早野巴人の句(十句鑑賞)
(その一)
○鳥既に闇(くらが)り峠年立つや
蕪村の俳諧の師の早野巴人の句である。巴人は、
其角と嵐雪に師事した。延宝四年(一六七六)、下野
(栃木県)那須郡烏山に生まれた(延宝五年説もあ
る)。早くから江戸に出て、芭蕉が没する元禄七年(
一六九四)の頃には、「竹雨」の号での初見の句も
見られている。寛保二年(一七四二)、六十七歳で没
する。掲出の句は、『夜半亭発句 . . . 本文を読む
十一 前書きのある句の難しさ
○ かきつばた水に杖つく姿あり---前書き「病中の吟、衰老終焉の年也」
前書きというのは一般的には「前書(まえがき)」の表示で、作句の動機や場の状況を説明して、句の理 . . . 本文を読む
(七) 巴人と潭北
一二〇 山姥(やまうば)の二人出合や清水影--前書き「潭北来りて両吟」
潭北(たんぽく)は、渡辺氏、後に常磐氏を名乗る。延宝五年(一七六六)、下野国(栃木県)那須郡烏山の生ま . . . 本文を読む
(四) 巴人と淡々と羅人
一二七 風声水音都の不二(ふじ)を扇かな---前書き「羅人万句 題寄扇祝」
山口羅人(らじん)(一六九九~一七五二)は近江守山の生まれ、上京後、京都で書肆(書店)を営んでいた . . . 本文を読む
早野巴人の世界(その十)
○ 風薫る家に入間の里の馬鹿
この巴人の句には、「京なりける人の許(もと)にまねかれて」の前書きが付与されている。この前書きを頼りにして、文字通りに解釈すると、「かって京都に住んでいた人に招かれて、その人の家を訪問しましたが、その家は初夏の風薫るように爽やかなのですが、その家の主は狂言『入間川』に出てくるよう、逆さ言葉を使い、どこか、その狂言の『入間の里の馬鹿』う . . . 本文を読む
(その九)
早野巴人の世界(その九)
○ 晋化去りぬにほひ残りて花の雲 嵐雪
○ 玄峰居士匂ひのこりて花の雲 宋阿(巴人)
○ 花の雲三重にかさねて雲の峰 蕪村
この三句は、蕪村の「宋阿の文に添ふる辞」からの抜粋である。宋阿は早野巴人の晩年の号。掲出の句の「晋化」は「晋子」の号を持つ「其角」のこと。「玄峰居士」は晩年の禅に傾倒した「嵐雪」のこと。この嵐雪の句は、其角の「白雲や花 . . . 本文を読む
(早野巴人の世界(その八)
○ 広庭に淋しくまはる一葉かな
季語は「一葉」(ひとは)で秋。句意は「広い庭を風に吹かれるままに、大きな桐の一葉が、淋しそうに走り回っている」。巴人の句としては数少ない叙景句の一つである。巴人には、時に、比喩句などの技巧的な句ではなく、掲出句のような客観写生的な句を見ることができる。
そして、こういう句が、巴人を俳諧の師とした蕪村が、より多く、後に、自分のものに . . . 本文を読む
早野巴人の世界(その七)
○ 落(おち)鮎や水に酔(よひ)たる息づかひ
この句には「落鮎」との前書きがある。巴人の故里の栃木県那須郡烏山町の那珂川河畔に巴人句碑として、この句が建立されている。詩人の草野心平の書によるものである。しかし、詩人・心平が巴人のこの句を選句したのではなく、烏山町は俳句の盛んな所で、その長老格の人が選句して、書をよくした心平にその揮毫をお願いしたというのが、その真相 . . . 本文を読む
早野巴人の世界(その六)
○ 夏川や流れるもののみなうつくしき
高井几董編著『続明烏』の中の巴人の句である(「夏川の流れるものの」の「の」は原本は反復記号)。巴人の句は、その十三回忌に編纂された、砂岡雁宕らの『夜半亭発句帖』所収の二百八十七句が、現在、主として、巴人の句として、鑑賞されるのが通常である。そして、この句は、その『夜半亭発句帖』に収録されてはいず、ひっそりと、『続明烏』(その三 . . . 本文を読む
○ 鳴(なき)ながら川飛(とぶ)蝉の日影かな
巴人の代表作の一つであろう。この句については、夜半亭二世・蕪村が夜半亭一世・巴人とその高弟の一人である夜半亭三世となる高井几董の父・几圭の画像を描き、そして、夜半亭三世・几董の賛によるものが、几董編著の『其雪影』に収録されている。巴人像というのは、唯一、この蕪村の描くものという貴重なものであろう。この句については、明治時代の子規以降で、論の人として . . . 本文を読む
早野巴人の世界(その四)
○ 炭窯や鹿の見て居る夕煙
巴人の『夜半亭発句帖』の中の一句である。この句には「炭」という前書きが付与されている。秋の「鹿」の句というよりも、冬の「炭窯」(『夜半亭発句帖』では「窯」は異体字)の句ということになる。
この句について、ドナルド・キーン氏が次のような英文・訳を付して、その著「日本文学の歴史8(近世篇2)」で紹介している。
The charcoal . . . 本文を読む
早野巴人の世界(その三)
○ 星を見るなら夕暮の海
この巴人の句は、五・七・五の発句(俳句)ではなく、七・七
の十四音字の、連句の付け句の「短句」のそれである。
この句は、元文四年(一七三九)の『俳諧 桃桜』の中の、
嵐雪追善の「右」の巻に所収されている。その「名残の裏」の
四句目のものである。その前後の句と併せて記載すると次の
とおりである。
白髪迄かせきわたりの黒羽折
星を見る . . . 本文を読む