風のよーにすぎてく毎日

病気と不健康のはざまで実益ゼロ道楽趣味生活。

「誰でもいいから殺したかった」

2009-07-30 | 読書
誰でもいいから殺したかった! (ベスト新書)
碓井 真史
ベストセラーズ

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下記の「親殺し」を、よんだあとに、秋葉原無差別殺傷事件に、興味をもち、上記の「誰でもいいから・・」を読んだのだが。

秋葉原の事件が起きた日、親の介護で実家に向かう山手線で、秋葉を通過した。
駅につき、ぞろぞろと人がおりていくのをみたが、そのときには、事件がおきたあとで、電車に乗っていたひとも、おりていくひとも、知らなかった(ように思う)。
その日、秋葉に行った人も、もし少し早い時間だったら、被害者になっていた可能性もあるのだから、運だなあと感慨深い。(って感慨にひたってる場合ではないが。)

実家についてテレビのニュースで事件を知った。

テレビのワイドニュースショーは、大好きで、熱心にみるのだが、親の介護がはじまってからは、みそびれることも多く、秋葉原の事件の犯人のことも、ニュースでみる以外のことは、詳しく知らなかった。

で、少し前、図書館で、「親殺し」を借りて読み、そのとき、秋葉原事件の青年の家族関係などを知った。
犯人の弟が、週刊現代に、手記をのせていたのも、この本でしり、にわかに興味もち、バックナンバー探すが、なく残念。(←野次馬根性まるだし)
オークションにでてないか検索したが、その時点では、なし。

ネットで誰かが書いていないか検索。
ほぼわかった。さすがネット。

青森出身の犯人と弟は、母親の支配的、専制的な監視のもとで育ったようだ。
日常すべて規制され、自由がなく囚人もどきの虐待である。

ニュースでは、母親が、腰ぬかし座り込む様子だったので、こどもを心配し、愛するやさしい母親かと思った。
当人なりには、子育てに一生懸命だったには違いないが。

母親自身の育てられかたや生き方に、興味があるが、そこまで追求して言及している記事はない。残念。(←ばか。)

犯人は、恨みのある母親を殺害すればよいのにと誰しも思う。
母親への恨みのトバッチリで、関係ない偶然の通りがかりの他人が、未來を奪われた。

ちなみにヒットラーも、子供時代、父親のうっぷん晴らしの折檻(毎晩、帰宅するとムチで理由なくなぐった。)で、後年、大量虐殺者になり果てた。

で、この本「誰でもいいから殺したかった」だが、秋葉原事件ほか、青年による通り魔事件をいくつか例題にあげて、親子関係を述べているのだが、わかりきったことを書いているにすぎないので、ざっと通読したが、もっとドキュメンタリーな内容を期待したので、期待はずれ。


親殺し
芹沢 俊介
エヌティティ出版

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この本の著者は、「親殺し」の前に親による「子殺し」か、先にあると述べる。

実際に殺害しなくても、存在を殺害しているというのだが、納得できる。
仏教の「あじゃせ」の父親ごろし、ギリシャ神話の「エディプス」の父親殺しを例にあげて解説。

両者とも、生まれた時に、親に殺害をはかられて、運良く生き残った人物で有名である。

それにしても、犯罪者になると、場合によっては、こと細かく生涯を暴露され、たまったものではない。ってそーいうのに、関心ある自分がいうのもなんだけど。


こちらの本も、少年犯罪事件をとりあげているが、事件の背景を掘り下げていて、教訓めいた記述はなく、おもしろかった。

サスペンスや犯罪もの、刑事ものの映画やドラマが、好きだが、現実にそういう人間が、ゼロだとドラマや映画も、たぶんないだろう。
でも、フイクションの世界だけのはなしだと理想的だけど。


「フロー型発想のススメ」を読む。

2006-12-17 | 読書
新小岩駅
「新小岩駅」横須賀線乗り場にて

先月、このホームから、外をながめていて「西友」があるのに気付く。
んで、今月クリニックの帰り、よってみた。
駅の右手にあるのだが、道路からは、みえないので、ずっと気付かなかった。
何かのショップの高い建物が前方にあったからだ。

顔写真いりの契約農家の野菜があり(こーいうのは、比較的安全野菜の類)、しかも安いので、ブロッコリーやネギなど少し買う。持てないのでかい過ぎないよう用心する。
国内有機大豆はないかとみたが、なかった。
自家製味噌を今年もつくりましょうと探しているけど、案外ない。

最近、危ない食物関連の本を読み、有機野菜や安全な肉、魚類を、注意してみるようになった。
本によると危なくない食品の方が少ないくらいで、なんか食べるのがいやになってくる。食べるけど。

マクロビオテックの料理本では、野菜や果実は、皮ごとねっこごと食すと書いてあるので、一部実行していたが、価格優先で安いものを買っている自分には、向いてなかったと、気付く。
そーいう調理法は、有機野菜、果実でなければ、あぶない。
農薬や添加物や薬品を、たべてたようなものだ。
ま、完全にやってたわけではないけど。

生活設計をガラリと変えるフロー型発想のススメ

ジャパンタイムズ

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使わないものでも、なかなか捨てられない、処分できない自分にとって、どうやって踏ん切りつけるかが、ずっと課題だった。

この本では、ストック型とフロー型の二つの物に対する考え方を、比較しながら、フロー型をすすめている。

フロー型の説明は、めんどくさいので、略すが、端的にいえば「今、欲しいから買う」「今、必要だからいる。」という発想で、「今、使わないものはいらない」「いつか使うからというものは、買わない。」という主義のことである。

物のおきばに、苦労している自分には、この発想法で、生活するのが、ぴったしかんかんなのだが。

そして、短い人生、ガラクタに囲まれて、いる物も探せない(うちの中で)よーな不自由な生活をしたまま、おわってしまうのは、バカだとわかっているけど。

マジで、荷物整理せねばなあ。
今回の引越しで、廃棄処分してきた物で、あ、あれ捨てなければよかったなどと思うことがあったりして、だから、いやまたあとで使う時があるかも、などとと思ってしまうのだ。

「使う時買う」というほどの経済的余裕がないのも原因なのだが。
しかし、永遠に使わないこともある。
失しなったものは、未練を捨てて忘れることが一番だろう。


「あぶないアルミニウム」を読む。

2006-12-07 | 読書


マクロビオテックの料理本をみてると、どの著者も「調理は、ステンレス鍋(用具)、ベーキングパウダーは、アルミニウム無添加のもの」と書いてあるので、なんでだろな?と、ずっと思ってた。

理由は、書いてないし。
で、前からもっていたスーパーで売っているベーキングパウダーの成分表をみても、アルミニウムは、表示されてない。
ベーキングパウダーは、めったに使わないので、かなり残ったまま、期限ぎれになっていたので、マクロビオテックのショップで、アルミニウム無添加というのを買ったのだが、意味はわからなかった。
すーぱーのより高い。

前からもっていたベーキングパウダーは、掃除に使ってた。
実は、掃除用のベーキングパウダーも、別に大箱でかってある。アメリカのやつである。掃除用として売っているものではないが、食品用として指定されているわけでもないので、食用には使ってなかった。

しかし、掃除に使うにしても、下水にながすことになるので、それでよいのか?などとも疑問に思ってくる。
流せば、まわり回って飲み水に、もどってこないのかと。

本日、たまたま、この本を図書館でみつけて、後半をいそいでよんだ。
前半は、アルミニウムの害について、述べているようだが(まだ読んでないので、不明)、後半は、どんなものがあぶないのか食品などについて具体的にのべてあるので、先によんだのだ。

新聞やニュースでも、ちらっとやったそうだが、あいにくみていない。
ここでも業界(アルミニウム系)が、損害をうけるので、害を、公表するのは、阻止されてしまうので、一般の人間は、知らなくても不思議はないようだ。

アルミニウムといえば、鍋類が、昔から日常的に使われているが、これらの鍋で調理すると、アルミニウムが流出し、当然口にはいる。
だから、マクロビオテックの料理では、ステンレス鍋と言ってたのかあと、はじめて納得した。
アルミニウムの害を知っているシトは、知っていたのだ。

先日かった、安い圧力鍋は、アルミニウム製である。
残念!!
買いなおさねばらん。
買う時、テファールにしようかなあと迷ったのだが。高いし、やすいアルミにしたのである。

アルミニウムの害は、体内にはいり脳をおかし、アルツハイマーの原因になってるのだそうだ。

カンジュースなどの、アルミかんもやばい。
アルミはくも。
料理で、アルミはくにつつんで蒸し焼きにしたりなどは、非常にやばい。
食べ物やお茶類などにもだと。
なんか、ガックリくる。

健康によいと言われて、せっせと飲んだり食べたりしてるものが、健康に害だなんて。
水道水さえあぶないなどと言われたら、もう処置なし。
飲み水や口にはいる水をすべて、ミネラルウオーターなどの市販の水にかえるわけには、いかん。経済的に無理。

みのの「おもいきり」では、毎日、あれがよい、これがよいと食品のよい点をのべたてているが、害がある食品のことは、全くいわない。

思わず、うちにある鍋を点検。
アルミ製は、捨てるか。すてるにすてられない自分にとっては、物の整理にちょーどよかった。



これは、先日、つくった羊羹だが、アルミカップで蒸してある。
このアルミカップには、敷く紙もついているのだが、それをしくと、べたっとはりついてはがしにくいので、使わないのだが、なんで1枚ずつついてるのだろうなと、いつも思ってた。
業界では、わかっていたので、そのためおそらくつけているのだろう。
ががん。
知らないとは、おそろしい。
せめて注意書きでもあれば。
健康に害があるものを、なんで当たり前のように出回らせておくのだ?

首もアルミニウムのせいかな?
アルミニウムが、脳神経をおかしくした。(←根拠なき推測)
なんて思ってくる。
鍋や添加物や食品だけでなく、自然会の素材にもあるようなので、完全に排除することは、簡単ではないが、せめて、できる範囲で気をつけるしかない。

あぶないアルミニウム―もう始まっているアルミニウムの脳内蓄積

三一書房

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「わが娘を愛せなかった大統領へ―虐待されたトラウマを癒すまで 」を読む。

2006-09-29 | 読書


わが娘を愛せなかった大統領へ―虐待されたトラウマを癒すまで (単行本)

先日、図書館で借りてきた1冊。
返却期間がきていたので、即効で読む。
目がうさぎの目のよーになり、やばいなと思いつつ。後半やや読みとばしながら。

この本は、ずいぶん前、本屋で立ち読み(読まないがパラパラみたのみ)し、興味をもち読んでみたいなと思いつつ、タイトルを失念し、探しそびれていた本。
先日、図書館で偶然みかけて、思いだして借りる。

著者の母親のナンシー・レーガンは、手が早く、思いどおりにいかないとすぐ平手うちをくらわすらしいが、母親は、多分感情にまかせて、ぱんぱんなぐっていたのだろうが、幼い子ども(まして女の子)にとっては、強く恐怖だったにちがいないなあと思う。
子どもを、なぐるのはよくない。

いわゆるニュースで見聞するよーなひどい傷をおあせたり死にそうなほどいためつける悪質な虐待というのではなく、母親なりに娘は、愛していたのだろうが、娘の自由にはさせない支配性と強制と感情的で、おしつけがましく自分の思いとおりにせねばきがすまないわがままな母親だったようだ。
それも虐待には違いないのだが、親は、そうとわかっていないとこに、ズレがでる。

自分好みのかわいい洋服を沢山買い込んで無理やり着せたり(娘は、好みでないとそういうおしつけを嫌悪する。)、子守をつけたりと贅沢にはさせていたが、しかし、娘ノ感情を無視したとこには、両親の愛情は、感じられない。

帯にドラッグ中毒の母親とあったが、そのドラッグとは、精神安定剤なので、麻薬系とはちがう。
一方、娘も、後にドラッグ中毒になるが、やせ薬からはじまり、覚醒剤などの麻薬系も含まれる。

母親が安定剤中毒にかかっていたくらいだから、彼女には彼女の精神的問題があったのだろう。
あたりちらすのは、娘と使用人のみだったとこからも、弱いものにいってしまったのか。(使用人は、いれかわりたちかわりだったそうだ。)

父親のレーガンは、いつも冷静で、娘に、あまりかかわってもくれないとこに、愛情のかけらも娘は、感じていないわけだが、そういう父親でも、別によいではないかとわたしからみたら、思えるのだが。

ひとそれぞれ受け止めかたが違うのは、当たり前だが、人間、贅沢な暮らしが、当たり前にあれば、次にほしくるのは、愛情なのかもなどと、ふと思えてくる。
父親には、もっとかまってほしかったのだろうし、母親には、自分のことをもっとわかってほしかったのだろう。

「買い物しすぎる女たち」という本では、ケネデイ大統領夫人だったジャクリーンやイメルダやリンカーン夫人などの苦悩が、買い物依存症を発症した症例としてでていたが、人間トップにのぼりつめても、精神状態穏やかではないのだなとおもわせられて、金さえあれば、幸せといえるわけでもないのだなと、なんとなくホットする。(別にシトの不幸を喜んでいるわけではないけど。)

しかし、わたしだったら夫などは、金さえ沢山くれれば、ほったらかし不在でもいいけどな。(金の亡者か。自分)
好きなことして暮せる。こんないいことない。

彼女は、成人した時、ときどき自分が、母親そっくりに、かなきり声で激怒しているのに気づき、ぞっとするのだが、自分が母親になれば、自分も子どもに同じ態度をしてしまいそうだと、24歳の時、不妊手術をしてしまう。

この本を読んでねたよる、おかしな夢をみた。
自分が、子どもの時にすごした家にいた。
庭にでると記憶のある木々が、そのままあった。
ずいぶん長いこと水をやっていない。
ホースをつないで、植木に水をやる。
木々は、ぐったりしているようにみえた。
そうだ。土があるんだから、野菜が植えれる。
なんで、今まできづかなかったんだ?
目がさめたら、土も庭もなかった。

最近、でかめのプランターを買って、菜園をつくろうかなと思っていたせいかも。
土を買ってくるのが大変だなあと思ったりしてた。




「少年たちの迷宮」を読む。

2006-09-15 | 読書


「少年たちの迷宮」--裁かれた十歳の殺人者たち

ブリイク・モリソン著
安藤由紀子訳
文藝春秋
1998年初版

これは、1993年に、英国でおきた10歳の少年二人が、2歳の幼児(男)を誘拐殺害した事件の裁判傍聴記である。
著者は、英国の詩人で、出版社から依頼を受けて自宅から離れた地の裁判所の近くへ出張し、通う。
週末のみ、家にもどるという生活を裁判の開始から終了までするのだが、著者自身も、犯人や被害者と同じような年齢の子どもをもっている。
自分や家族たちの生活や人生を重ねあわせて、考察していく。

この事件は、衝撃的だったので、ニュースは世界中をかけめぐったのだろうと思うし、日本でもテレビで、防犯カメラにうつった少年たちの、像を写していたのを、みた記憶があるが、遠い異国のことでもあり、それほど詳しくもなかったような気がする。

もう13年もたっていたのだ。
13年前、自分もまだ見た目は、健康で(ひどい肩こりや首のつっぱりなどは、じわじわ発生してはいたが)、斜頸ではなく、前むいて歩いていたし、仕事もしていたなあと、ふりかえってしまった。


英国では、10歳から責任能力ありとして、成人と同じ裁判にかけられるというのだから、すごい。
著者が、この書に記述しているデーターによると

スコットランド 8歳
イングランド、ウェールズ、北アイルランド10歳
カナダ12歳
イスラエル13歳
ノルウェー15歳
キューバ 16歳
ルーマニア 18歳
だそうで、「自由裁量にもほどがある」とあきれている。

ほんとにまあ、各国バラバラなんだなあ。8歳というのは、小学校にはいれば、一人前ということか。

日本では20歳だもんな。

10歳の殺人者たちは、終始無言座っており、事件関係の大人たちのやりとりを聞いているのみ。
裁判所で、きちんと応答ができないかもしれないからだそうで、実際の尋問の様子は、刑事とのやりとりをテープ録音したものを、流す。
きちんと裁判の質疑応答もできない人間を、裁判にかけてよいものか。

著者は、自分の子どもたちのことと重ねて「10歳の少年に、ことの重大さがわかっているものか?」と疑問をもつ。
二人の少年たちの、おいたち。
少年の親たちのおいたち。
親から子へ代々、引き継がれてきた暴力。

判決は、有罪だが、刑務所ではなく、精神治療つきの医療施設いりとなる。
7~8年すればでてくるといわれ、あんなひどいことをして、短すぎるというシトも。
裁判の形をとっていても、成人のように何年や無期や死刑などの処刑はしないとこは、やはり少年扱いである。

そういえば、日本の神戸連続児童殺傷事件のA少年も7年ででてきた。

英国の2少年は、2歳の幼児をいたぶりながら連れまわし、そのうちじゃまになってレンガや鉄の棒でなぐり殺し、最後に死体(?)を線路において電車に切断させたなどとむごいことをしたこと考えると、10年でも短いきがするけど。

大人の殺人より、子どもの殺人のほうが、すごみがあるなあ。
そのくせ、この子どもたちは、日常的に、親から暴力をふるわれており、暴力がこわいのだ。
痛みは十分わかっているのに、シトに対しては、痛みを感じない。

3日くらいかけて読んだが、ほとほと疲れた。
本読んだだけなのに、なんでこう疲れる。
タイピングが手にひびき、けいわんぶりかえし。
背中、肩いたしでシップベタベタはりつけ。




「子どもが壊れる家」を読む。

2006-09-12 | 読書
草薙厚子著
岩波書店

少し前に読んだので、あらかた忘れてしまったが(←ばか)、最近の少年犯罪事件(神戸の酒かき薔薇(漢字変換いっぱつは無理なので略)、佐世保、長崎のバスジャックなど)を例にし、そこからみえる家庭のあり方や社会の風潮などから、子どもにあたえる影響を探る。

著者は、ゲーム、残酷なテレビ番組やビデオ、親のあり方などが、残酷な子どもたちをつくりだすというようなことを論じる。
それも一理あるかも知れんが、犯罪をおかした少年たちが、ホラーや残酷なことを好んだから、そういう論理になるのかな?と思ったが。

私自身も、殺人事件やサスペンス映画など大好きだが、やばいのかな?(←少年ぢゃないだろが。)
でも、ホラーは、あほらしく嫌いだし、「バトルロワイヤル」は、事件で話題になってから両方みたが、なんだか不愉快な映画だった。
登場人物が大人ならそうでもないが、高校生だし。

最近、長時間、頭をよりかけてパソコン画面みていると、よりかかっているのがつらくなる。ついグットおしつけているのかも知れん。
タオルを首のうしろにあてがったりして、負担を少なくするようにしているが、あまし効果なし。
長時間するのが間違いかも。
スキン編集ができるようになったので、つい長時間だらだら取り組んでしまうのがやばい。(こーいうの好きなんだよね。時間かけてるわりには、大したことないが。
こっちは、まだしてないが。)

猫にかみつかれた傷は、今朝おきたらだいぶ痛みがひいてきた。
ずっとはれがひかず、いたくて、足をひきずってやっと歩いていたが。
治るだろう。よかった。
猫の唾液には、パスツネラ菌(?)だかなんだかの菌があるとかなんとか聞いたよーなきがするが(テレビかネットか)、どうなんだかな?と危惧してたのだが。
まあ、外猫ではないので、そうわるいバイ菌ないと信じたい。

通院予定が、ここしばらくなかったのでよかった。

先週は、前いた地区の眼科へ、視野検査の予約をしていたので行ってきたのだが、そう近くはないので、こっち方面に変えようかなとは思うのだが。
しかし、そこの医師は、ボツリヌス療法の資格をもっていて、待合室に、飾ってある。
眼科なので、まぶたしかしないと思うが、痙性斜頚の資格と両方飾ってある。

で、わたしが、最初にいったとき、すぐにわかってくれた。
医師でも、この病気の特徴を知らない方が、圧倒的に多い。(内科や皮膚科やその他などで体験ずみ。)

視野検査は、額をあてがう場所はあるが、15分くらい(片目)ずつ約30分前後、じっと画面をみつめていなければならず、斜頸の体制では、非常につらい。
首だけでなく、肩にもじんじん痛みが発生してくる。

でも、この病院では痙性斜頸の特徴をしっているせいか(?)、途中で休憩をいれてもらえるし、姿勢にも配慮してもらえる。(他でもいえば、そうしてくれるのか知れんが。)
この病気の特徴を知っていてもらえるのが楽だなと思うので、ま、月いちだし、いいかと通うことにしている。

ただ、以前は、ほんとに近所だったので、通うのが楽だったが、今は、今回のように怪我でもしたら、とてもいけそうにない。


子どもが壊れる家

文藝春秋

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「子どもを殺す子どもたち」(福島章著)を読む。

2006-08-29 | 読書


■子どもを殺す子どもたち (単行本)
福島 章


精神科医の著者が、神戸児童殺傷事件のA少年、長崎の種もとしゅんちゃん誘拐殺害事件のB少年、佐世保の同教生殺害の小六女児の事件から、3人の子どもを分析。

神戸の少年事件があった夏、わたしは、ちょーど痙性斜頸と頸肩腕症候群を発病し(発病は実際は、それより1年くらい前には、自覚と兆候はあったのだが・・・。)、入院していたので、事件は、たまに自宅にもどり外泊(?)した時のニュースで、ちらっと知っていた程度だった。
その事件に、強く関心をもって関連の本をよみあさるよーになったのは、それから1年くらいしてからだったよーなきがする。
具合わるくて読書どころではなかったから。
衝撃的な事件だったので、少年に関する本は、かなり大量に出回っていた。
少年の親、殺害された少女の母や少年の父などの手記。
少年のいた学校の校長、数人のルポライター、新聞記者や、弁護士など。
その後、少年が成人になり社会復帰した時のルポも読んだが、それによるともう再犯の恐れがないくらいに、回復したよーな印象をうけた。

しかし、この著者(福島)によると、擬似家族で愛情を体験しなおし、精神的な成長のしなおしには、成功したとしても、根本の性癖(嗜癖)は、もう治らないという。
従って、再犯の可能性は消えたわけではないと。

種もとしゅんちゃん殺害の事件の少年については、ルポライターも追跡してないのか自粛してるのか、関連書籍は、ほとんどなく、この本は、興味深かった。
犯人の少年は、アスペルガー症候群というのが、逮捕後精神鑑定でわかり、学校の成績は、トップだったが、ふだんから小さい男の子にいたずらをくりかえしていたそうだ。
しゅんちゃんの正規をはさみで切ったそうで、ニュースには、それは、伏せていたよーなきがする。

佐世保の少女は、この本より前に「11歳の系譜」と先に紹介した草薙厚子さんの追跡ルポを読んでいたので、くりかえしの内容のよーな感じで、特に目新しくはなかったがし、草薙厚子さんの内容の方が、少女の生育や家庭にまでおよんでいたので、深みは感じられたが、こちらは、医師が資料から、少女を分析したもので、はっきりとはアスペルガー症候群だとは、述べていない。

著者が、自分も子どもの頃は、アスペルガーだったかもなどと言っているのがおもしろかった。
精神分析医でさえ、そう思うフシがあるのだから、ま、凡人の自分なども、ちょっとこの手の本を読むと、ふむふむあてはまるなあなどと思ってしまうのも無理ないのかもなどと、思ったりした。
集団行動が苦手で、ひとりがすきとか、そんなよーな点でだが。

今は「発達障害の豊かな世界」というのを読みかけているが、よりかかっている頭に力がはいるのか、ずっと固定して、どうしてもうつむいてしまうせいか、後頭部が苦痛で、斜頸がひどくなり、苦痛で、中断。
頭よりかかりも、リラックス状態でいる時は、そう苦痛はないが、何か行動(読書や料理の下処理や、そしてこーやってblogの記事を打っていることも)をしていると、きつくなってくる。
こーして、ものごとをほどほどにしない性格も、頸肩腕症候群や痙性斜頸になる要因かも。

この本も、なかなかおもしろい。
最近は、子どもの発達障害もずいぶん細かくわかるよーになってきているのだなあと知った。
子どもの頃の問題行動を早期発見して、手当てすれば、犯罪者は、ずいぶんへると。




■子どもを殺す子どもたち (単行本)
デービッド・ジェームズ スミス


こちらは、だいぶまえ、アメリカで起きた同じく少年が幼児(男子)を誘拐して殺害した事件の本である。ずいぶん話題になったので、記憶にあたらしい。これは読んでいないが、読む予定である。

「追跡! 「佐世保小六女児同級生殺害事件」」を読む。

2006-08-21 | 読書
先日、長文(?)かいたあと、目の疲れがひどく、寝たりおきたりしてた。
やたら眠たくて、ご飯をたべると、また眠たくなり、くっちゃね状態。

日曜日、身障者手帳関連の本でも探しにいこうかと図書館へいく。
図書館。
この街の図書館は、やっぱよくてうれしい。
あっち(いちいち比較)の街にいた時、図書館は遠いし、階段だし、係のひとは、意地悪だし(民間委託してたよーで、年配のおじさん、おばさんで、いじわるなのだった。)、図書館へいきたくなくなってた。

しかし、身障者関連の書籍は、児童はあるが成人のはみつからなかった。

同じ棚にあったこの本を、みつけすぐにぬく。
同じく「11歳の衝動」というのもあったので、これももつ。

その日、ほぼ読み終える。最後の一部は、目も疲れたし、腕にもくるので、翌日にもちこす。
本日、読了。

前述したよーに、テーブルと自分の間に距離ができるため、読書もしんどいのである。
腕で本をもちあげていると、腕にくるので、無理。けいわんは、軽くなったとはいえ、無理なことをするとすぐでてくる。
読書スタンドを探したのだが、引越しで、行方不明。捨てなかったと思うが。
いつでてくるかわからないので、今度、丸善でみてこようかなと思うが。

んで、この事件は、関心あったので、おもしろかった。(本がね。)
児童の事件のため、当初から、そうくわしいことは、報道されなかったし、ましてや、そのあと、彼女は、どうしているのか、わからない。

著者の草薙厚子さんは、神戸児童殺傷事件のA少年のその後も、追跡していて、そちらも興味深く読んだガ、A少年は、すでに成人になり、社会復帰を果たしているが、佐世保の少女の方は、まだこれからである。

それしても、あの事件からもう2年もたったのだな。
少女の家庭環境や育てられ方、学校生活、両親のこと、児童自立支援施設でのことなど、メデアでは、絶対でてこない情報が、のべられていて、興味深い。
被害者の御手洗さとみさんの父親すら、知り得なかった情報だろう。

さとみさんは、名前や顔写真もばっちりでていたが、加害者の児童は、写真もなく名前もないA子である。(あたりまえだが)

で、犯人の児童は、アスペルガー症候群だったというのだ。

この病気については、よくは知らないのだが、以前、某所であった女性から、聞いたことがあったのを思いだした。
あまりハッキリおぼえていないのだが(特別関心もなかったし)、彼女の夫が、アスペルガー症候群という病気で、生まれた息子も、同じ病気だったというのだ。
「結婚する前に、わからなかったの?」と聞いたのをおぼえている。
「わからなかった。」と言っていたが、コミュニケーションがうまくとれなくてへんだなと思いはじめて、あちこちの病院へいったとか言ってたよーなおぼえがある。
関東の地方にすんでいて都心の病院へきているとかいうよーなことを言っていたが、彼女自身も、何かの心身症にかかっていて(病名は忘れた)、それの治療だといっていたきがする。

アスペルガー障害は、専門家がみれば、すぐに診断つくそうだが、知能などは、劣らないので、ふつうのひとにはわかりずらいようだ。
あまり知られていない病気でもあるし。
この女児の場合は、両親や教師だって見抜けなかったのだが、異常な態度は、あったのだから、もし知識があって病院へでもつれていってたら、この殺人事件は、おきなかったのだろう。

彼女を収容した児童自立支援施設(教護院が、この名称をかえたのは知らなかった))では、ほかの児童と一緒にすごさせるのは、危険なので、彼女専用の隔離設備を、約2億円かけて建設したそうだ。
人間ひとりを、育てなおすために、莫大な税金を使う。

神戸の少年も社会復帰させるために、7年かけ莫大な税金をつぎこんでいる。



追跡!「佐世保小六女児同級生殺害事件」 (単行本)
草薙厚子著
講談社
定価1,500円+税