絆の法則

澤谷 鑛

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岩に咲く花(1)

2015-05-19 | 牽引の法則
                           岩崎 裕繁

ここ5年間ほど、僕は大好きな「お店」を創り続けていた。

「お店」というのは飲食店のこと。

高校を卒業して自分が幼い日をすごした、記憶にはさほど残ってない土地。
関西で過ごしてみたいという思いから大阪の学校に進学した。
当時の僕の家の事情は? といえば、とても裕福ではなく、進学はゆるされたものの、生活費等の親からの援助はいっさいなし。
自分でアルバイトをして生活費をねん出させるしかなかった。
そして逆に仕送りもしていた。

そのただ生活費を稼ぐために手段で始めたアルバイト、それが飲食店だった。
そこではただただ無心で働いた日々。
もしもクビなんてなれば、また一からアルバイトはじめないといけないから、それまで真面目に取り組んだことなんてなにもない僕が、記憶がある中の人生で、一番まともに取り組んだことかもしれない。

そして、そんな毎日を続けていたら、この仕事が面白くなってきた。
面白くなると、お店のオーナーも奥様も、僕にものすごくよく接してくれた。
ご飯を食べに連れて行ってくれたり、時給もどんどんあがった。
そしてそのお店では今まで出したことのない時給をいただいたとき、僕は、初めて自分が認められた価値のある人間だ、と感じた。
だからすごくうれしくてはたらいた。

それから都合で学校をやめることになり、とりあえず就職先をさがすことになった。
お店の店長がうちの社員になれともいってくれたけど、まだ僕は、水商売的な仕事でなく、いわゆる会社と見えるとこで働きたかったのでおことわりをした。

その後、職安でデザイン系の職場に就職するも、事務所にこもりきりの地味な作業になじめず2か月後に辞めた。

そのころ地元から友人が関西に仕事で来ていて、その友人といろいろ語るうちに、「飲食店・お店」というキーワードがでてきた。
まだ若いが故、地元の仲のよかった友人とも遊びたいし、よし、地元に帰って飲食店で働こうって思い、関西を後にして地元に帰った。

その帰る少し前に、バイト先だったオーナーの奥様がいってくれた一言が、今でも僕の励みのひとつになっている。
「あなたは田舎にこもって生きるような人じゃないですよ。大きな舞台に行きなさい」
なにかうまくいかず落ち込んだ時は、このフレーズで自分を奮い立たせたこともあった。

それから20年ほどの「飲食店・お店」人生。
40歳になった今、その20年の経験を捨てて、あたらしいキャリアのない世界に飛び込もうとしていた。

そのあたらしいことをするにあたり、いろんな本を読んでいたら、その本の中の一冊に心屋仁之助さんの新刊『一生お金に困らない生き方』(PHP研究所)があった。そこにある方のお名前が……

「澤谷 鑛」
あれ?
澤谷先生!

僕はなんとも懐かしくうれしく思い、フェイスブックで澤谷先生を探し、メッセージを送った。
澤谷先生とは今から6年ほど前、僕が「お店」を創り、経営して会社を設立していた時、周りから見ればよく見えたであろう環境の中、僕自身は、なんともいえない憂鬱感・無価値観・燃え尽きた感・不安・恐れを抱いていた毎日。
そして歯車が狂いだし、お店がうまくいかず、離婚もして、仕事にも身が入らず、今思うと、たぶんほぼうつ状態だったと思う。

それでも、そんな自分をなんとかしたくて、いろいろと調べていた時に出逢った方でした。
すぐに連絡してカウンセリングをしていただいた。
京都のホテルのロビー。緊張の中現れたのは、ん? こがらなおじさん? なんてこというと怒られもしそうだが、それまで常に戦い、抜きに出る、負けられない、というようなスタンスで働いていた僕にとっては、そのこがらな先生の柔らかですべてを受け入れてくれそうな空気感は、安心感があり、それでいて志士のような凛としたたたずまいが、僕を素直にさせてくれました。

カウンセリング早々、僕のこれまでの歩み等などをお話させていただきました。
僕が6歳まで住んでいた関西。僕は出身が関西。なぜそこから遠く大分県までいったのか。
そう、僕は後に知ったけど、小さいころの記憶で幼馴染のお父さんが長距離トラックの運転手で、そのトラックに乗ってどこかに行っていた。
幼心で楽しい長いドライブと思っていたら、実は、僕の家族は夜逃げをしていた。
そんなことや、それからの生活。自分の家族のこと。自分が離婚のときに、愛娘と離れることになった時のこと。その時の言葉では表すことができない
「心臓をエグられる思い」
自分の情けなさ。無力感。無価値観。罪悪感で延々にとまらない涙がでたこと。
先生とのカウンセリングで、そしてセミナーでも体験談で、そのようなことをお話しをさせてもらった。
とんでもないと思っていた父や母の当時の気持ちを、なんとなくだけど、愛をもった親だと思うことがカウンセリングでできました。

それでも、すぐに事態がどう変わるということはなく、僕は、どんどん悪化する自分のお店の再建をするために、現場に入り、試行錯誤しました。
毎日が債務に追われる中、カウンセリングなど、そういう類の事は頭からなくなり、現状をどうすればいいか? 焦りと恐怖で憔悴しきっていた。

そして、来る日がやってきた。
終わった。
資金が完全にショートして、もうどうにもならずに会社は倒産した。
僕自身も自己破産して、店も家もなくなった。
それまでのマンションからホームレス状態へ……。

破産手続き開始の時、公園のベンチで少し寝そべってみた。
なんとか寝れそうだな。
ちょうどまさに時期は、春が始まり空気が心地いい季節。
空を見上げながら、何にもなくなったことを味わってた。
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