うちの母はものすごく我慢強い人でした。
何でもギリギリまで我慢してしまう癖があって、大病ばかりしていました。
若い頃はひどい盲腸炎で死にかけ、事故に遭っては死にかけ、ついには再生不良性貧血という白血病の一歩手前の病気になってしまいました。
最後は腹膜が破れて入院したはずなのに、そのための手術で母のお腹を開いたら、末期の大腸ガンが発見されました。
「2週間の命です」
結局、医師の宣告から4ヶ月後に母は亡くなりました。
・・・・私は思いました。
「亡き母へ」
どうしてしんどいことをすべて一人で抱えてしまうの?
私がそばにいて聞いてあげたでしょう?
それでも言い足りないくらい、お母さんは大変な目に遭っていたんだもの・・・。
自分の親きょうだいにも頼れず、誰にも言いたいことも言えず・・・。
だから、病気になってしまったのですね。
私が小学生だったある日、私は見てしました。
母が声をあげて泣いているのを・・・。
そのそばで兄が機嫌よく飛び跳ねていました。
私に気づくと「ごめん」と言いながら、母は私に微笑みました。
お母さん我慢しなくてもいいのよ。
泣きたいときには思い切り泣いてほしい。
素直な気持ちで私に接してくれたらいい。
子供だから言えなかったけど、
子供だから言えなかったけど・・・・。
本当はお母さんにはあまり我慢してほしくありませんでした!
弱虫でもいいから、ただ長生きしてほしかったです!
無理して自分の命を削るような生き方はしてほしくなかったのです。
今、私はお母さんと同世代の方と出会うたび、お母さんが生きていたらこんなふうになるのかと想像 しています。
子供のために生きて、そして亡くなってしまったお母さん・・・。
あなたの人生っていったいなんだったのですか?
あなた自身の幸せって、
どこにあったのですか?
親きょうだいのことを書いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/sayakayamase
私も弟が知的障害者で、現在施設にお世話になっております。
過去ログすべて拝見してかなり共感できる部分が多かったので、どちらにコメントしようか迷いましたが、私も同じく数年前に母を亡くしておりますので、この記事が一番心に響きました。
私の母も我慢強い人でした。
父が仕事人間でほとんど弟の世話をしなかったので、途中から諦めてすべて自分で引き受けて…
もちろん私も姉も多少は手伝いましたが、「手伝った」レベルでは生活のすべてを弟にささげていたと行ってもいいような母とは比べ物にはなりません。
もう少し手伝ってあげればよかった。
弟が暴れても嫁に行った私たちを心配させまいと知らせず。
病院や施設は「かわいそうだから」と言ってひたすら一人でかんばろうとした母…
なんであの時、そういう方向を強くすすめなかったのだろうと後悔しています。
そうすれば母が大変な思いをして亡くなることはなかったかも知れないのに…
母は幸せだったのか?
本当に、私もそう思いました。
弟は大事だったでしょう。
でも、それでよかったのか?
今となってはわかりません。母に色々聞いてみたかったですね…
長くなってしまってすみません。
またおじゃまさせてくださいね。
障害者の家族は皆、同じような経験をするのでしょうか?
どうしてもお母さんが障害を持つわが子を思うばかりに命を削ってしまうのですね。
私たちきょうだいは、その様子を冷静に見つめているのかもしれませんね。
私の母の人生を考えますと、そのほとんどは兄にささげられていたような気がします。
今はそれで母は幸せだったのだと思うようにしていますが、のこされた兄のことを考えるとかわいそうになります。
またそちらのブログにうかがわせていただきますね。
これからもよろしくお願いします。