茅舎追想その二十四~その二十五
(茅舎追想その二十四)茅舎の「雲母」の句と西島麦南の句など
西島麦南の「信(のぶ)ちやん時代」(「俳句研究・・・茅舎追悼(昭和十六・九)」を見ると、茅舎の青春時代、そして、その後の茅舎の生涯に大きな影響を与えた人ということで、「雲母」の代表的な俳人でもある麦南その人が挙げられるであろう。
そもそも、茅舎が本格的に俳句を始める切っ掛けとなったのも、麦南の「雲 . . . 本文を読む
(茅舎追想その二十二)茅舎・麦南・彦太郎そして岸田劉生
川端茅舎と西島麦南は青春時代を一緒にした無二の親友である。この二人にもう一人、原田彦太郎(彦・巨鼻人)が加わる。麦南が郷里熊本より上京したのは、大正五年(一九一六)のことで、茅舎の生家の近所に止宿したことから始まる。その交遊の始まりは既に茅舎と親しかった原田彦太郎を介してのことらしい。
この三人は共に画業を志していて、岸田劉生に傾倒し . . . 本文を読む
(茅舎追想その二十一)茅舎と麦南そして武者小路実篤
川端茅舎の幼なじみの無二の親友に「雲母」の主要俳人の西島麦南がいる。麦南の簡単なプロフィールは次のとおりである。
西島麦南 (にしじま-ばくなん)
明治二十八年(1895)~昭和五十六年(1981) 大正-昭和時代の俳人。
明治二十八年一月十日生まれ。武者小路実篤(むしゃのこうじ-さねあつ)の「新しき村」で開拓に従事。大正十 . . . 本文を読む
(茅舎追想その二十)茅舎の『白痴』周辺
茅舎が亡くなった昭和十六年に刊行された『白痴』という句集は、とにかく、茅舎の句集としては不可思議な句集である。また、その評判も甚だ良くないのはあきれるほどである。
大変に示唆には富んでいるのだがユニークな『蝸牛俳句文庫一一川端茅舎(嶋田麻紀・松浦敬親編著)』の「解説〈茅舎浄土と茅舎の浄土〉」(松浦敬親稿)では、このような出だしで始まる。
[この本は、 . . . 本文を読む
(茅舎追想その十五)茅舎と龍子の「母恋い句」
○ 菩提寺のザボンとあるに母の慈味 龍子
○ 窄き門額しろじろと母を恋ひ 茅舎
この龍子と茅舎の「母恋い句」は、『川端龍子(菊地芳一郎著)』(現代美術家シリーズ)からの抜粋である。この前後の文章は次のとおりである。
[「茅舎の母ゆきは昭和三年二月二十三日、六十二歳で、次いで龍子の母勢以は同五年一月二十日、七十三歳で、父信吉は同八年二 . . . 本文を読む
(茅舎追想その十二)茅舎の『白痴』と龍子の「ドストエフスキー」好き
茅舎の第三句集『白痴』は不思議な句集である。その「序」に、「新婚の清を祝福して贈る 白痴茅舎」とある。「新婚の清」の「清」とは、龍子の次男の清のことである。清は明治四十二年(一九〇九)の生まれで、その前年に長男の昇が没しており、清は龍子家の継嗣ということになる。
茅舎は、龍子の十二歳の年下だが、茅舎と甥っ子の清とも、十二歳の . . . 本文を読む
(茅舎追想その十) 茅舎の「茅舎浄土」と龍子の「仏画」
○ぜんまいののの字ばかりの寂光土 (昭和十二年作)
「寂光土」は仏語。寂光浄土の意。仏の住んでいる極楽浄土と同意。「ぜんまい」の「の」の字に似た形から、仏教世界の理想郷を透視する、その茅舎の句眼・句境・芸境を、中村草田男は、「茅舎浄土」の世界と喝破した。
○ひろびろと露曼陀羅の芭蕉かな (昭和五年作)
「曼陀羅」は仏語で、浄 . . . 本文を読む
(茅舎追想その六) 龍子と茅舎(その略年譜など)
一大の画人として文化勲章をも受賞した川端茅舎とその十二歳年下のその才能を惜しまれつつ夭逝した異母弟の俳人・茅舎とでは、まさに、両極端のようなに思われるけれども、この両者は、陰に陽に惹かれ合い、直接・間接を問わず影響し合った兄弟同士であったということを実感する。
殊に、俳人・茅舎の生涯というのは、その年譜を比較対照して見ていくと、異母兄の龍子とそ . . . 本文を読む
(茅舎追想その一)
芭蕉の花
芭蕉の花というのを見たことがある。小学生の頃、洋館に住んでいた友人の家にバナナの木があり、そのバナナの木に紅い花が咲いたのである。不思議な光景で今でも鮮明に覚えている。その思い出のバナナの木が芭蕉の木と知ったのは、つい最近のことである。
芭蕉が木なのか草なのか、また、その実は小さなバナナのようなのであるが、それが食べられるのかどうかは定かではない。とにかく、朱 . . . 本文を読む
茅舎復活(その七)
[ 昭和十四年 青淵
大旱(ひでり)天智天皇の「秋の田」も
炎天に青淵の風ふと立ちぬ
青淵の上に御田(おんた)の旱かな
青淵に翡翠一点かくれなし
大旱の淵は瀬を吸ひ止まざりき
鮎の瀬を淵へ筏は出て卍 ]
茅舎の第三句集『白痴』は、上記の「昭和十四年 青淵」の章から始まる。その最初の、「大旱(ひでり)天智天皇の『秋の田』も」の句、この何とも奇妙な「天 . . . 本文を読む
茅舎復活(その六)
「昭和十六年・春月」
春月の国常立命(くにとこたちのみこと)来し
春月の眼胴(めどう)うるほひ雪景色
春水の底の蠢動又蠢動
春水の中の虫螻蛄皆可愛
まつ青(さを)に鐘は響きぬ梅の花
「昭和十六年・二水夫人土筆摘図」の次の章が「房子金柑」で、その後に「春月」となり、上記の五句が収載されている。この五句とも、これが茅舎の句かと首を傾げたくなるような、いわば、駄句とも思え . . . 本文を読む
茅舎復活(その五)
「昭和十六年・二水夫人土筆摘図」
日天子寒のつくしのかなしさに
寒のつくしたづねて九十九谷かな
寒の野のつくしをかほどつまれたり
寒の野につくしつみますえんすがた
蜂の子の如くに寒のつくづくし
約束の寒の土筆を煮てください
寒のつくし法悦は舌頭に乗り
寒のつくしたうべて風雅菩薩かな
「二水夫人土筆摘図」の「二水夫人」 . . . 本文を読む
茅舎復活(その四)
「昭和十六年・心身脱落抄」
寒夜喀血みちたる玉壺大切に
寒夜喀血あふれし玉壺あやまたじ
咳かすかすか喀血とくとくと
そと咳くも且つ脱落す身の組織
冬晴を我が肺は早吸ひ兼ねつ
冬晴をまじまじ呼吸困難子
冬晴を肩身にかけてすひをりしか
冬晴をすひたきかなや精一杯
「昭和十六年」の「心身脱落抄」所収の八句である。茅舎の数多い傑作句と比する . . . 本文を読む
茅舎復活(その三)
(もう一度後記)
もちろん知音同志が最後の二章から句業の意味を発見せられる事に相違ない。だがもう一度誰哉行燈(たそやアンドウ)を許して欲しい。
鶯の機先は自分に珍しい程の歓喜を露はに示してゐる。抱風子の鶯団子は病床生活の自分に大きな時代の認識を深める窓の役目を果たして呉れた。
昭和十六年四月八日
川端茅舎
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茅舎復活(その二)
(『川端茅舎句集』・「序」)
茅舎句集が出るといふ話をきいた時分に、私は非常に嬉しく思つた。親しい俳友の句集が出るといふ事は誰の句集であつても喜ばしいことに思へるのであるけれども、わけても茅舎句集の出るといふことを聞いた時は最も喜びを感じたのである。それはどうしてであるかといふ事は時分でもはつきり判らない。
茅舎君は嘗ても言つたやうに、常にその病苦と闘つて居ながら少し . . . 本文を読む