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今だから話そう~障害者のきょうだいとして生きて~

自閉症で重度知的障害者の妹として経験した事、感じた事、そして今だから話せる亡き両親への思いを書いてゆきます。

私の兄について(自閉症・重度知的障害者)

2006-08-17 15:47:58 | 私の兄について

私のことをお話する前に、私の兄についてお話しましょう。

私の兄は、生後6ヶ月頃に下痢と40度を超える高熱で死にかけました。
入院先の医師にこう言われたそうです。

「この高熱で脳細胞が破壊されていて、たとえ生きられたとしても、お子さんにはなんらかの障害が残るでしょう・・・。」

それでも、両親は兄の命の灯火が消えぬよう、必死で祈ったといいます。

「たとえ障害が残ってもかまわない。この子が生きてくれてたら・・・。」
両親の思いはきっとそうだったでしょう。

兄は幸いにも死を免れ、子供のころからものすごく元気です。

兄は今年で45歳になります。
身長179センチ、体重66キログラムのスリムな体型で筋肉質です。
顔は佐藤浩一や坂口憲二にも似ていますが、柔道で金メダルをとった野村選手が戦っている時の顔はびっくりするほど似ています。



【兄の生い立ち】

会社員の父と看護婦の母との間に長男として生まれる。
  “きれいな赤ちゃん”として近所でも評判だった。

2~3歳頃から、他の子供と発達の違いが見られる。
  医師や福祉の専門家から自閉症で知的障害を持っていると診断を受ける。

“障害児”となったとたん、周囲の対応が変化する。

幼稚園の頃
  健常児と一緒に通学。問題児として扱われ、一日中母がついていることも・・・。

小学時代
  当時、新設されたばかりの心身障害児のための学園に行く。ここでも学校で一番の問題児。小1~小2頃は、母も職員と一緒に兄を見守るために毎日、一緒に送迎バスにのって通学していました。

中学時代
  養護学校中学部に進む。ここでもやはり学校で一番の問題児
  「学校で一番の男前で一番の問題児」と呼ばれるようになる。
  お父さんのような存在の大好きな先生に恵まれたが、中3頃から、登校拒否に陥る。送迎バスに乗ることもせず、通学を強制すると大暴れした。

高校時代
  登校拒否続行中のため、入学式には欠席。高1の途中から通学を再開する。
  お兄さんのような存在の若い先生と出会う。
  しかし、高2から再び登校拒否になる。
  家で暴れまわるので、福祉事務所に入所施設を紹介してもらうが、そこでも問題児として扱われる。
  土曜・日曜は職員が少なくなって手が回らないので、土曜の午後に帰宅し、月曜の朝に施設に向かう生活を数ヶ月続ける。
  施設への道程は、片道で3時間以上かかったので、送り迎えをする母の負担は大きかったと思う。

その後・・・
  当時、新設されたばかりの知的障害者のための施設に入所する。
  不登校で高校を半分以上欠席していて、卒業式も欠席だったが、卒業証書はもらえた。
  現在も入所中。

  30歳のときに母が癌で亡くなる。

  43歳のときに父が亡くなる。

  現在は、私と夫が兄を支えています。