絆の法則

澤谷 鑛

「絆」と「欒」のある風景(後編)

2008-02-16 | Weblog
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 【お知らせ】
 5月に学研(学習研究社)より新刊 「絆の法則」(澤谷 鑛 著) 出版決定!!
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                                  澤谷 鑛

「どんなに時代が変わろうと、変わらない大切なものがある」
 昨秋、映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、そんなキャッチフレーズで封切られた。

 前作の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、
「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」
「豊かではなかったけれど、明日への夢があった」
「あなたの心のいちばん暖かい場所へ」
 だった。

 本当にどうしてあんなに楽しかったのだろう。あの時代は……。

 最近、親殺し、子殺し、虐待、いじめ、といった殺伐とした事件をマスコミで知る度に、家族の絆、人間関係の絆を大切に築いていくことの重要性を実感する。
 しかし、この「絆」はなかなかどうして簡単なものではない。見方や使い方によって、私たちの人生がしあわせになったり不幸になったりする影響を及ぼすからだ。
 だから、そこに法則を見いだし、「絆の法則」をしあわせな人生の実現のために使おう、というのだ。家族の絆を大切にし、家庭での団欒(だんらん)は、ひとりひとりの心の安定にもつながるはずだ。
 しかし、「家族の絆こそ大切にしたい」ということは、よく検討しなければならない。何故ならば、家族の絆を大切にしているからこそ事件が起こる、というと奇異に聞こえるかも知れないが、そういう背景を読み取れることもあるからだ。

 そのことにふれる前に、家族の「まどゐ」や「団欒」を考えてみる。

「まどゐ」は「円居」、つまり「円」くなって「居」る意だ。「団欒」を言う日本の言葉である。囲炉裏(いろり)や卓袱台(ちゃぶだい)を囲み家族が食事をしたり、くつろいだりする光景が言葉の中から絵のように浮かび上がってくる。
 漢語の「団欒」も、「団」は団子の「団」、丸いという意である。「欒」は丸い実を成らせる木の名で、その実から数珠を作る、と言えば、丸いという意味があると理解できる。

 さて、ここで「絆」と「欒」について考えてみる。

「絆」は「糸」が「半」分で、あとの「半」分は誰かと結ぶわけだ。そして「欒」は、「糸」と「糸」の間に「言」葉があり、それが実として木の上にある、ということだ。すると「糸」と「糸」の間の「言」葉が、フィットし調和すれば丸い実が実り、不協で不調和であれば花も咲かなければ実も結ばない、ということになる。すなわち「絆」にも、花が咲き実を結ぶものと、花も咲かなければ実も結ばないものとがある、と言える。実を結ばない「絆」を大切にする人もいない。それだけでなく、花も実も結ばないものが、まわりの実に伝染し不協で不調和を拡げていくとしたら……。

 また、作家の曽野綾子氏が「情が深すぎる家族殺し」「憎むのも嫌なら離れればいい」と述べ、「精神的にも経済的にも、とにかく自分で自立し、自分なりの人生設計を持つのが一つの条件である」としている文章を読んだことがある。
 良い関係の「絆」と良くない関係の「絆」とは確かにある。家族に「自分なりの人生設計」を説明することは出来るが、説得することは難しい場合が多い。いくら「絆」があるからといって、若い頃には特にそうなのだ。家族を説得することが一番疲れる、という人の話もよく聞く。

「絆」と「欒」のある風景のなかに、「絆の法則」「欒の法則」を駆使して、しあわせな人生の実現を果たすべきなのだ。
 何のために? そんな野暮なことは言うまい。しあせな人生が内にあればこそ、しあわせな人生を求め、実現させたいからだ。

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26 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
絆を結ぶ直すには (ハーモニー)
2008-02-16 05:43:12
>情が深すぎる家族殺し
>家族を説得することが一番疲れる、という人の話もよく聞く。

本当にそうですね・・。
親との関係が様々な問題の根幹にあるとよく思います。

>精神的にも経済的にも、とにかく自分で自立し、自分なりの人生設計を持つのが一つの条件である」

過干渉の親に育てられると、「自立」自体がなかなか難しいです。自分で決定できないことを、潜在意識レベルでインプットされているからです。「自己無価値感」とひとくくりにもできますが、蓋を開けてみると、もっと複雑なものがあります。自分を責める方向にいくこともあります。

「それでも、自分は幸せになりたいんだ!」

そんな「葛藤」が思わぬ惨事を引き起こすこともあります。
しかし、そのような親も、自分の信じることがあってこそなのですよね。「愛」の裏返しでもあったりします。そして、そんな親の性格を形成してきたのは、その親(祖父・祖母)。

ここに「先祖のデトックス」の意義があるように思えます。また、先祖が誰かから恨まれ、その想念が影響していることもあります。想念には時間も空間もないから・・・。

絆を結ぶ直すには、とにもかくにも、まずは自分を認めることが第一歩なのかな、と最近思います。そこから派生して、親や周囲の人を認められる。更に「先祖」への感謝にまで及ぶ・・。そうやって、絆は時空を超えて結びなおされるのでしょうね。
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みんなそれぞれ努力しているのに (koi koi)
2008-02-16 08:15:44
>しかし、「家族の絆こそ大切にしたい」ということは、よく検討しなければならない。何故ならば、家族の絆を大切にしているからこそ事件が起こる、というと奇異に聞こえるかも知れないが、そういう背景を読み取れることもあるからだ。

はい。確かにそうですね。

水を差してはいけないとか、私の取り越し苦労かと、書くことを躊躇しましたが、やはり書かせていただこうと思います。

ひろしげさんの御記事を通して思ったことでした。

子どもさんにとってご両親は、自分を生んでくれた存在 
つまりは、お父さんの血を半分とお母さんの血を半分、半分ずつの血を受け継いでいる特別な人なんですね。

そう考えると、両親が離婚するということは
身を裂かれる思いと同時に、いろんな意味での存在否定が生じるでしょう。

子どもさんが幼ければ、両親がいつかまた一緒に暮らす日が来ること信じる確率はとても高いかも知れません。

親は、その時の子どもの笑顔がみたいから、ついできない約束をしてしまうかも知れません。

また子どもさんにとっての、そのものやその行為の持つ”意味”や”大きさ”に気付かずに、
子どもさんが再び・あるいはさらに大きく傷つく選択をしてしまうかも知れません。

また、「歓びを歌にのせて」という映画のなかで、
アル中の夫からDVを受け続けた妻が、別れる夫に最後に言った
「赦すわ。。。あなたもあなたなりに努力したんだもの。。。。。
不思議ね。みんなそれぞれ努力しているのに。。。」という言葉が脳裏に浮かんできました。

確かに生きている以上、何らかの努力、それも幸せになるためと思い、努力しているものなんですよね。

ただ”努力の方向”が、何に向かい、どこに向かっているか、なのでしょう。
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自分の心の中に幸せがある (もく)
2008-02-16 09:08:07
自分自身の幸せを願わない人はいないと思っています。
なのに多くの人は幸せとは逆の方向に目を向けてしまっている。
そんなふうに思えます。
もちろんそちらの方向に好き好んで進んでいるわけではなく、
幸せへと続く道の見つけ方を知らないだけなんだと思います。
幸せへ続く道は自分の心の中にあるのだと私は思います。
幸せへと続く道を自分の心の外に見出そうとしたとき、
人は、悩み、苦しみ、もがき始めるのではないでしょうか。

自分の周りのすべての人を自分の思い通りにできたら、
確かに最高の幸せを手に入れられるのかもしれません。
しかし、周りの人それぞれにも「自分」という意識があるのですから、
誰一人として自分の思うままに動いたり、
自分の望む言葉だけをくれるわけではありません。
誰もがそのことはわかっているつもりでいます。
でも家族に対してだけは、
100%とは言わないまでもかなりの割合で、
自分の思い通りになるのではないかと、
思い込んでいる人が多いような気がします。

子供にとって親は最も自分の言うことを聞いてくれる存在。
親にとって子供は最も自分の価値観を押し付けられる存在。
夫婦はお互いにとって最も価値観が近いと思い込んでいる存在。
でも、家族といえども自分だけの世界の住人ではなく、
家族もそれぞれの「自分」を生きています。
そのことを認めたくなくて、
認めることで幸せの道を見失うような気がして、
我侭に、強引に、そして力ずくで、
家族を自分の世界のみに留めようとしてしまう。

私は絆の法則とは自分の心の中に幸せがあることを
気付かせてくれる法則だと思っています。
自分の心の中に幸せに続く道が発見できたとき、
家族がいかに自分のために尽くしてくれているか、
いかに心を支えてくれているのか、
その有難さが、暖かさが染み込んで来るんだと思います。
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みんな幸せを感じている (ハリー)
2008-02-16 09:55:18
なるほどと思います。
先生のような難しい表現は出来ませんが、「絆」は大事ですね。人生ポジテブな人の所に同類の人が集まり、みんな幸せを感じている。これも絆でしょうね。
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しあわせな人生の実現を果たすべき (布施 二佐枝)
2008-02-16 10:53:46
>家族の絆を大切にしているからこそ事件が起こる

本当に奇妙に聞こえるかもしれませんが、真髄を見抜いているからこそ、このお言葉が出てくるのだと思って読ませていただいておりました。

もく様のコメントの中に「家族に対してだけは、100%とは言わないまでも、かなりの割合で、自分の思い通りになるのではないかと思いこんでいる人が多いのではないか・・・」とありましたように、確かに家族に対しての思いは、特別なように思います。

私も、実際に家族をもち、日々生活している中で、子供が大きくなればなるほどに、「思い通りにいかない」という思いを痛感しておりました。
がしかし、子供が大きいか小さいかに関係はなく、小さくとも大きくとも、それぞれに、確固たる人格をもった一人の尊い人間なんだと感じさせられる今日このごろでもあります。

愛情が深いゆえの犯罪は、本当に胸が痛みます。
その渦中にいた方々も、葛藤しながら、模索しながら絆を結ぼうと懸命だったにちがいありません。

澤谷先生の仰るように、“「絆の法則」「欒の法則」を駆使して、しあわせな人生の実現を果たすべき”だと、深く共感させていただきました。
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全て幸せへと続く道 (舟木裕子)
2008-02-16 11:28:22
桑名先生の

>「その見えていない状態も全て幸せへと続く道の途上」だと感じています。

にとても共感します。

澤谷先生のセミナーで、ゴムは元に戻ろうとする、というお話がありましたが、本当に「本来人は幸せに向かうように出来ている」と信じています。

以前に「私はあらゆる病気は、その人の回復過程だと思っているの。」とある看護婦長さんに言われた事がありました。
その時にはっとした事がありました。
私は自律神経失調症で苦しんでいた時で、急に私も「蘇生」(というと大げさなんですが)に向かっているんだって感じられました。
その帰りに、バスの中で燦々と降り注ぐ太陽を感じて、「太陽はこんなに平等に降り注いでいたのに、今まで感じられなかった!」と感じたのを覚えております。
自分(と自分の体力)を力強く信じられた瞬間だったのかもしれません。
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傷ついた子供も癒して… (ひろしげ)
2008-02-16 18:15:07
>親は、その時の子どもの笑顔がみたいから、ついできない約束をしてしまうかも知れません。

子供に対して罪悪感があると、とそのような出来ない約束をするかもしれませんね。

でもその奥にはやはり子供を想うではなく、自分が子供から嫌われたくない・ダメな親と想われたくないという「自己重要感」を満たしたい気持ちが強いかと思います。

その「自分の無価値感」をデトックスすれば出来ない約束自体しなくなります。

>また子どもさんにとっての、そのものやその行為の持つ“意味”や“大きさ”に気付かずに、子どもさんが再び・あるいはさらに大きく傷つく選択をしてしまうかも知れません。

そうですね。子供はわたしたちが思っている以上に賢いです。
しかし、だからこそ変な駆け引き的なことはいらないです。

その「行為」「意味」「大きさ」などあるでしょうが、シンプルにただ「純粋に子供を想う気持ち」があれば必ず子供には伝わると想います。
子供に対してどこかでやはり子供ゆえに上から目線でいくと子供を信用していないかと想います。
自分の子供と同時に一人の人間として目線を同じにして、「絶対的信頼」を持ち、さらに何があっても100%あなたの味方ですと自分で決めていたら、あとは必ず理解してくれると思っています。

子供に理解してもらおう・理解されたいと想うとやはり良くならないと思います。結局それも子供ではなく「自分」にフォーカスしているからです。

私なりの考えではやはり自分を内観してデトックスしないと自分以外のことに愛を与えられません。自分の愛の源泉が湧き出せば自然に自分を愛せる・・。

そうすれば傷ついた子供も癒してあげられます。
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明るい子供を育む家造り (吉野成人)
2008-02-16 18:17:12
実は、今「明るい子供を育む家造り」というテーマのプロジェクトを行っています。
そして、このブログを拝見する前もその企画書を作成していたところでした。

スピリチュアルな見方ではなく、あえて別の角度からコメントさせてもらいます。

近年少年少女の犯罪件数が増え、犯罪の低年齢化が進む一方ですが、
これは情報技術が進歩し、青少年への不必要な情報が氾濫していることもさることながら
家庭環境の問題も大きな要因のひとつだと思うのです。

子供がいつ帰ってきたかわからないような間取り。
子供部屋には鍵付が当り前、食事が済めば部屋に閉じこもり子供がなにをしているのか、親は把握していない。

そんな、家造りが横行しているのも事実なんですね。

凶悪犯罪を犯した子供の家の間取りをみると、親の寝室やリビングから遠い位置に子供部屋があったり、子供部屋が離れになっているケースが見受けられるそうです。

子供を叱れない大人が多くなっていると言われている昨今、
今一度、家族団欒について考え直す必要があるのかもしれませんね。
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幸せの糸、吉の糸を (フロウライト)
2008-02-16 18:19:37
 例えば、
「なぜ、あなたは、家族の絆を大切にしないの?」
 と言う判断を、子供に押し付けたら、
 きっと、家族は上手く行かないでしょう。
 また、
 子供も親を、
「対面ばかり気にしていて、本当の絆は、大切にしない。」
 と判断したりする。
 夫と妻が、同じような争いをする場合もあるでしょう。

 絆は確かに大切だけど、
 良い絆で結ばれていると言う感覚を手に入れられない理由を、
 誰かのせいにしてしまう。
「良い絆を感じて幸せに生きたい。」
 ならば、それを、
 そのまま自分から、発信して行く人生を生きることが大切になって来る。

 幸せに生きたい。
 ならば、
 幸せに生きよう。
 そして、
 幸せの糸、吉の糸を、みんなと結んで行こう。

 そんな思いが、湧いて来ました。
 ありがとうございます。

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母と子 (紅林 千賀子)
2008-02-16 22:08:06
・・・それから どうしただろう・・・
目を瞑って 潮騒の音を聴く・・・

砂の上に彼らが忘れた その紅い花は
やさしい波に誘われ 初秋の海に 溶けていっただろう
そして いつの日か また 
北の海の 砂丘のかげに 屯ろして 
子供の帰りを待っていることだろう


耳元に 童謡が流れる
長女の出産と共に 買った宝物のテープ
この童謡と共に 子どもと私は育っていった

春が来た
十五夜お月さん
七つの子
夕やけこやけ
赤とんぼ
ふるさと・・・
そのやさしい旋律と日本の風景

亡くなる直前
母が突然に唄いだした
どんぐりころころ・・・
魂が奏でる唄を ひとり 病室で聞いた
窓の外は 雪がしんしんと 降っていた 

母と私と子どもたちの 心の奥底に流れる その唄が
懐かしい 日本の童謡で あったことが 
ただ 嬉しい
そして その言霊で これから先
円い実を結ぶことが出来たらと
ただ ただ 祈る
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