昨日、兄の施設の面会日でした。
私はいつものようにお菓子と缶コーヒーを持っていきました。
お菓子はドーナツです。
私の体調が悪くて、午前中に行けなかったので、結局、施設に着いたのがすっかり日もくれていました。
施設では夕食の支度をしていました。
面会日には決まって、兄は外で待っています。
昨日もそうでした。
可哀想に、朝からずっと外で待っていたようです。
さすがに夕方にはいませんでしたが、お昼頃までずっと待っていたそうです。
それから、周囲の人に「イモウト、イモウト」と聞いてまわっていたらしいです。
話ができるほかの利用者さんから、「ずっと待ってたよ。僕にも聞いてくるねん。」って言われてしまいました。
台風が迫っていて、あいにく天気も悪くて、どんより雲のなかを兄は不安な気持ちで私を待っていたのでしょうね。
でも、兄が待っていたのは、私ではなくて私が運んでくるお菓子なんです。
兄は私のカバンとお菓子の入った袋を奪い取るやいなや、外へ出る準備をしました。
そうです。お散歩と称して外でお菓子を食べているんです。(※もちろん内緒で)
施設内では他の利用者さんへの影響もありますので、こっそりお菓子をあげることにしているんです。
兄は私ではなく、お菓子を待っているんだと思うんです。
私を頼りにする理由・・・それはお菓子を食べたいから・・・。
でも、仕方がありません。
兄の楽しみは食べることだけなのですから・・・。
生前、母も同じようにお菓子をあげていましたから、兄はそれが当たり前だと思っているのでしょうね。
こんな子どものような兄を放ってはおけません。
でも、私は母と同様のことをしても、親にはなれません。
せめて兄の成年後見人になって、兄を守ってあげることぐらいしかできません。
実は、両親が倒れてから、親戚は、手のひらを返したように長男である兄の存在を無視し続けています。
今でも忘れられません。
父の葬儀の時に、差別意識の強い親戚たちに向かって、私はあえて兄のことに触れました。
私は親戚たちに「兄のことも忘れないでほしい」と言いますと、親戚たちは非常に不快だといった顔をしました。
「なんであんな子の話を聞かされないといけないのか!」といった冷たい目・・・。
親戚たちの心の中には兄は存在しないのです。
さっさと消えてほしい存在なのです。
私が若かったせいもあるでしょう。
親のようにはいきません。
親戚たちは兄との縁も切れたくらいに思っているのでしょう。
別に兄のことを看てほしいのではありません。
ただ、両親が兄を残して亡くなっていった後悔の念を考えますと、兄の存在だけは認めほしかったのですが、それはなりませんでした。
私は兄の親にはなれないけれど、支えてあげることはできるでしょう。
もし私が兄より先に死んでしまったら?
・・・・考えないことにしましょう。
ケ・セラ・セラ!
gooブログのURLを教えて頂いてお邪魔しやすくなりました。
ウチもこの3連休は定期帰宅日で妹は我が家に帰って来ています。
施設の自室のカレンダーに「帰宅日シール」を貼ってあげると
その日はたいてい4時とか5時の早朝に身支度を完了させています。
昨日は歯科医に行く日でもあったので、
結構早くに施設に着いたのですが
やはり廊下をウロウロしていました。
おねーちゃんの所にお帰りが最大のお楽しみです。
今期からは障害者自立支援法のせい
(と、私は理解)で月2回の定期帰宅です。
私は働いていて、週末は母の施設と妹の帰宅とで暇ナシです。(汗)
私自身は当たり前と思いますが、
夫は理解や手助けをしてくれて感謝していますが、
やはり時々「俺たちの時間は皆、お前さんの家族にとられるのかい」
と言われるのがね。。。。。(ごめん)
このあたりが嫁いでいる弱みかな(笑)
あーそれと、私が周りに一番感謝しているのが、
夫の家族、娘の嫁ぎ先の家族、モー全ての親戚の方々が
妹に対しての偏見がないのです。
だからノー天気なおねーちゃんでいられるのだと思います。
ちょっと長くなってごめんなさいね。
妹さんも帰省を楽しまれているのでしょうね。
昨日、兄に会ってきましたが、両親が亡くなって帰省期間中も連れて帰ってあげられなくて、兄にはちょっとかわいそうな思いをさせています。
私の兄の場合、養護学校の中学~高校にかけて、登校拒否になったり、家の中で大暴れして、もう手がつけられない状態にありました。
何軒が施設を紹介されて、結局、現在の施設で落ち着いたというわけなのです。
そのため、親戚との関わりも少なく、兄は両親の兄弟姉妹から邪魔者扱いされます。今でも彼らは兄のことを動物と同じように思っています。
ただ、幸いなのは、私の夫を含め、夫の親族までが、障害をもつ私の兄のことを理解してくれたことです。
親はその子を育てる義務も責任もあるけど
兄弟は、それぞれの人生があると思うし・・・
よく、私も「れん君のために、兄弟をつくってあげて!」と言われます。
だけど、次に生まれて来た子は
れんのため生まれてくるの?
私はいつも、その言葉に腹が立っていました。
自然にできたのならいいけど
障害児のためになんてね・・・
まあちゃんさんのお話を聞くたび
違う角度からいろんな事にきずかせてもらえます。
でも、今のお兄さんにとって
やっぱりまあちゃんさんの存在は
かけがえのない肉親なんでしょうね。
たしかに、子供を生むことに干渉されるのはうっとうしいですね。
それはママさんおっしゃるように自然に生まれたらそれでいいと思います。(同感!)
きょうだいは親にはなれないと思います。
でも、兄は子供みたいで可愛いですよ♪
夫も兄のことを可愛がってくれますし・・。
私が子供の頃は、兄が疎ましいと思いましたが、時間をかけるにつれて、兄の存在意義というものがわかり始めてきました。
兄がいることで私も救われることも多いですね。
最近、私が兄のために生まれたのではなく、私のために兄がいるように思うことがよくあります。
私はすでに家族とは別居で、たぶん一生戻らないのではないかと考えているのですが、でも気掛かりなのです。
親がもし亡くなった後、妹が入れる施設があるんだろうか、とか、一緒に暮らすのは不可能だし、とか。
(私自身が躁うつ病で通院していたり、ある意味、妹より発作的に乱暴になるために今別居してるんです...母も私とは会いたくないようですし、人と一緒に暮らす事を禁じられてるようなものです)
こういう不安をどう解消して良いかわからず悩んでいたので、とても励みになりました。
私は小さい頃から家族が障害者だということでいじめられたり、好きな人からそれが原因で別れられたりして、そのたびに神経がおかしくなりそうでした。今は自分の生活だけで手いっぱいで罪悪感を感じてとてもつらいのですが、少し気が楽になりました。
これからもときどき覗いていいですか?
個人的なことですみません。
いっぱい悩んでいっぱい涙を流してこられたのですね。
そのお気持ちよくわかります。
私も兄が障害児という理由で子供の頃はさまざまないやな目に遭いました。
でも、大人になってから自分自身が障害者の妹だということも兄の存在も受容できるようになりました。
きっと子供の頃は、私自身が障害者に対して偏見を持っていて誰に対しても心にバリアーをはっていたような気がします。
今になってみれば兄がいたからかえって恵まれていたことも多いです。
ところで、いつも誰かといることだけが人生じゃないし、一人で生活することで得ることも多いと思います。
私は親のそばにいるのが窮屈で早く自立することばかり考えて実際に自ら一人暮しの道を選択しました。
こもさんのお母様は別にあなたことは嫌いなのではなく、ウマが合わないと感じておられるのかもしれません。
別に暮らした方がかえっていいことも多いですから、気にする必要はないでしょう。
私は自立してウマの合わなかった父と距離をおいたことで父のすばらしさを理解できるようになりました。
ただ、妹さんの将来を考えますと、いつかは施設やグループホームで親元を離れることになるでしょう。
ご両親が健在のうちに、施設入所等についてしっかり準備しないと、きょうだいが支えるのはなかなか大変だと思われます。
一度お母様と妹さんが将来安心して暮らせるような対策について真剣に話し合われてはいかがでしょうか?
お母様が一生妹さんの面倒を看るのは難しいと思います。あなたはいずれ年老いたお母様も支援する必要もあります。
障害者の家族は障害者を中心にまわっていることって多いです。でも家族は助け合うことも大切だから、それはそれでいいと思いますよ。
こもさんもお母様の妹さんへの思いを考えてあげる努力をしたら、何かすっきりするかもしれませんよ。
私が兄を支えるのは必然であるように、あなたが妹さんを支えるのは必然だと思います。
私たちは障害者のきょうだいであるがゆえに、人の倍、人生を生きられるというメリットもあります。
そうそう、こもさんもたまにはキレたっていいじゃない?
ストレス溜めないことが一番ですよ!
また気軽に遊びにきてくださいね。
長々とごめんなさい!!
すぐには無理ですが、いずれ母とは話し合えるといいなと思ってます。
まずは自分の人生もたてなおさないといけませんしね!
ありがとうございました。