― 竹心 ―
私は太鼓を打つ和太鼓奏者なのですが、篠笛も少し嗜み心得があります。
そうは言っても、私には楽しみの領域内であって「篠笛奏者」と呼ばれるには、まだまだ精進が必要なのですが、それでも、最近では音色にこだわりを持つようになり、
「ひとつ自分オリジナルの笛を誂えようか」
と思い立ち、昨年、横笛の老舗で有名な、富山県高岡市の【新月】へと出向き、まずは‘特別の一本’を数カ月かけて製作して戴きました。
現在、五代目笛師としてこの【新月】を引き継がれているのが松岡正樹氏(39才)。
私より若干お若いのですが、さすがは百四十年の歴史ある老舗を引き継がれている方だけあって、笛作りへの強い信念と高い志を持ち合わせた中々の人物であります。
また笛は作る事のみならず、演奏の方も、能楽を森田流の瀬賀尚義氏、雅楽を宮内庁式部職楽長 安斉省吾氏、両氏に師事されているとのこと。
その吹かれる音色の高貴で美しいこと……初めてその調べを拝聴したときは、感動で鳥肌が立ちましたね。
それまで私が抱いていた篠笛への観念とは、太鼓が‘動’なら 笛は‘静’……だったのですが、松岡さんとの出会いでその価値観は、笛も‘動’としての世界がある……と、一変してしまったのです。
彼が「新月の笛師」を志す事になったきっかけは、結婚をされた奥さんの実家である【新月】へ手伝いに行った時、後に師匠となるお爺様(三代目、窪谷新顕氏)より、
「本格的にやってみないか」
と、声をかけられたのが始まりだったそうです。
それから勤めていた会社を退職し、24歳で弟子入り。最初の五年程というのは、朝起きて夜寝るまで笛作り以外の時間というのは食事のときだけ。
外出も笛の演奏を習いに行く事以外は一切認められず、本人曰く、
『20代のほとんどの時間を 笛作りの修業に費やした』
とのこと。
また、師匠は大変に厳しい方で、最初の頃は、松岡さんが何日もかけて作った笛を、
『こんなもん笛ではない!』
と言って目の前で折られてしまったり、ごみ箱に棄てられたり……。
毎夜毎夜、師匠の怒鳴り声が隣近所まで響き、時折ご近所の方が心配して、
『おまえ、本当に笛師になれるのか? 大丈夫か?』
と声をかけて下さったとの事です。
どんなに上手く作れたと思っても
『おまえの作る笛には魂が入っとらん!』
師匠の指導はこの言葉のみ……
駄目だと繰り返されるばかりで、後は師の技を見様見真似で覚えるしかなく、
『目に見えん魂って何ぞや? その魂をどう笛に入れるんや?』
松岡さんはこの自問自答を繰り返し、修業に専念したといいます。
十年近く修業の日々を経たある日のこと、師は
『これで良い……後はもうお前に教えることは何もない』
そう一言だけ言ったそうです。
その暫くの後、師匠は脳梗塞で倒れ急逝してしまいます。
時の機縁とでもいうのでしょうか、何とも深く不思議な - 運命 - を感じます。
日本でも屈指の横笛老舗である【新月の笛】。
その一本一本手作りの魂の笛を引き継いだ松岡氏が、作り、奏でるその笛の音色とは‥‥
新月の - 誠 - と、
師弟が歩んできた‘人生そのモノ’
なのではないでしょうか。
我が身もまた、魂共々、引き締まる思いであります。
三代目と五代目の師弟関係は、現代でもそのような関係がありうるのだと感銘を受けました。
よく折れずに修行を続けてこられたものだと思います。
ふり返って、自分は魂の入った仕事ができているのか?
とても考えさせられました。
コメント感謝いたします。
日本人は元来「道」に生きて来たといいます。
‥茶を点てれば茶道となり、書を嗜めば書道となり、剣を握れば剣道となり…。
谷川さんがおっしゃるように「折れない志」の向こう側にこそ「道」が有るのだと思いました。
有難うございます。
こういった事に僅かながらも携わり、大きな学びを戴いていると感じます。
自らの志を貫き通せるよう自己を研鑽し、精進して参りたいと存じます。
有難うございました。
澤谷 鑛 です。
お原稿を-竹心-さんのブログより転載させていただき、ありがとうございました。
冬季五輪をTVでみていたときに感じたのですが、人間というのは、無限の意欲というのがあるのかも知れない。それが生きるということなのだろうか? ということを思いました。
今回、-竹心-さんがお書きになった世界は、誰もが何処かで経験していることなのでしょうね。それが一流であるとないとを問わず……。
人間の生きる根源なのかも知れませんね。
また、お書き下さい。
お原稿を転載させていただき、ありがとうございました。
なんとも凄まじいいお話だと思いました。
現代のように、音や刺激が溢れた時代とは違い
篠笛が作られた当時というのは、どれほどの静けさがあったのでしょうか。
現代では、見たことも無い闇や、感じたことの無い静けさに満ちた時代であったのでしょう。
そのような時代に作られた篠笛には、現代人が思い至れないほどの魂が込められていたのかもしれません。
賑やかさに心も耳も慣れてしまった現代人には、聞こえない音色が聞こえ
目で文章を見るところの行間のように、その音色の操り方にもきっと
言葉に尽くしがたい「間にしか存在しないなにものか」が在ったのではないでしょうか。
それは、言葉では到底説明できなかったものなのでしょう。
ただ、消去法でこれも違う、あれも違うと否定され
では、どこなのかと、ただ師の見るところを探り追求する徹底的な学びの日々であったのでしょう。
なんとも、凄まじい話だと思います。
技術も大切ですが、それだけではない。
師弟の人生と命の次元の話なのですね。
命は、命をもってしか教えられず伝えられない。
そして、そこに根付いたものであるからこそ
人に対する真の誠になるのかもしれません。
大変深いお話を伺えました。
改めて、目に見えない心の大切さを思わされました。
命で命を受け止めることの大切さも、思われました。
心から感謝申し上げます。
コメント感謝いたします。
そうですね…古人(いにしえびと)は、悠久の中に静寂を感じとり、その空間に
- 心の間 -を置き、浮世には無い深遠なる響きに耳を傾けていたのだと思います…。
横笛の種類に、龍笛(りゅうてき)という「舞い立ち昇る龍の鳴き声」を表現した笛があるのですが、古人には本当に龍の声が聞こえていたのかもしれませんね…。
補足になりますが【新月】の初代、窪谷新四郎氏は幕末に80人のお弟子を持つ、僧侶をされていたとのことです。
さくらみるくさんが記された「命でしか伝えられないこと」…まさに、
澤谷先生もおっしゃられた、誰もが何処かで経験している
「人間の生きる根源」 という真理に通じていく…そう、深く感じられました。
有難うございます。