絆の法則

澤谷 鑛

上司にしたい幕末の人物

2010-04-23 | Weblog

タク


コカ・コーラシステムの調査による2010年度の新社会人が選んだ「上司にしたい幕末の人物」の1位は、男性が坂本龍馬で、女性は新選組の局長・近藤勇でした。また、「部下にしたい幕末の人物」では、男性、女性とも、沖田総司・土方歳三・斎藤一といった新選組のメンバーが上位にランクインしていました。

大河ドラマなどやっているので、坂本龍馬や新撰組のメンバーなどはとても有名になっていますが、大政奉還した、最後の将軍・徳川慶喜はどうなったのかご存知でしょうか。結果から言うとプロ級のカメラマンになりました。

徳川幕府300年の歴史の幕引きをした15代将軍徳川慶喜は、実際に将軍の地位にいたのはわずかな期間でした。徳川幕末から明治時代を扱った多くのドラマでは、動乱の時代はさておき大政奉還のシーンに登場したあと、明治維新の立役者たちによる新政府が描かれることはあっても、最後の将軍の行く末が語られることはあまり見た事がありません。

実際のところ明治維新後の徳川慶喜は、1913年に77歳で亡くなるまでの46年間、多くの趣味をもって優雅に暮らしていたのです。その証拠に、将軍職を捨てて静岡に隠居していた時代には側室を持ち、21人の子どもをもうけているのです。

そんな徳川慶喜が若い頃から親しんだ刺繍、絵画のほか、陶器づくり、狩猟、サイクリングなどの趣味の中で、もっとも熱中したのは写真だったようです。もともと徳川慶喜は写真に撮られることを好んだようで、将軍時代の洋服姿の写真なども残されており、明治に入ってから自分でカメラを手にするようになったようです。

『将軍が撮った明治』(朝日新聞社刊)という写真集が出版されているほどです。晩年は東京で暮らしていますが、静岡時代にはとくに熱中し、写真スタジオから先生を招いたという記録も残っています。東京に戻ってからも写真への熱意は冷めず、撮影のために度々外出したり、現像まで行っていたそうです。

ただ、写真がたんに記録をとどめるものでなく芸術性をもつようになるのは、昭和に入ってからで、撮影の技術はともかく、芸術性の面では素直さだけがとりえというのが、現在のプロカメラマンの評価らしい。

ちなみにこの激動の時代、アジアで西洋諸国の植民地にされなかったのは、日本国とタイ国だけです。日本が植民地支配される危険性が最も高かったのは幕末でしたが、徳川慶喜・坂本竜馬・吉田松陰・西郷隆盛・大久保利通・勝海舟などがいたお陰で逃れたのは事実でしょう。

 
 

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1 コメント

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知りませんでした (谷川和英)
2010-04-23 06:07:52
興味深いお話をありがとうございます。

徳川慶喜を主役としたドラマがあれば、きっとおもしろいでしょうね。

その当時の人にとって、写真は最先端の技術であったと思います。

そこに興味を持つあたり、時代の風を読む優れた感性をお持ちの方だったのだろうと思います。

『将軍が撮った明治』機会があれば見てみたいと思いました。
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