風のよーにすぎてく毎日

病気と不健康のはざまで実益ゼロ道楽趣味生活。

必須アイテム。

2006-08-19 | 病気と健康
gooの投稿メニューに、ジャンル別に選択する項目がでてくるのだが、その中に、「病気」という項目がない。
病気関連のことを記事にしようと思うと、ヘルス/ビューテイが、なんとか該当するのだが、「美容」「さぷり」ほか略など、関連づけられるものがない。「健康づくり」を選択してみたりするが、これも厳密にいえば、というよか、はっきし見当はずれ。
ま、いいけど。
いろんな病気かかえている方々も、沢山blog運営してると思うけどね。
こーいう設定するひとは、おおむね健康なひとがやるのだろう。

さて、本題。
痙性斜頸患者の自分のなくてはならない日常の必須アイテム。

★頭までささえられる背もたれと肘かけのある座椅子。

私は、ほぼ一日中、これに座りなんでもする。
料理も、材料一式、この椅子の前のテーブルまで運搬して、きざんだり、皮むいたり。
ただ洗いは、無理なので、わきの壁によりかかったり、額をつり戸棚のふち(これは寸法がたりないので、ながめのモノをおいて工夫)して行うが、これも長時間は、首が痛くて無理なので、ほんとはやりたくない作業のひとつ。

なっぱ類などは、洗うことを考えるとついついあとまわしにしてしまう。

食器などは、なるべく最小限に使用。洗うことを考えるから。
そしてためこまない。

顔が、左をむきっぱなしという状態も、不自由なのだが、それに痛みが加わるのが、苦痛を増加。
ふつうのひとが、左や右をむいても、痛くもないのに、痙性斜頸の顔の回転は、なんで痛いんだろなといつも不思議。

痛い痛いとヒトにいうわけにはいかんので、ひとには通じてないし、見た目にも、ヒトには、わからない。

痛みは、発症した最初の4~5年は、ほんとに強かったが、この1~3年は、やや緩和。(この区分けがはっきりしないので、おおざっぱ)
それでも、ひきつれるよーな痛みが消えたわけではない。
以前は、首にくわえて、肩と腕、手にも痛みがあったため、料理は、ほんとうに苦痛の作業のひとつだった。

もともと作ることが好きなので、この1~3年くらいから、いろいろ作れるようになってきて、うれしい。

歩行中は、痛みは、ある程度ちるよーなきがするが、外出先で、静止している時が、つらい。

そのため、外出中は、常によりかかれる場所を、物色している。
電車の中、バスの座席、駅のホーム、病院の待合室。

電車の中は、座れれば、窓によりかかれるのでよいのだが(頭はそっくりかえるが)、立っている時には、なるべく入り口のわきを、ねらう。ふさがっているときは、仕方ないが。

バスは、ふつうは背もたれが低い。頭がよりかかれない座椅子くらい苦痛な椅子はない。手で、頭をかかえていても、痛みが消えないからだが。

しかし、都営バスで、後ろから2列目のみ背もたれが高くなっているバスが、以前よく使う路線で走っていた。
わたしは、通院する時には、いつもその座席確保めざしていたものだ。
前の方のシルバーシートだと、よりかかれるつくりが多いので、すいている時には、座る。
ここへきて、最近は、都営バスにのっていないので、椅子がどうなってるか知らない。

乗り物といえば、エスカレーターも、自分にとっては、右にたつのが、楽なのだが、なぜか右は、歩行するひと専用になっている。
歩きたければ、階段にしろよといってやりたいが。
自分も若く元気だったら、右側をとっととのぼりおりしていた可能性はある。

なんで右にたちたいかというと、右手は、頭をささえるためふさがれるので、左手でカートをひいているせいである。
左にたつには、カートを右に持たねばならない。
不思議なのだが、左にむいてしまう顔は、なぜか右手でささえる時しか、有効に働かない。
これでも、完璧に表面をむくわけではないのだが、痛みが、だいぶ緩和されるし、ななめ正面くらいにはなる。

薬は、外出時には、飲み忘れると、「いたたいたた」と苦痛で思いだす。
んで、常に携帯していて、あわてて飲料水をジハンでかい飲むのだが、気分もあるのか、飲むと楽になるのは、そんなすぐきくわけないのにあやしいのだが。

この数年、ずっとワイパックスだったが、最近、レキソタンというのを処方されたので(同じ系統)、のみくらべているが、どうもワイパックスの方が、痛みが緩和されるきがするけど、実際にはよくわからない。

うちにいる時には、座っていられるので、飲まないことが多いが、ゴミ捨ての日などは、外にでるので飲む。

顔がまっすぐむいたら、よいのになと思う仕事に、ミシンがけがある。
座椅子に座っていると、そっくりかえった姿勢にならざるをえないので、のぞきこむ仕事は、できにくい。

んで、ひじかけも、なくてはならないので(腕に負担がかかるため)、そのひじかけの為に、座椅子は、テーブルの奥まではいっていかず、これが行動の制約となる。

テーブルと自分の間に距離ができるからである。

食事も食器を手にもち自分にひきよせねばならず、テーブルにおいたまま食べたほうがよいよーなめん類などは、それができない。

パソコンのモニタも、かなり距離がはなれてみている。
目もわるいのだが、距離がはなれているため、小さい文字でかいている記事は、読むのが苦痛。

障害のための設備資金が、十分にあれば、生活しやすい環境に整えられるのにと常々思う。

目といえば・・・・。

かなり長文になったので、後日。
ま、病人の長文グチほど、シトさまから読んで楽しくないものはないので、ながながかくのはバカである。

ここまで無事、読んでくださった方に感謝。

※補足
バスの椅子。
最近のってないとかいたとこだが、先日、役所へいった時に乗っていた。
で、座席は、全部背もたれが低く、後ろまでいって、座ってみたが、ダメで、体をねかせて、頭をもたせかけるという無理な姿勢で座る。すいていたのでよかったが。

都バスも、最近では、いろんな車種が走っているので、わからない。



最新の画像もっと見る