ?
目がさめたら、土も庭もなかった。
最近、でかめのプランターを買って、菜園をつくろうかなと思っていたせいかも。
土を買ってくるのが大変だなあと思ったりしてた。