当時は何も思わなくて、何も感じなかったことなのですが、最近になって、兄がいかに無視され続けていたのかを感じます。
これは私が小学校に入学したばかりの時のお話です。
私は母の一番上の姉である伯母から、入学祝いをいただきました。
伯母さんは私のことは可愛がってくれていたそうです。
私が幼い頃、伯母が「お泊りに来なさい」と言ってくれたので、兄のことで手をとられていた母は、伯母の家に私を預けたことがあります。
伯母は喜んでくれたのはいいのですが、私が家に帰りたがってずっと泣いていたのにはほとほと困ったと聞きます。
そんな伯母は私を可愛がってくれました。
入学祝いにはディズニーの目覚まし時計をいただきました。たしかシンデレラだったと思います。
ほかにも私は、入学祝いというものは何度かいただきました。
一番すごかったのが、教師を退職した父方の伯母が、退職金の一部から入学祝いだといって50万円くれたことでしょう。
後から聞いた話ですが、伯母の子供たちがその「退職金で家1軒買えるのに!」って怒っていたそうです。なにせ退職金のすべてを自分の孫だけでなく、甥や姪にも分けてしまったのですから・・・。
こんなふうに、私は何度か入学祝いというものをいただいてきました。
その反対に、兄には一度も入学祝いはいただけませんでした。
そう、「こんな子に何をあげても意味がない」という感覚が、親戚たちにはあったのでしょう。
50万円くれた伯母さんも、「あんたのお兄ちゃんはいらんやろ?」って聞いてくるのです。
たぶん兄にお祝いのようなものをくれたのは母の親友くらいなものだったでしょう。
私の記憶を辿っていくと、兄が人生で初めて生命を否定された瞬間は、親戚たちからもたらされたような気がします。
もちろん世間からもさまざまな偏見を持たれていたでしょうが、それは一瞬でしかありません。
親戚のように深く長くつきあう関係において、その偏見は残酷さを増します。
幸いなことに、いとこたちが、障害者のいとこがいることで結婚に支障があったとは一度も聞いていません。親から親戚に障害者がいることを知らされていないいとこもいましたので、隠されていたから関係なかったというのが真相でしょう。
また、兄のことを知っている親戚は皆同じことをいいます。
「あんたはお兄ちゃんとは違うからね。
「お兄ちゃんと違って普通の子やから」
「お兄ちゃんみたいになったらあかんよ。」
そんなことを話す時の顔が、子供ながらに怖かったです。
何か大人のどろどろとした世界をいち早く見せつけられたような気がしました。
小学校に入った私にとってさらに親戚たちは脅威の存在へと変わっていったのです。
最近、兄のことをブログに書き綴るたび、いかに兄が差別されてきたのかということを感じます。
子供の頃のことを思い返すと、兄には入学祝いがなかったのは、普通の学校に入学できなかったから、「祝う必要はない」ということなのでしょうか?
もしかしたら、入学祝いは「健常児の証」なのでしょうか?
こんなに排斥されてきた兄を可愛がり、私よりもはるかに多くの愛情を注いできた母の心情が、ちょっぴりわかるような気がします。