風のよーにすぎてく毎日

病気と不健康のはざまで実益ゼロ道楽趣味生活。

「子どもを殺す子どもたち」(福島章著)を読む。

2006-08-29 | 読書


■子どもを殺す子どもたち (単行本)
福島 章


精神科医の著者が、神戸児童殺傷事件のA少年、長崎の種もとしゅんちゃん誘拐殺害事件のB少年、佐世保の同教生殺害の小六女児の事件から、3人の子どもを分析。

神戸の少年事件があった夏、わたしは、ちょーど痙性斜頸と頸肩腕症候群を発病し(発病は実際は、それより1年くらい前には、自覚と兆候はあったのだが・・・。)、入院していたので、事件は、たまに自宅にもどり外泊(?)した時のニュースで、ちらっと知っていた程度だった。
その事件に、強く関心をもって関連の本をよみあさるよーになったのは、それから1年くらいしてからだったよーなきがする。
具合わるくて読書どころではなかったから。
衝撃的な事件だったので、少年に関する本は、かなり大量に出回っていた。
少年の親、殺害された少女の母や少年の父などの手記。
少年のいた学校の校長、数人のルポライター、新聞記者や、弁護士など。
その後、少年が成人になり社会復帰した時のルポも読んだが、それによるともう再犯の恐れがないくらいに、回復したよーな印象をうけた。

しかし、この著者(福島)によると、擬似家族で愛情を体験しなおし、精神的な成長のしなおしには、成功したとしても、根本の性癖(嗜癖)は、もう治らないという。
従って、再犯の可能性は消えたわけではないと。

種もとしゅんちゃん殺害の事件の少年については、ルポライターも追跡してないのか自粛してるのか、関連書籍は、ほとんどなく、この本は、興味深かった。
犯人の少年は、アスペルガー症候群というのが、逮捕後精神鑑定でわかり、学校の成績は、トップだったが、ふだんから小さい男の子にいたずらをくりかえしていたそうだ。
しゅんちゃんの正規をはさみで切ったそうで、ニュースには、それは、伏せていたよーなきがする。

佐世保の少女は、この本より前に「11歳の系譜」と先に紹介した草薙厚子さんの追跡ルポを読んでいたので、くりかえしの内容のよーな感じで、特に目新しくはなかったがし、草薙厚子さんの内容の方が、少女の生育や家庭にまでおよんでいたので、深みは感じられたが、こちらは、医師が資料から、少女を分析したもので、はっきりとはアスペルガー症候群だとは、述べていない。

著者が、自分も子どもの頃は、アスペルガーだったかもなどと言っているのがおもしろかった。
精神分析医でさえ、そう思うフシがあるのだから、ま、凡人の自分なども、ちょっとこの手の本を読むと、ふむふむあてはまるなあなどと思ってしまうのも無理ないのかもなどと、思ったりした。
集団行動が苦手で、ひとりがすきとか、そんなよーな点でだが。

今は「発達障害の豊かな世界」というのを読みかけているが、よりかかっている頭に力がはいるのか、ずっと固定して、どうしてもうつむいてしまうせいか、後頭部が苦痛で、斜頸がひどくなり、苦痛で、中断。
頭よりかかりも、リラックス状態でいる時は、そう苦痛はないが、何か行動(読書や料理の下処理や、そしてこーやってblogの記事を打っていることも)をしていると、きつくなってくる。
こーして、ものごとをほどほどにしない性格も、頸肩腕症候群や痙性斜頸になる要因かも。

この本も、なかなかおもしろい。
最近は、子どもの発達障害もずいぶん細かくわかるよーになってきているのだなあと知った。
子どもの頃の問題行動を早期発見して、手当てすれば、犯罪者は、ずいぶんへると。




■子どもを殺す子どもたち (単行本)
デービッド・ジェームズ スミス


こちらは、だいぶまえ、アメリカで起きた同じく少年が幼児(男子)を誘拐して殺害した事件の本である。ずいぶん話題になったので、記憶にあたらしい。これは読んでいないが、読む予定である。

ボトックスの記憶

2006-08-28 | 病気と健康
新小岩

初めてで最後(今のところ)のボトックスを打ったのは(打つというとなんかヤクみたいだ。)ちょーど1年前。
打ったのは、7月だったと思うが(多分)、打ったその日から、具合がわるくなった。

打ったところが、じくじく痛み、首に力がはいらなくなり、もちあがらず、ぐにゃりという感じになり、座椅子でよりかかって座ることも、できなくなった。

その病院へ行ったいきさつは、以前、別の自分のblogでかいたので、読んだ方も、おられるかもしれない。
その後、そのblog(自分の)は、閉鎖してしまったので、記事は残っていない。
logもとっていない。

自分で、注射後の状態を、毎日メモとっていたので、どこかにあるかもしれないが、引越しの時、むかついて捨ててしまったよーなきもする。

したがって詳細については、記憶違いもあるかもしれんが、おおまかなところは、そうちがっていないと思う。

わたしが、痙性斜頸を発症した頃は、まだボトックスはなかった。
治療法もなく、効きもしない薬服用しか治療法はなかった。

自分も、ワイパックスなどを飲むと、痛みと緊張感は、緩和するきがするものの、痛みの最盛期には、薬をのんで楽になったきがすることはなかった。

その後、何年かして保険がきくポトックスがあらわれ、担当医からはなしもきいたが、ボツリヌス菌の毒素かよ?そんな副作用もはっきりしない新しい治療法なんて、あぶなそーと思い、とびつくきがしなかった。

何年もたって副作用が発見されるなんてこともありえるぢゃんとも思ったし。
安全とわかってからでもおそくない。どーせ、もう何年もこの状態なのだとも思った。

シワとりなどの美容で、脚光をあびだしてもいたが、顔が能面のよーになるとか、口があけずらくなるとか、なんかマイナス面も聞こえ、美容の少量でさえそうなのだからと、もともと臆病なので、しり込み気分だった。

なによりも、恐れたのは、見た目にふつうになっても、痛みがきえなければ、他人には、ますます苦痛がわかりずらくなるぢゃんと思った。
その後、だいぶたってから痛みも消えるらしいというのを知ったが。

ボトックスがあらわるとじょじょに、痙性斜頸で検索するとヒットする記事が、ではじめた。
それ以前では、情報は少なかった。
そして、この患者仲間も結構いるのも知った。

周辺では、こんな患者みたこともきいたこともなかったので、最初は、かかってみて病名もはじめてきいたくらいだ。

前おきが長くなったが、ボトックス注射だが、やってみようかなあと思いはじめて、病院探しをはじめた。

昔(ボトックスがない頃)、検査入院(4週間の予定だったが、2週間で自主退院)した某都立病院も、ボトックス科ができたのを知った。
そこにしようかなあとか。
しかし、一生懸命、いろんな薬をためして効果をみてくださった医師の指示をきかず(薬をのむと、力がぬけたかんじになりいやだったりした。)、ムッとさせ自主退院してしまった経緯もあるしなあとか、ネットであちこちながめながら、通院しやすい点も考慮して探す。

最終的に、東大と慶応にしぼる。ホームページの内容からだったが。
病院へは事前に下見にもいく。

慶応は、入院があるらしく、猫たちはどうする?
東大病院の緑に囲まれた敷地が気に入り、そちらへ予約。
3カ月先だったが、今更いそぐこともないとまつ。

結局、東大の神経内科では、ボトックス注射は、懐疑的でやっておらず、治療法などないというよーな感じだった。

心療内科でも、精神的な面もみてもらったが(ナンページにもわたる問診表に記入して診察)、それが原因ではないといわれる。

そこでもらった薬(うつや安定剤など)をのむと、無気力になり具合悪くなるので、のむのをよす。

ボトックス注射にたどりついたのは、TJ子医大の医師がかいた「ボトックス」関連の本をよみ、その医師にかかってよくなったという体験者の若者が、自分のblog(当時運営)にコメントを書き込んでくださり、そこに決定する。

診察の医師(女性医師)と注射の医師は、別で、注射の時に、はじめて本をかいた医師にあったが、実際に注射をしたのは、これまた同室にいた若い医師である。

診察もロクにしてないけど、大丈夫かな?と思った。
しかも本の著者の医師が注射をするときいていたのに、見習い(と自分は思った)に練習させるのか?と不安感と疑惑をもつ。

わたしは、左に向いてしまうのだが、自分では、右が強くいたいし、右の首すじが、つっぱっている感じがするのだが、注射は、左のくびすじに、6箇所うたれた。

若い医師は、なぜか、注射をためらいなかなか針をさせなかった。
これも自分に疑惑の気分の拍車をかけた。

「治りますか?」と年配の方の医師にきくと、「治ります。」と力強くいわれた。

最初は、量が少ないので、きかないかもしれないらしいようだが、きかなくてもよいが、ひどくなるのは、いやである。

その日から、ずきずきはじまり、動くと激しく痛む。
そして、首をもたげていられなくなり、つまり重たい頭をささえる力をなくしたのだ。
恐ろしかった。

ごはんもうまく食べられない。
前の方がまだずっとずっとマシ。
一日中、ねころんでいるわけにはいかないので、座椅子の背をねかせて、テレビをみたりしていた。

3週間くらいで、効果がうすれだすと読んだよーな気がして、そのうち治るとひたすら楽になる日を夢みる。

1カ月後の、検診で、注射をうった医師ではない、診察専門の女医に、
「具合わるくなってこりごりした。なんで左ばかりに打つのか?しかも、O先生でなく、あの若い先生はだれ?」など、不調の報告と抗議をすると彼女の態度が豹変したので驚いた。

「気に入らないなら、やめたらいいでしょう。神経内科の医師なら、誰でもうてる。」などという。

言われなくても、二度といくきはなく、ほんとは、もう用もなくめんどくさいのでいきたくなかったが、ひとこと抗議のためにいったのだったが。






眠気がきえない。

2006-08-26 | 病気と健康



秋葉原駅


だいぶ前、知人から「写真をとる時には、首は大丈夫なの?」と聞かれたことがあるが、その時は、とっさに返事ができなかった。
カメラは、右目でファインダーをのぞく仕様になっているので、多分、顔が左に傾いてても、問題ないのかもとあとで思ったが。

で顔にあてるため、首の緊張も、それにきをとられて、まあまあ斜め前くらいはむいているのだろう。

しかし、とっさにとるスナップなどは、ほとんど画面が傾いている。この写真のよーに。
傾いた写真は、落ち着かないので、補正でいちいち直しているのだが、傾いて写す傾向があるのがわかっているので、(痙性斜頸になる前は、傾かなかった。)、じっくりねらえる場合は、いったんカメラの傾きを確認したりして写す。

ファインダーをのぞいている時点では、わからない。
ニコンのカメラは、編み目のよーなのを表示できるので、それを表示しているのだが、だめである。



新小岩

クリニックにいく時は、ずっと秋葉でのりかえをしていたのだが、先日、1本でうちの駅までこれるというのを発見した。
乗り換え案内のソフトで、調査して知ってはいたが、乗り場がわからなかった。

かえり、たまたまホームを間違えて不安ながら乗ったら、駅をずいぶんとばして簡単にうちの駅についた。

先日、少し早めについたので、新小岩をほっついたのだが、ちょっと歩いただけでも、写真にとりたい光景、沢山あるなあ。

ごはんを食べると眠たくなる。
本日も、夕食後、眠たくて、うとうとしていたのだが、すこし前、たまたまかかっていたテレビをみていて(タイトル不明)、芸能人の健康度をチエックする番組だが、食後すぐねると、胃腸で食物が逆流して、ただれて胃ガンになる場合があるなどといっていたので、ねるのをがまんした。
ただでさえ、胃腸が弱いのだ。

最近は、そうでもないが、以前はよく胃腸の存在をびしばし感じたものだ。
何もなければ、胃腸など意識することはないが、もたれるとかいう表現になるのかな、つかれると食事のあと胃腸に小石をつめこんだよーな気持わるさがつづいたりした。

このよーにぐうたらするよーになったら、消えた兆候だが。


「追跡! 「佐世保小六女児同級生殺害事件」」を読む。

2006-08-21 | 読書
先日、長文(?)かいたあと、目の疲れがひどく、寝たりおきたりしてた。
やたら眠たくて、ご飯をたべると、また眠たくなり、くっちゃね状態。

日曜日、身障者手帳関連の本でも探しにいこうかと図書館へいく。
図書館。
この街の図書館は、やっぱよくてうれしい。
あっち(いちいち比較)の街にいた時、図書館は遠いし、階段だし、係のひとは、意地悪だし(民間委託してたよーで、年配のおじさん、おばさんで、いじわるなのだった。)、図書館へいきたくなくなってた。

しかし、身障者関連の書籍は、児童はあるが成人のはみつからなかった。

同じ棚にあったこの本を、みつけすぐにぬく。
同じく「11歳の衝動」というのもあったので、これももつ。

その日、ほぼ読み終える。最後の一部は、目も疲れたし、腕にもくるので、翌日にもちこす。
本日、読了。

前述したよーに、テーブルと自分の間に距離ができるため、読書もしんどいのである。
腕で本をもちあげていると、腕にくるので、無理。けいわんは、軽くなったとはいえ、無理なことをするとすぐでてくる。
読書スタンドを探したのだが、引越しで、行方不明。捨てなかったと思うが。
いつでてくるかわからないので、今度、丸善でみてこようかなと思うが。

んで、この事件は、関心あったので、おもしろかった。(本がね。)
児童の事件のため、当初から、そうくわしいことは、報道されなかったし、ましてや、そのあと、彼女は、どうしているのか、わからない。

著者の草薙厚子さんは、神戸児童殺傷事件のA少年のその後も、追跡していて、そちらも興味深く読んだガ、A少年は、すでに成人になり、社会復帰を果たしているが、佐世保の少女の方は、まだこれからである。

それしても、あの事件からもう2年もたったのだな。
少女の家庭環境や育てられ方、学校生活、両親のこと、児童自立支援施設でのことなど、メデアでは、絶対でてこない情報が、のべられていて、興味深い。
被害者の御手洗さとみさんの父親すら、知り得なかった情報だろう。

さとみさんは、名前や顔写真もばっちりでていたが、加害者の児童は、写真もなく名前もないA子である。(あたりまえだが)

で、犯人の児童は、アスペルガー症候群だったというのだ。

この病気については、よくは知らないのだが、以前、某所であった女性から、聞いたことがあったのを思いだした。
あまりハッキリおぼえていないのだが(特別関心もなかったし)、彼女の夫が、アスペルガー症候群という病気で、生まれた息子も、同じ病気だったというのだ。
「結婚する前に、わからなかったの?」と聞いたのをおぼえている。
「わからなかった。」と言っていたが、コミュニケーションがうまくとれなくてへんだなと思いはじめて、あちこちの病院へいったとか言ってたよーなおぼえがある。
関東の地方にすんでいて都心の病院へきているとかいうよーなことを言っていたが、彼女自身も、何かの心身症にかかっていて(病名は忘れた)、それの治療だといっていたきがする。

アスペルガー障害は、専門家がみれば、すぐに診断つくそうだが、知能などは、劣らないので、ふつうのひとにはわかりずらいようだ。
あまり知られていない病気でもあるし。
この女児の場合は、両親や教師だって見抜けなかったのだが、異常な態度は、あったのだから、もし知識があって病院へでもつれていってたら、この殺人事件は、おきなかったのだろう。

彼女を収容した児童自立支援施設(教護院が、この名称をかえたのは知らなかった))では、ほかの児童と一緒にすごさせるのは、危険なので、彼女専用の隔離設備を、約2億円かけて建設したそうだ。
人間ひとりを、育てなおすために、莫大な税金を使う。

神戸の少年も社会復帰させるために、7年かけ莫大な税金をつぎこんでいる。



追跡!「佐世保小六女児同級生殺害事件」 (単行本)
草薙厚子著
講談社
定価1,500円+税




必須アイテム。

2006-08-19 | 病気と健康
gooの投稿メニューに、ジャンル別に選択する項目がでてくるのだが、その中に、「病気」という項目がない。
病気関連のことを記事にしようと思うと、ヘルス/ビューテイが、なんとか該当するのだが、「美容」「さぷり」ほか略など、関連づけられるものがない。「健康づくり」を選択してみたりするが、これも厳密にいえば、というよか、はっきし見当はずれ。
ま、いいけど。
いろんな病気かかえている方々も、沢山blog運営してると思うけどね。
こーいう設定するひとは、おおむね健康なひとがやるのだろう。

さて、本題。
痙性斜頸患者の自分のなくてはならない日常の必須アイテム。

★頭までささえられる背もたれと肘かけのある座椅子。

私は、ほぼ一日中、これに座りなんでもする。
料理も、材料一式、この椅子の前のテーブルまで運搬して、きざんだり、皮むいたり。
ただ洗いは、無理なので、わきの壁によりかかったり、額をつり戸棚のふち(これは寸法がたりないので、ながめのモノをおいて工夫)して行うが、これも長時間は、首が痛くて無理なので、ほんとはやりたくない作業のひとつ。

なっぱ類などは、洗うことを考えるとついついあとまわしにしてしまう。

食器などは、なるべく最小限に使用。洗うことを考えるから。
そしてためこまない。

顔が、左をむきっぱなしという状態も、不自由なのだが、それに痛みが加わるのが、苦痛を増加。
ふつうのひとが、左や右をむいても、痛くもないのに、痙性斜頸の顔の回転は、なんで痛いんだろなといつも不思議。

痛い痛いとヒトにいうわけにはいかんので、ひとには通じてないし、見た目にも、ヒトには、わからない。

痛みは、発症した最初の4~5年は、ほんとに強かったが、この1~3年は、やや緩和。(この区分けがはっきりしないので、おおざっぱ)
それでも、ひきつれるよーな痛みが消えたわけではない。
以前は、首にくわえて、肩と腕、手にも痛みがあったため、料理は、ほんとうに苦痛の作業のひとつだった。

もともと作ることが好きなので、この1~3年くらいから、いろいろ作れるようになってきて、うれしい。

歩行中は、痛みは、ある程度ちるよーなきがするが、外出先で、静止している時が、つらい。

そのため、外出中は、常によりかかれる場所を、物色している。
電車の中、バスの座席、駅のホーム、病院の待合室。

電車の中は、座れれば、窓によりかかれるのでよいのだが(頭はそっくりかえるが)、立っている時には、なるべく入り口のわきを、ねらう。ふさがっているときは、仕方ないが。

バスは、ふつうは背もたれが低い。頭がよりかかれない座椅子くらい苦痛な椅子はない。手で、頭をかかえていても、痛みが消えないからだが。

しかし、都営バスで、後ろから2列目のみ背もたれが高くなっているバスが、以前よく使う路線で走っていた。
わたしは、通院する時には、いつもその座席確保めざしていたものだ。
前の方のシルバーシートだと、よりかかれるつくりが多いので、すいている時には、座る。
ここへきて、最近は、都営バスにのっていないので、椅子がどうなってるか知らない。

乗り物といえば、エスカレーターも、自分にとっては、右にたつのが、楽なのだが、なぜか右は、歩行するひと専用になっている。
歩きたければ、階段にしろよといってやりたいが。
自分も若く元気だったら、右側をとっととのぼりおりしていた可能性はある。

なんで右にたちたいかというと、右手は、頭をささえるためふさがれるので、左手でカートをひいているせいである。
左にたつには、カートを右に持たねばならない。
不思議なのだが、左にむいてしまう顔は、なぜか右手でささえる時しか、有効に働かない。
これでも、完璧に表面をむくわけではないのだが、痛みが、だいぶ緩和されるし、ななめ正面くらいにはなる。

薬は、外出時には、飲み忘れると、「いたたいたた」と苦痛で思いだす。
んで、常に携帯していて、あわてて飲料水をジハンでかい飲むのだが、気分もあるのか、飲むと楽になるのは、そんなすぐきくわけないのにあやしいのだが。

この数年、ずっとワイパックスだったが、最近、レキソタンというのを処方されたので(同じ系統)、のみくらべているが、どうもワイパックスの方が、痛みが緩和されるきがするけど、実際にはよくわからない。

うちにいる時には、座っていられるので、飲まないことが多いが、ゴミ捨ての日などは、外にでるので飲む。

顔がまっすぐむいたら、よいのになと思う仕事に、ミシンがけがある。
座椅子に座っていると、そっくりかえった姿勢にならざるをえないので、のぞきこむ仕事は、できにくい。

んで、ひじかけも、なくてはならないので(腕に負担がかかるため)、そのひじかけの為に、座椅子は、テーブルの奥まではいっていかず、これが行動の制約となる。

テーブルと自分の間に距離ができるからである。

食事も食器を手にもち自分にひきよせねばならず、テーブルにおいたまま食べたほうがよいよーなめん類などは、それができない。

パソコンのモニタも、かなり距離がはなれてみている。
目もわるいのだが、距離がはなれているため、小さい文字でかいている記事は、読むのが苦痛。

障害のための設備資金が、十分にあれば、生活しやすい環境に整えられるのにと常々思う。

目といえば・・・・。

かなり長文になったので、後日。
ま、病人の長文グチほど、シトさまから読んで楽しくないものはないので、ながながかくのはバカである。

ここまで無事、読んでくださった方に感謝。

※補足
バスの椅子。
最近のってないとかいたとこだが、先日、役所へいった時に乗っていた。
で、座席は、全部背もたれが低く、後ろまでいって、座ってみたが、ダメで、体をねかせて、頭をもたせかけるという無理な姿勢で座る。すいていたのでよかったが。

都バスも、最近では、いろんな車種が走っているので、わからない。