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早野巴人の世界(その一)

2004-10-09 07:46:12 | 巴人関係
早野巴人の世界(その一)

○鳥既に闇(くらが)り峠年立つや

 蕪村の俳諧の師の早野巴人の句である。巴人は、其角と嵐雪に師事した。延宝四年(一六七六)、下野(栃木県)那須郡烏山に生まれた(延宝五年説もある)。早くから江戸に出て、芭蕉が没する元禄七年(一六九四)の頃には、「竹雨」の号での初見の句も見られている。寛保二年(一七四二)、六十七歳で没する。掲出の句は、『夜半亭発句帖』の中の一句である。季語は「年立つ」。「闇り峠」は京阪と奈良を結ぶ生駒山中の峠の名前である。現代俳句の「写生・写実」を中心に据えての鑑賞は、「何の鳥かは知らないけれども、あの夕方見た鳥は、もう、生駒山中の闇り峠辺りを飛んでいるのであろうか。そして、その峠を越えた頃には、新しい年を迎えることになるのであろうか」とでもなるのであろうか。
 しかし、巴人の時代、即ち、其角の流れを汲む「江戸座」の俳諧、そして嵐雪の流れを汲む「雪門」系の
俳諧の時代にあっては、単純に、「写生・写実」を中心に据えての鑑賞だけでは、不十分のようなのである。当時の俳諧の一つの基調として、縁語などを駆使した「比喩俳諧」が顕著に見られ、その一つに「省略(抜け)」などを巧みに取り入れての滑稽句が盛んに横行していた時代なのである。そして、この巴人の句にも、仕掛けが施されていて、その「省略(抜け)」の技法が施されているようなのである。ずばり、この句の上五の「鳥既に」の「鳥」は、「借金取り」の「(掛け)とり」の「鳥」のようなのである。即ち、早野巴人の作句の心には、「借金取りの『掛けとり』人は、今頃、あの生駒山中の闇り峠あたりをうろついているのであろうか。そして、この都に辿り着く頃は、新年になっていて、その借金の支払いは、また、その年の大晦日と言い訳することができるわい」というようなことが、その作句の心らしいのである。もうこうなると、「古俳諧の鑑賞などというのは、どうにも、手も足も出ない」という感じすらしてくるのである。しかし、蕪村に「自在なる心」を植えつけた巴人は、こういう句だけではなく、それこそ、万華鏡のような多彩の世界を見せてくれるのである。




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