ブルースカイⅢのブログ

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【 嗚呼、浜田城<その2> 】

2020-03-01 17:14:44 | 歴史

こんにちは!

今日は、前回の続きで「嗚呼、浜田城<その2>」

をご覧頂きます。

 

 

【 嗚呼、浜田城<その2> 】①

  大門からやや急な石段を登ると、

  その先に三の丸があります。

 

 

【 嗚呼、浜田城<その2> 】②

  三の丸からさらに登ると、そこは

  二の丸です。

  ここには、二ノ門があって城を守る

  重要な門でした。

 

 

【 嗚呼、浜田城<その2> 】③

  二の丸を過ぎると、いよいよ本丸です。

  階段を上がると、そこには・・・。

 

 

【 嗚呼、浜田城<その2> 】④

  ここが本丸で、その広さは約2715㎡

  ありました。

  本丸左奥に三重櫓(天守)があって、

  城下を見下ろしていました。

 

  でも、今は、当時を偲ぶものは何も

  残って居ません。

  すべて、焼失してしまいました・・・。(◎_◎;)



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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ベル)
2020-03-01 18:25:52
こんにちは
ここ建物がないだけで石垣も石段も綺麗に残ってますね
城跡ってのは各地にありますが公園のようになって
整備はされてる物の石垣等がここまで残してるとこは少ないかも
建物作ったらそのまま城として機能しそう
もったいないです
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今晩は (hiro-sun)
2020-03-01 20:16:51
いやー、こうして城の歴史を振り返ると面白いもんです。
山城と強固な城郭、石垣の位置関係は攻め手の
戦法にも混乱を引き起こす様出来ていますね。
隊列を細くさせ狭間からの攻撃・・よー考えています。
石垣、石段も現存のようで大事にしたいですねー。
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ベルさんへ (sei19hina86)
2020-03-02 09:06:22
おはようございます。ブルースカイⅢです。
ハイッ!その通りです。
この城跡の石垣ですが、私も写真を撮りながら思いました。
石垣に、草木が一本も見えまません!(◎_◎;)

これは、かなり手入れしないと、小さな木々は直ぐ
生えて来て石垣を壊します。
昨年、開府400年を迎えたので、相当整備したのか
も知れませんッ!

貴殿が、言われますように、ここに建物があれば
すぐ機能しそうです。
せめて物見櫓的なものがあれば、観光にも一役
かったと思います。
ですか、なんせ財政が頻拍している市ですから、
中々難しいようです・・・。(◎_◎;)

いつも、早々のコメント大変有難う御座います。
では、また。(^O^)/
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hiro-sunさんへ (sei19hina86)
2020-03-02 09:19:26
おはようございます。ブルースカイⅢです。
ハイッ!そうです!
城の歴史は、日本の歴史を知る上で不可欠です。
城の成り立ちや構造が分かれば、その城の重要性も
知ることが出来ます。

今、「麒麟がくる!」の大河ドラマが人気を集めて
いますが、その中で城の在り方を見るのも面白い
かと思います。
この浜田城は山城ですが、防御には相当工夫が
なされています。
石垣の位置や形状、更にその上の城壁に造られた
狭間の窓の形など興味がどんどん湧いて来ます。

今となっては、それを見ることは出来ませんが、
せめて一部でも残っていて欲しかったです。
最近、この浜田城見学用に駐車場や資料館が整備
され、ここへ行きやすくなりました。
後日、今度は資料館に行ってみます。
さて、どんなものがあるでしょうか・・・。

いつも、コメント有難う御座います。
では、また。(^O^)/
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sei19さんへ (マーチャン)
2020-03-02 15:10:28
こんにちは。
いまお城があちこち持てはやされてて、
この浜田の城もそのひとつでしょうか。
昨日も大河でこちらの大垣とか尾張の城とかと、
やっててそろそろ腰上げてもいいかと思っています。
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マーチャンさんへ (sei19hina86)
2020-03-02 16:14:14
こんにちは!ブルースカイⅢです。
ハイッ!今、大河ドラマで尾張周辺の戦国時代絵巻
が、繰り広げられていますねッ!
主人公の明智光秀は、織田信長に謀反を起こした
人物として知られていますが、青年期のことはあま
り判っていないとか・・・。
私も、大河ドラマファンですが、これからが興味
深々です。

愛知県には、かなりの城があり、これらを巡るのも
面白いですねェ~!ヽ(^。^)ノ
その城の歴史を一つ一つ知ることは、いい事だと
思います。
その城の歴史なども、写真で見れればこちらも
たのしみですが・・・。

態々のコメント、有難う御座いました。
では、また。(^O^)/
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浜田市にも行きました (吉谷)
2020-03-02 18:34:13
こんにちは♪
2010年に浜田市立第四中学校へ出前授業に行きました
もう10年経つのですね
みんな立派になっているでしょうね
今度訪ねる機会があったら浜田城跡にも行ってみたいです
やっぱり桜の時期がいいですね〜
あちこちご案内ありがとうございます
吉谷
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Unknown (コタロー)
2020-03-02 22:54:12
お城はなくなっても、石垣で
偲べますねぇ。
長州藩に対する山陰側の押さえの
最前線だったとか…
小説があったら読みたいですよ☆☆
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吉谷さんへ (sei19hina86)
2020-03-03 11:54:48
こんにちは!ブルースカイⅢです。
そうですか、こちらに来られてもう10年が経ちま
すか・・・。
あっという間ですねェ~!ヽ(^。^)ノ

皆、元気で頑張っていると思います。
中には、貴殿が授業した電気工作教室が役立って、
そちら方面に行った子供達もいることでしょう。

ハイッ!是非、訪ねてみて下さい。
やはり、桜が咲く頃がいいと思います。
今は、例の早咲きの桜1本のみですが、ここは
結構桜が咲くそうです。
築城当時に想いを馳せて、石段を一歩一歩登るのも
いいでしょう。
また、機会を見つけて写真を撮って来ます。

態々のコメント、有難う御座いました。
では、また。(^O^)/
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コタローさんへ (sei19hina86)
2020-03-03 12:35:26
こんにちは!ブルースカイⅢです。
ハイッ!本当は、ここに城があると凄く映えると
思いますが、復興の兆しはありません・・・。
なんせ、天守を造るとなると、相当な金額が必要
でしょう。
浜田市は、それでなくても財政難ですから、恐らく
このままだと思います。

でも、この立派な石垣があれば、築城当時の様子も
なんとなく伺い知ることが出来ます。

この地は、毛利や長州などの見張りの最前線でしたので、幕府直属となった時期もありました。
司馬遼太郎氏が、長州の大村益次郎の生涯を描いた
歴史小説「花神」を書く際、長州征伐の取材で
ここへ滞在したそうです。
この浜田藩追悼の碑に司馬遼太郎氏の想いが書かれ
ていますが、またいつか紹介します。

この浜田城は、築城から城主の跡目争いで、何度も
城主が変わっており、本当に波乱に満ちた城でした。
態々のコメント、有難う御座いました。
では、また。(^O^)/
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