明治三十年一月、子規は、編集発行人を柳原極堂(やなぎはらきょくどう)をして、伊予松山で、俳誌「ホトトギス」を発刊させる。そして、これは、二十号まで続くが、その後、東京の高浜虚子が引き継ぎ、昭和三十五年の子規没後、この虚子が子規の継承者となる。その後、文芸雑誌の時代を経て、大正元年から「花鳥諷詠」という俳句理念の下に、客観写生俳句を提唱・推進し、所謂、「ホトトギス」王国を築き上げる。 . . . 本文を読む
誠に、子規は「俳句は已に盡きたり」というのである。また、「よし未だ盡きずとするも明治年間に盡きんこと期して待つべきなり」と断言するのである。
正に、子規の「俳句革新」の第一声は、この「俳句滅亡論」という、その実感からスタートをきるのである。
そして、その「俳句革新」の第一声は、古色蒼然とした宗匠俳諧への痛罵となって、その矛先を、旧派の宗匠俳諧へと向けるのである。この『獺 . . . 本文を読む
正岡子規の「俳句革新」
目次
⑴ 「俳句革新」の原点 (アマチュアリズムの視点)
⑵ 芭蕉の実像と虚像 (『芭蕉雑談』の意味するもの)
⑶ 子規の俳句観(『俳諧大要』その一)
⑷ 子規の写生論 (『俳諧大要』その二)
⑸ 子規の俳句修学論(『俳諧大要』その三 . . . 本文を読む
子規の追憶 寺田寅彦
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(例)子規《しき》の追憶について
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