今だから話そう~障害者のきょうだいとして生きて~

自閉症で重度知的障害者の妹として経験した事、感じた事、そして今だから話せる亡き両親への思いを書いてゆきます。

もしかして“赤城ショック”?!

2007-07-31 02:30:14 | 徒然日記

7月29日に参議院選挙がありましたが、皆さんは投票されましたか?

私はこの日に催しのお手伝いがあって時間的に無理なので、「期日前投票」をしてきました。
近くの役所で受け付けていましたが、比較的若い人が多くて、結構にぎわっていました。
おそらく時期的にもレジャーと重なったりして、「期日前投票」をされる方が多かったのではないかと思われます。


さて、今回の選挙で自民党の惨敗が報じられています。
この惨敗の原因は「年金問題」などという声もありますが、私は、選挙前の赤城農水大臣のバンソーコーと、領収書の二重使用問題が惨敗を決定的にしたような気がします。
あれがなかったら、もしかしたらこれほど自民党が大敗しなかったのではないかという気がします。
実際、私はどうしてこのような人が大臣の座にいるのか理解できません。
私は政治に関する知識も少ないので、基本的にはあまり政治のことは口出ししたくはないのですが、赤城農水相のことだけはどうもひっかって仕方がないのです。
赤城農水大臣の対応の仕方は、人間として何かも未熟なものを感じるのです。
そして、何度もこのような大臣をかばい続ける安倍首相の態度にも疑問を感じます。

おそらく安倍首相の感性と多くの国民の感性との間には大きなズレが生じてういるのでははないかと思います。
以前、小泉元首相が安倍首相に「もっと鈍感になれ」と進言したそうですが、安倍首相は自分の立場には敏感でも、他人の心には十分に鈍感な方だと思います。

安倍首相の今までの実績を考えますと、安倍さんはトップにならなければ、すばらしい能力を発揮される方のように見えますが・・・・。
安部さんがサブにいれば、彼のフォローにとって、そこのトップは能力を存分に発揮できるでしょう。
しかし、安部さんはトップになってしまうと、結局、自分がフォローしてあげなければならない人ばかりが集まってしまうのでしょうね。
安部さんは、問題を起こした大臣をかばうという、サブ独特の感性でフォローしています。
もし安倍首相が松岡元農水相をあそこまでかばわなければ、松岡さんは自殺までしないで済んだのかもしれない。。。なんて思ってしまいます。

今度も安倍首相は続投するつもりだそうですが、たしか選挙前には「私か小沢さんかどちらかを選択する選挙」とおっしゃっていたような気がするのですが・・・。
これからの安部内閣の動向が気になるところです。

安部首相には、高齢者・障害者といった弱者のことも忘れないでいただきたいと思います。
そして、年金問題にもっとメスをいれてほしいと思います。
特に年金問題は、時間がたつと年金加入者が死亡してゆきます。
もらえるはずの年金を受け取れないまま死亡された方もたくさんいらっしゃることでしょう。
そんな方たちの年金はどうなるのでしょうね?
亡くなってしまえばおしまいなのでしょうか?

選挙が終わってさらにたくさんの疑問がわいてきました。



障害は罪悪?

2007-07-15 22:45:56 | 徒然日記
先日、脳性マヒと闘い15歳の若さで亡くなった少年が遺した詩について記事にしました。
「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」
これってどんな思いで書いたのでしょうか?
ドラマの中では、この詩はお母さんへの罪悪感というよりも、広く社会にこのような現実を知ってほしいという風に描かれていました。
ただ、私には本当に罪悪感のように思えたのです。
というのか、罪悪感だと教えられてきたのです。

母は障害児の母親となったことで、親戚からはこんなことを言われたそうです。
 「あんたの育て方が悪いから、自閉症なんかになるんだ!」
 「うちの家系にはそんな子は生まれへん!ダンナの家系のせいや!」
 「障害児になんかになるくらいやったら、あの時死んでくれたらよかったんや!」

近所の人からは、兄が悪戯をするたびにこんなことを言われました。
 「お宅はどんな躾をしてるんですか?」
 「こんな子をのさばらしたらあかんでしょ!」
 「親の顔がみたいわ!」

兄を連れて街を歩いていると、知らない人からがこんなことを言われました。
 「ちょっと見て!あの子なんかヘンやわ~。(笑)」
 「お前はキチガイ!」
 「うちの子はあんな子にならなくてよかったわ。」
 「いややね~、あんな子が歩いているなんて!(わが子に)あんたはマネしたらあかんよ!」
 「お前なんか死ね!」

ざっとこんな感じでしょうか。


別に今では何も感じないでしょうが、この少年のように兄は判断能力もありませんし、「死ね!」と言われも笑っているくらいですから、兄が何かを訴えることはないでしょう。
こうして周りにいる母や妹の私が、日々傷ついていったのです。
あまり子育てには参加しなかった父でしたが、父も同じ気持ちだったと思います。
父の場合、兄のことを堂々と世間に話していました。し、父の外見が怖かったおかげで(?)、父と一緒の時には、街を歩いていてもあまり言われることはありませんでした。
本当に世間って不思議なものです。
言えそうな相手と思ったら攻撃するのに、相手が怖そうなら黙っているのですから・・・。


こんな風に幼い頃から人間の悪い部分を見てしまうと、どうしても人間不信になります。
そして、相手は「障害=罪悪」に感じているに違いないと思うようになるのです。

母は罪悪とは思わないようにしていましたが、自分のせいで兄が障害児になったのではないかという思iいから、自分を責める傾向がありました。
何を思ったのか、たまに母は「あんたは全然悪くない。私が悪いのよ」ということがありました。
 
 
・・・でも、これは昔のお話。

現代では、障害者をテーマにしたドラマや映画も受け入れられるようになりました。
たとえ本心でわかっていなくても、障害者が存在することを知っていただけたらうれしいです。

まずは障害者の存在を理解することだと思います。
いつの日にか「障害=罪悪」という考え方がなくなってほしいです。

こんなことを書いている間でも、兄は親戚によって存在を無視されてています。
これが現実です。


でもあえて言いたいです。
兄が障害者になったことも私や両親が障害者の家族になったことは別にマイナスではないのです。
クジにあたったようなものです。
障害者の親きょうだいはたしかに辛いことはいっぱいあります。
辛いのは、社会に偏見(特に親戚からの偏見)が冷酷なほど、心にチクチク刺さってゆくことです。
今まで理解してくれていると思っていた人が、実は同情だけで接していたということにショックを受けたりします。
同情も哀れみほしいのではありません。
おそらく障害者もその家族も自分たちを哀れだとは思っていないことでしょう。

ただ、いろんな国籍があるように、同じ人間として生きているということを知ってほしいだけです。

もしも、もしも、自分の子どもが障害児になったからといって悲しまないでほしい。
その家族はけっしてみじめな存在ではないから・・・。
お母さんは罪悪感を持つ必要はないから・・・。


「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」

2007-07-14 03:44:35 | 徒然日記
フジテレビ、金曜プレステージ「お母さん、ぼくがうまれてごめんなさい」を観ました。
これは、脳性マヒで15歳の若さで亡くなった香川康文さんの遺した詩がラジオ番組やテレビ番組で紹介され、その詩に曲をつけたものを康文さんが大好きだった歌手の森昌子(当時19歳)さんによって歌われました。
この作品は、向野幾世(こうのいくよ)さんの著書をもとにつくられたドラマです.
ドラマの中では藤谷瞳という女子高生が、自身にさまざまな問題を抱えながらも、康文さんと関わることで、ボランティアティに目覚めて、障害者と関わるために先生になっていくシーンもありますが、もしかしたら、これは向野さんの実体験なのでしょうか?
向野さんが先生のころ、康文さんと出会い、彼の言葉を詩にしていったといいます。

テレビドラマなので、多少脚色された部分がありますが、障害者やその家族のおかれた現実、障害者と健常者との関わり方において、私が同感する部分がいくつもありました。

http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/07-173.html

脳性マヒで15歳で亡くなった康文さんの詩は博物館に展示されているそうですが、彼の詩を読んだ高校生たちは涙したといいます。
私の兄は知的障害者で障害のタイプが異なっていますが、障害者の家族として、相通じる部分がいくつもあり、私は何度も涙してしまいました。
ドラマの最後に康文さんの詩が紹介されました。
ただ前半部分しか紹介されていませんでしたが、後半もありましたので紹介させていただきます。



「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」

 ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい
 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがもなかったろうね
 大きくなった このぼくを
 背負って歩く 悲しさも
 「かたわな子だね」とふりかえる
 つめたい視線に 泣くことも
 ぼくさえ 生まれなかったら

 ありがとう おかあさん
 ありがとう おかあさん
 おかあさんが いるかぎり
 ぼくは生きていくのです
 脳性マヒを 生きていく
 やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい
 そんな 人の生き方を
 教えてくれた おかあさん
 おかあさん

 あなたがそこに いるかぎり






あなたは何を感じましたか?

康文さんのこの詩は、まさに現代社会は障害者にこのような罪悪感さえもたせるような社会システムが存在するという証明ではないでしょうか?
私が子供の頃うけた体験も重なって改めて障害者と社会との関わりについて考えてみたいと思いました。



「年金記録問題」と「議員年金」

2007-07-11 00:44:38 | 徒然日記

年金問題は解決されぬままに国会は終わってしまいました。
せっかくおさめた年金も年金記録がきちんとなされていないために、未納扱いにされている人が続出するという現実に憤りを感じます。
私は兄の住民票を移動するときに社会保険事務所で自分の年金記録も確認していましたので、年金記録が残っていることは確認できました。

でも、不思議に思うことがひとつあります。
社会保険事務所では年金記録を印刷した書類をみせてくれるのですが、決まってこういう言葉が返ってきます。

「この書類はお渡しできないのですが・・・。」

私はこの対応には納得できません。
たしかマスコミで年金記録問題が取り上げられる2ヶ月ほど前にも社会保険事務所で同じことを言われました。
どうして自分の年金記録を書いた紙を渡してもらえないのでしょうか?

私の場合は国民年金なので、できるかぎり一年分一括納付するようにしています。
私のように納付する人の場合、職員さんは明るく対応してくれるますし、あまり待たされることもありませんでした。
でも、年金受給の申請に来ている人たちは長い間待たされて、職員は上からものを言っている光景を何度か目にしています。

それで私は、職員さんに「ここの職員さんが国民年金ですか?」と尋ねたことがあります。
するとこんな答えが返ってきました。
「いいえ、私たちは共済に加入しているんですよ。官と民の間みたいなものです。」

(なんで国民年金じゃないの?)

だから他人事として受け止めているのかもしれませんね。

厚生労働大臣をはじめ、厚生労働省の職員や社会保険事務所の職員はボーナスを返上するということですが、はたしてどれだけの人が返上するのでしょうか?
きっと「自分たちは悪くない」「前任の責任をどうして自分たちがとるのか理解できない」といった不満を持たれているのではないでしょうか?
前任も含め、国民の大切な年金を軽視された方々には責任をとっていただきたいものです。もちろんボーナス返上だけで問題は解決するとは思いませんが・・・。

国会も同様ですね。
「議員年金」についてもおかしいと思いませんか?
「議員年金」の話はいつのまにか年金記録の記載漏れ問題に摩り替えられてしまったような気もします。


自分たちのことばかり考えている人が他人の年金や財産を管理する資格はないと思うのですが・・・。

私はまだ年金受給される年齢ではないので、実際にどれだけいただけるのかわかりません。
でもこれからは日本も超高齢社会に突入します。
それなのにこのような部分でつまづいているなんて、将来が不安です。
このような年金問題に対応する場合には、知識も必要でしょうし、訴える勇気も必要でしょう。
はたして国民のどれだけの人がこの問題ときちんと向き合ってゆけるのでしょうか?正直、不安になります。


障害者施設での食事について

2007-07-06 01:57:14 | 障害者自立支援法

施設にはいろいろな食事体系があると思いますが、兄のいる「障害者福祉更生施設」の場合、調理師・栄養士・調理スタッフ・看護師といった方たちが、メニューを管理しています。
利用者の体調や症状にあわせてその日の食事量も加減してくださいます。
ですから、そういった点でも助かります。

兄の場合、施設の食事指導が成功したのか、入所して間もない頃は1度の食事の時にお茶の入ったやかんを独占していたそうです。
でも少しずつやかんのお茶の量を調節し、それを2リットルのペットボトルにうつしかえるなど、長期的な食事指導により、今では他の利用者と同じように湯呑みにお茶を入れてのむようになりました。(何杯もおかわりしていますけど・・。)

それから兄の施設では、障害が重くて食事を自力で食べられない利用者には「きざみ食」や「流動食」で対応してくれます。
少数のスタッフで大勢の食事を作り、しかも「きざみ食」まで作ってくれるスタッフには脱帽です。

また、'兄の施設では毎月、調理スタッフが写真付きでどのようなメニューを出したのかを保護者に知らせてくれます。
色とりどりで美しく盛り付けられたメニューは本当においしそうです。
されにクリスマスやお正月には、バージョンアップして、リッチな食事になります。

めったにありませんが、保護者同伴の運動会や遠足では、調理スタッフが朝早くから頑張って、利用者だけでなく保護者のお弁当も作ってくれたりすることもあります。もちろん好評です。
というわけで、普段はなかなか施設のメニューを食べる機会はありませんが、帰省できない利用者のために保護者が宿泊した場合、利用者と一緒に施設の食事をいただくこともできます。実際に食事をした保護者によればなかなかおいしいとのことでhした。

ただ、このようなおいしい料理を、月に1度の面会日に予約や有料でかまわないから保護者にも食べさせてほしいという保護者の要望もありますが、実際は実現が難しいそうです。
せめてコーヒーだけでも有料で提供して欲しいと言う保護者の声もありますが、それも難しいそうです。

理由は、調理に関わる設備が充実していないことだそうです。
具体的には、冷蔵庫が足りないこと、調理スタッフが足りないこと、作った料理をおくトレーの置き場がなくて、現在が限界だということです。

たしかに施設の利用者のほかに、障害者自立支援法施行に伴い、それに対応するためにつくられた作業所やグループホームなどの利用者も同じ食事をしています。
それに対応しようと思えば、現在がギリギリという感じはします。
調理スタッフの方は本当に良く働いておられますし、これ以上負担を増やすのも気の毒な気もします。

ともかく兄の施設は本当に食事が充実しているのがありがたいです。
ちなみに1日あたりの食費は1500円程度です。

他の施設ではどうなのでしょうか?ちょっと気になります。


成年後見人だからできること

2007-07-04 04:56:19 | 障害者の妹だから

施設に兄が入所しているため、私は兄と同居していません。

そのため、私と兄の住民票は違う自治体に属しています。
そして、私は「現況届」がきちんと提出されないと兄の年金に支障が出ても困ります。

それで社会保険事務所の方と相談して、父が脳梗塞で倒れて入院するようになってからは、連絡先を私の住所地に変更しました。

もし、兄のいる施設の住所に送られますと、地域の管轄が変わるため、別の地域の社会保険事務所が担当になります。
もしそんなことになりますろ、私の自宅からはかなり遠方になり、いざ何かあった場合、私が対応できなくなります。
そんなわけで連絡先を私の自宅にしておいたのです。

でも、ひとつ面倒なことがあります。

それは兄の住民票のある役所に兄の所得証明書をもらいにいかなくてはならないことです。
そこに行くには自宅から電車で2時間以上かかりますので、私は郵送で手続きをすることにしています。

必要なものは以下の通りです。

所得証明書1通・・・300円(定額小為替)
返信用の封筒1通(80円切ってを貼る)
申請書1通



私が教えてもらった申請書の様式は以下の通りです。

       申請書

請求者氏名(私)
請求者の住所・連絡先(電話)
請求者の印

必要とする書類の名称・何通いるのか?
必要とする人の氏名(兄)
必要とする人の生年月日・住所


とはいっても、私と兄は同居していませんので、兄と私の関係を示すための書類が別に必要となります。

私の場合、兄の成年後見人をしておりますので、成年後見人になっていることを証明する書類のコピーを添付すればよいそうです。

親の代なら、姓も同じですし、親子関係もわかりやすいでしょう。
ところが、親が死亡したり、なんらかの事情で障害をもつわが子を支えられなくなった場合、きょうだいの支援が必要となります。
そして、きょうだいの代になりますと、特に私のように結婚して姓が変わった場合、私と兄がきょうだいであるという証が必要となります。
つまり、同じ親から生まれたという証明をいただくために、実家のあった役所まで戸籍謄本(もしくは抄本)をもらいにわざわざ行かなければならないのです。
これも郵送でお願いすればよいのですが、別に「申請書」を書いて同様のことをしなければなりません。
その手間が平気な人はよいのですが、私はうっとうしく感じてしまうので、成年後見人証明する書類をコピーして送るほうを選択しています。



もしもきょうだいが障害をもつ家族を支える場合(特に結婚して姓が変わった場合)、多少面倒でも成年後見人制度を利用したほうがよいと思います。
確かに毎年、どれだけのお金が動いたのかを家庭裁判所に報告する義務はありますし、領収書もまめにとっておかなければなりませんから、事務的には大変です。
しかし、金融機関であるとか、障害者自立支援法や年金に関わるさまざまな手続きで威力を発揮します。
同じきょうだい児でも、やっぱり成年後見人になっているといないとでは、信用のされかたに大きな違いがあります。
書類の提出が多いこの時期には、成年後見人になってよかったと思うことが多いです。




兄に障害があって「よかったこと」「悪かったこと」

2007-07-01 00:48:55 | 障害者の妹だから

毎年この時期になると、社会保険事務所から「国民年金 受給権者現況届(兼住民票コード申出書)・受給権者所得状況届」が送られてきます。
これは私が成年後見人になる前からずっと兄の代理で記入してきました。
亡父が倒れてからはもう10年近くこういった書類を提出してきました。

障害者が年金をもらったり減免申請をしたりするためには、いくつもの書類を提出する必要があります。
でも、兄のような知的障害者が役所へ行ったり、書類を書いたりすることはできません。
ですから、家族が代理ですることが多いです。
中には通帳もなにもかも管理を放棄して、事務手続きのすべてを施設におまかせしたしまう保護者もおられますが、わが子がどのような手続きをへて施設入所して負担額を減免されているのかということは知っておくべきだと私は思います。
とはいえ、こういった手続きは面倒なことが多いです。

兄のように施設に住民票を移している場合、書類の多くは施設に郵送されて、施設を経て私のもとに送られてくるため、提出期限が迫っていることも少なくありません。
何もなければ問題がありませんが、私自身のすべきことが多い時期と重なると、いそがなくてはいけませんから、ちょっと負担に感じることがあります。
そんなとき、「兄が健常者なら自分ですべてやってくれるのになあ~」って思ってしまいます。
兄が障害児とわかったときから、いえ周囲からわからされたときから、兄の存在は負担に感じることは確かに多いです。
そのため、私は自分のためにどうやって生きてゆけばよいのかわからなくなることがあります。
幼い頃から、習い事は兄の分までたくさんさせてもらえました。
でも、その代わりにたくさん我慢して育ってきました。
そんな生育歴のためか、私は自分の主張を抑制してしまう癖がつきました。
「どうせ、私の意見なんて通らない。私が我慢すればいいんだ」
こんな考えが先走ってしまうため、自分の思うことを言えず、自身の心の中に溜め込んでしまいます。
もしも兄が健常者だったら、兄に甘えることもできたでしょうし、妹として好きなことを言って、少女時代は子どもらしい時間を過ごすことができたのではないかと思います。
こんなに自分では悩んでいても、「明るくて悩み事がない子ども」だと誰もが思っていたようです。
学校では兄の存在があまり感じられなかったのか、同級生の中には「わがまま放題の一人っ子だ」と思っている子もいました。(私はなかなか本心は言えないタイプなんだけど・・・)
私も大人になってブログに思いを書くことができましたが、両親のどちらかが健在であれば、きっとブログにも自分の思いを書けなかったでしょう。

◆兄に障害があって悪かったこと
・キチガイの妹だといわれたこと。
・親戚から兄のことを否定されたこと。
・常に我慢で自分の思いを伝えられなかったこと。
・いつも自分の存在を否定する癖がついたこと。
・兄を支えるために自分のために生きることができなくなったこと。

◆兄に障害があってよかったこと
・弱者の気持ちがわかったこと。
・人の命の重さを実感できたこと。
・誰かを支えるために生きることの尊さを知ったこと。
・人の2倍の人生を歩むことができること。
・人生を冷静に見つめることができるようになったこと。